56. 眼鏡をかけてる
新米審査官は王都の魔術省に隠された部屋で頭を抱えていた。
映像転送及び遠隔会話機能を持たせた眼鏡は、術者が魔力を送り続けないと作動しない。
先輩魔闘士の妹が着けていた眼鏡は中堅審査官の攻撃で吹き飛ばされ、雪に埋もれて、映像と音声の転送を中断させた。
中断の直前、新米は後輩魔闘士が妹の救出に『向かっている』と言い、探査基地の警鐘が鳴り響くのを聞いていた。基地に緊急通報を入れる必要はないだろうと判断する。通報すれば魔闘士隊に遠隔監視の事実が明確に露見する。
それより自分だけが出来ることがあるはずだ。何も映さなくなった映像再生用の水晶水盤をにらみながら腕を組む。
「あの精霊鑑別士の狙いは何だ」
精霊鑑別士は魔術名門一族だ。彼らは反抗する者に容赦しない。婚約者に近付く女性を始末したいだけなら、わざわざ審査官を介するリスクなど犯す必要はない。直接に毒でも盛ればいい。
妹が定性調整の専属精霊持ちという利用価値の高い人物だと知っている者は非常に限定されている。精霊鑑別士の婚約者である闇がち魔闘士から有害性を除ける唯一の人物を殺したら、闇がちが闇性度的に危機に陥る。
「それはむしろ精霊鑑別士にとって不利益。定性調整を知らないな。妹をただの新人魔導士だと思ってやったと考えるのが自然」
一方、東塔派が犯罪もみ消しに便利に使っていた審査部の中堅が離反し報復リストに入ったことは、東塔一員として精霊鑑別士も知っていただろう。彼らは中堅を離反直後に襲撃した報復好きだ。
「中堅さんを操って婚約者である『わたしの魔闘士さん』に近付く妹さんを痛めつけ、中堅さんも殺害するつもりだったか。現場近くで様子を見ていただろうな」
けれど妹が指輪で呼んだ後輩魔闘士がすぐに駆け付け、企みは失敗に終わったと考えられる。妹は東塔派の内輪争いに利用され巻き込まれたのだ。
「これを話したら自分が後輩さんに殺される」
二人に対する攻撃は予想しようと思えば出来たが、あの強力で陰惨な手段は想像を超えていた。精霊鑑別士は人目のない場所で強力な攻撃術を使う中堅と妹を見つけた時、千載一遇のチャンスだと驚いたことだろう。
王の耳として手柄を立てようと焦っていたな、と新米は苦々しく思う。精霊鑑別士に盗聴を仕掛けて泳がせ、王への反目者を暴くことばかり考えていた。
現実というのは血肉のように生々しく、重い。
「さて次に集中すべきは…中堅さんにかけられた術の解除。あれが精霊鑑別士の仕業だと、正気に戻して証言させなければ。弱りつつあるとはいえ、相手は黒と言えば黒にする名門一族。眼鏡の映像記録だけでは弱い」
精霊鑑別士の詠唱を思い返す。『我らの忠実なしもべ、狂乱の精霊よ来たれ、』
「ありえない」
新米はもう一度言った。
既知の精神攻撃術は官給ローブの防御術で弾かれる。なのに間違いなく術は発動して、中堅は妹を襲撃した。
「中堅さんは口に何か押し込まれていた。吐き出そうとして吐き出せなかった何か。固体ではないのか。そして手のサインで『ど』『う』『か』『せ』…」
魔術用語辞典を繰る。該当する、あるいはそれで始まる単語はない。魔術師が持つような専門性の高い魔術辞典は、それこそ魔術師でないと入手の許可が下りない。
再び頭を抱えたその時、水晶水盤に映像が立ち上がった。映った雪原には多くの足跡と血痕が残っている。
『こちら魔闘士後輩。そちらの所属と名は?』
「審査部審査官、新米と申します」
『覚悟しているとみなす』
あ、やっぱり殺されそうだなと新米は思った。見られているわけではないが姿勢を正す。
「それで結構です。お話しするのは初めてですが、自分は後輩さんを妹さんの記憶、中堅さんの眼鏡を通じて知っています。単刀直入に応答できます」
『今回の攻撃に関与しているのか』
「いいえ。けれど事前に予想できる立場ではありました。申し訳ありません」
『妹さんに眼鏡を渡した目的は』
「不適格な精霊鑑別士の監視でした。彼女が犯人です。中堅さんに狂乱の術をかけ、妹さんを攻撃させました。施術方法は不明、中堅さんはローブを着ていたのに」
自分の声色に恨めしさが混じっているのを聞き、情けなくなる。
「詠唱は『狂乱の精霊よ来たれ、中堅を侵せ。あの人面獣心な娘と自らの身命を刈り払え』でした。妹さんを害し、中堅さんも自害させ、もし中堅さんが失敗するようなら自分で手を下して殺害する目的だったと推測しています」
『審査官を』
後輩の納得を含んだ口調で、彼が定性調整で東塔派から離反させた審査官が中堅だと気付いたのが分かった。
『理解したと思う』
勢いが少し落ち着いたようだ。中堅に準備を与えず離反を強制した後輩にも事態の遠因はある。
『中堅さんは拘束中です。怪我はない。犯人への策は?』
「すぐに捕えなければ。審査部は彼女を精霊鑑別に不適格として解任請求を出したのが仇となりました。魔術省で解任が認められ次第、王都に戻られてしまいます」
精霊鑑別士が東塔の本拠地に逃げ込めば、手を出すのはほぼ不可能だろう。
「ですが彼女の身柄を押さえるには決定的な証拠が必要です。中堅さんは口に何かを押し込まれた後、『ど』『う』『か』『せ』と身振りで示しました。意味を解明できていません」
『どうかせ…同化潜行紋。魔術省が禁止している、ローブの防御術をすり抜ける方法です。この抜け穴を見つけ出し悪用したのは、他でもない東塔派です』
新米は思わず椅子から立ち上がり、一瞬で答えを出した後輩に感嘆した。
「眼鏡を拾ってくれてありがとうございます!」
『妹さんの指示で。あなたと協力し合えという意図だと解釈します』
後輩の口調から敵意が消え、新米は心から安堵する。
『犯人は彼女に治癒促進を申し出てます。除染室には副隊長たちがいるので犯人はまだ動かないでしょう。屋上、除染室を監視し飛び下りられる場所へ身を潜めに行きます』
映像を見ると、後輩は雪原を走り出している。
「こちらで出来ることは?」
『犯人が使った紋は映像に残ってますか』
「そもそも映っていません。狂乱の術だというのは、精霊鑑別士の詠唱で分かっただけです」
『狂乱という術名はないんです。精神操作は組み合わせが多いので、簡略化させた詠唱上の通り名かも。対象の暗示の明示と、激高とか闘争とか、場合によっては計時も組み合わせます』
「誰に対してどういう感情をどれくらいの時間持続させるか、を指定するためでしょうか」
『そうです。強制終了するには発動中の術の紋と、発動時の二倍の魔力が必要です』
「同化潜行紋とはどういう仕組みですか」
『唾液や胃液で溶ける塗料で…、同化する色で描いた紋を…、上塗りして』
息が切れている。無理もない。彼はナーサリー二十周の懲罰走の終わりごろに襲撃現場に呼ばれて体力も魔力も削られている。
「ローブの防御術は、体内にある紋には及ばないのですね。紋を塗り潰して『同化させ、潜行』させてローブの防御を通過させておき、消化液によって紋が体内で現れたら、術がかけられるという理解で合っていますか」
『はい。上からは胃まで。精霊が紋を認識する場所が重要なんです』
「中堅さんの口の中にその紋が残っていれば、証拠にもなり強制終了も出来るのではないでしょうか」
『紋はすぐ溶けて…、消えるように作るのが定石です』
隠蔽まで考えられているのか、と舌打ちする。
『そちらで出来ること…、魔術拘束の許可を。精霊鑑別士の術が詠唱そのままなら、中堅さんは自害を試みます。阻止するには仕方ない措置ですが、魔術拘束は過酷です。審査官にかけたら各方面から責任追及されかねない』
「必ず何とかします。瑕疵なき基地運営のために」
『除染室に近付きました。妹さんが口内に隠している指輪に合図を送ります。彼女は犯人に対して何らかのアクションを起こすつもりでしょう。援護できる位置につきます。記録を』
「了解、映像音声ともに記録できています」
『僕のバングルの送話機能が発動するので、以後、この会話を拾わないよう最小限で話します』
「了解」
『あと、僕の個室にドアをください』
「りょうか…えっ?」




