41. 淵で揺れる
「なんてタイミングの悪い…」
疲れ切った状態で半闇性野獣の集団の駆除に出た魔闘士隊の帰りを医務室で待つ。今は何の手助けも出来ない不甲斐なさにがっかりしてしまう。
「妹さん、それは逆かもしれない」
なぜいるのか、とも思うが中堅審査官は治癒促進の精霊を難なく使いこなした高い魔能の持ち主だ。人員が限られている探査基地では貴重な回復要員になるだろう。
「半闇性野獣は学習能力が高い。野獣たちは見ていた可能性がある。先日、ナーサリーを直接攻撃した仲間たちが駆除されたのを。隊員たちが連日の捜索で疲れている、絶好の機会を」
まじか、と隣で若手魔導士が引いている。
「中堅さん、そしたら魔闘士さんたちの攻撃手法まで野獣は見ていたかもしれない」
「可能性はある。隊員たちは北嶺での戦闘に慣れているだろうが、問題は野獣の数だ。日を追うごとに増えている…必要になるのは医療より除染だろう」
中堅審査官の冷静な予測が当たってしまったと分かるのは、三時間ほども待ってからのことだった。
岩窟の廊下をこだます叫び声が急速に近付いてくる。副隊長が一人の隊員の首の後ろをつかんで引きずりながら連れてきた。
「除染だ! 怪我の手当は後だ。こいつは焦って注意を怠った。闇性魔力を魔導した。思いっきり、特急でな」
副隊長は怒鳴りながら頑健魔闘士を除染室に投げ込む。怯えるように叫びながら身を縮める魔闘士から、破り取る勢いで服を剥いでいく。
魔闘士隊と妹、審査官以外の職員は闇性魔力の真の発生源が北嶺そのものであることを知らない。大気中に闇性魔力が残っているのは未処理の魔獣の死骸からいまだに強度に放散されているからだと説明されている。
はい、と異口同音に返事して作業に食いつく職員たちには刺のような緊張が充満している。闇性魔力の魔導超過が闇堕ちを生むことは警告されているし、だからこそこの魔闘士が恐怖に陥っているのだと理解している。
自分の身にも起こり得る未知の災害の被害者が目の前で叫んでいる、ローブの闇性魔力反射機能がバチバチと激しく反応する。耳をふさぐわけにはいかない状況で恐怖は否応なしに騒ぎ立てている。
後輩魔闘士が追いかけるように駆け込んできた。
「副隊長、彼の対応は僕が」
闇堕ちは通常より闇性魔力耐性が高い。汚染度の強い者を扱う役を担うために来たのだろう。
頑健魔闘士はほぼ全裸で除染液を浴びせられ、霊木茶を流し込まれては吐き、涙を流しながら訴え続けている。
「嫌だ。闇堕ちは勘弁してくれ。家族がいるんだ。会えなくなるなんて無理だ。闇堕ちして生きるぐらいなら死ん」
思わず突進しかけたが副隊長の方が早かった。副隊長が頑健魔闘士の頬を裏拳で張り倒すと、除染室の雪の上に血が飛んだ。
「だってそうだろ、闇堕ちだぞ! 嫌だ、生きていけない」
「妹よ、素手なら見逃す」
「膝で急所はいいですか!」
「どんな兄妹喧嘩をしてきたんですか。離れて。ナッツバターはありませんか、霊木茶を飲みやすくします」
「助けてくれ、最悪だ、まだ小さな子がいるんだ」
除染液や霊木浴は自浄作用を促進することで除染する時間のかかる方法だ。間に合わなければ固有能力は半闇性に侵され二度と元には戻らない。
大びんの除染液をぶちまける除染研究員に詰め寄った。
「魔術省の基幹除染室なら、もっと強い薬品がありますか」
「試作品はあるが、これほどの魔導超過を想定して作られてはいない!」
「何でもいいから助けてくれ、あるなら使ってくれ」
すまないが、と冷静に中堅審査官が割って入った。
「研究員が許可も効果も認めないなら無意味だ。襲撃を受けている今、魔術省に転移させるために同行する魔導士も、転移用の魔力も割くとなると基地全体の防衛、回復力を大幅に下げることになる」
「魔闘士隊本部から魔闘士と魔導士の応援を要請する」
副隊長が遠隔会話で連絡を取り始めた。間に合うのかな、と不安に思いながら後輩魔闘士を振り返る。頑健魔闘士に霊木茶を飲み込ませる彼の横顔は厳しい。闇堕ちの経験者として、状況が切迫していると分かっているのだろう。
もはや何を言っているのか分からないほど泣き崩れる頑健魔闘士を見下ろしながら、ローブの上から内ポケットの固有魔力用蓄魔晶石の存在を確かめた。
「妹さん、それをしてはいけない」
中堅審査官に潜めた声で耳打ちされる。
「君の精霊は使用目的を限定されているんだ。違反すれば君は一生を魔術省に拘束されて終えることも有り得る」
後輩が愕然と目を見開いて振り返る。隣の魔闘士が泣きわめいているのに地獄耳だ。
「魔術省はそんな不当な条件を…あれはあくまで調整の範囲に過ぎないと伝えたはずです!」
「彼らはそう思っていない。妹さんがこの基地から出ることさえ許可していない」
「あなたはそんな条件を受け入れてまで来たんですか」
「いずれにしても妹さん、動いてはいけないよ。後輩くんも言っていただろう、この基地は瑕疵なく運営されなければいけないと」
後輩と中堅、二人の厳しい視線が刺してくる。けれど心はとっくに決まっていて落ち着いていた。
「大丈夫。家の鍵は両親に預けて来ました」
「だめだ。戸締りレベルの話をしてるんじゃないんだ!」
「北嶺の闇性魔力が解明されない限り、魔術省は後輩さんに手出しできない。こんなにすごい研究者が他にいないから、わたしを無力化できない。違反だと言うなら、瑕疵なくわたしを罰すればいい」
兄が願ったように、闇性魔力が拡散する恐怖の伝播を止めなくてはいけない。
「頑健魔闘士さん、あなたは今、」
「やめるんだ、頼むから聞いて。頼むから」
バチバチと鳴り続けていたローブの音が大きくなる。誰かに腕をつかまれている。
「闇堕ちしないくらい、闇性魔力への耐性があります。そういう人です」
瞬時に視界がべたべたと黒く塗り潰されていく。
わー、思ったより強烈、闇性魔力手強いな、対価魔力が少なくて済む別の言い方あったかな、とか思いながら沈んだ気がする。




