37. 答えられない質問をする
「妹さん、脚の様子は」
「すぐ回復すると思います。副隊長さんが除染液も除染クリームも塗ってくれて」
自分でやれますと言った。けれど副隊長は返事の間も惜しむ手早さで妹の靴を脱がせ、『隊員のタマの裏まで塗り慣れている。遠慮するな』と、そんな繊細そうな場所までその力で塗り込んでいるのかと心配になるくらいの握力でクリームを押し込んでいた。
副隊長の冗談なのか、後輩魔闘士もその握力を味わわされたのか、さすがに聞けない。
「隣に座っていいですか」
どうぞと言うと、彼は隣どころか一つ離れたデッキチェアに浅く腰を下ろした。いつでも逃げられる体勢を取っている気がする。
「他人行儀に戻ってませんか」
「あなたが急襲で定性調整する困った方法と形見分けと除染について覚えていることは良く分かりました」
「わたしの記憶の封印については、審査部の方が頑張ってくださったそうです」
『頑張っておきました。寄り添いを勉強中です』と意味ありげに笑った人は新米審査官と名乗っていた。性別も年齢も雰囲気もつかみどころのない不思議な人だった。
「どこまで何を封印されましたか…すみません、我ながら間抜けな質問でした」
「封印された記憶があっても封印されてるから分からないんですよね…」
ですよね、と同意する彼の顔が少し赤い。動揺しているらしい。
「ええと…あの時の僕は思い上がった態度を取ってしまったかもしれません」
「後輩さんはむしろ慎み深すぎると思いますけど」
「考えてみれば僕はあなたがた兄妹の家以外で、妹さんに会ったことがなかったんです。だから、あなたが他の人とどんな感じで接するのか知らなかった」
それで? とうながすけれど、彼は言い淀んでいる。
「さっき、隊員たちと打ち解けた様子で」
「これから一緒に働く同僚ですからね!」
「審査官さんとも気さくな感じで」
「あの人動物好きですよ絶対」
「妹さんは誰にでも公平に人当たりがいいんだなと…知らなくて僕は形見分けの話を…、もしそれであなたが責任を感じて魔導士になったとしたら、僕の思い上がりのせいで申し訳なく…」
いつも丁寧に歯切れよく話す彼が絞るように言葉を継ぐ姿が新鮮だ。
「記憶が仮封印される前に、隊長さんに頼んだんです。わたしに魔導士になるよう強く勧めてくれるように。形見分けとは関係なく単純に、なりたいと思ったから」
人生を最大で最良で最善に重ねておけるチャンスが、そこから生まれると思ったから。
「だから大丈夫ですよ、今から形見分けの品を変えても。魔闘士隊史の本とかに。さすがに誰もあれを欲しいと言わないんですよ」
「先輩が隊史を手に取っていた事さえ驚きなんですが…いや何かを調べてたのかな。隊史が参考になる研究というと…」
不意に研究者の思索に沈む癖は変わらない。彼は除染室内の本棚にも置かれていた魔闘士隊史を引き出すと、少しのあいだ真剣に読み込んでいた。
後輩魔闘士を見ていると、彼も兄の形見だと分かる。誰も形見に欲しがらないような本が、彼の中の兄の記憶で一瞬にして特別な何かに変わる。この魔法を名付けるなら何だろう、と温かな気分で考える。
「残留記憶露見? なんか悪事みたいだなあ…発見というより、もっとこう誘い出される感じが欲しいな…」
「追憶案内?」
「近くなった! あ、邪魔しちゃった。すみません」
いつの間にか逆に観察されていた。彼はじっと様子を窺うように視線を留めたあと、『変えません』と強めに言った。
「そうだ、わたし、実は今お金持ちなんです」
王都で話題の魔法加熱器具、鐘でチン! は兄の特許を使ってくれていたらしい。製造メーカーから最上級モデルが送られてきたうえに、びっくりする額の特許使用料をもらってしまった。
そうじゃないかと思っていました、と兄の善き後輩は満足げに微笑んでいる。
「だから兄が借りてたあの家を買い取りました!」
借りている家なのに兄が魔術まで使ってそれこそ魔改造してしまって、原状復帰が難しいという事情もある。
「後輩さんが言い出したんですよ。下山したら、フィッシュパイを温めませんかって」
「はい。覚えていてくれたんですね」
「わたし、あの家に置きっぱなしになってる鍋、あれじゃないと一番の味に作れないんです。だから北嶺探査、ささっと終わらせて魚祭りしましょう!」
「フィッシュパイひとつと魚祭りはだいぶ違うと思います」
「ばれた」
「あなたは上手に言質をとってくれるから」
打って変わって晴れやかな笑顔がまぶしい。
「妹さんの脚が回復したらまず魔闘士隊直伝、北嶺を根城にしている治癒促進の精霊の手懐け方を教えます。血は苦手ではないですね? たくさん魚をさばいてきたなら、多少の内臓を見るくらいは大丈夫ですよね」
彼が魚を苦手とする理由が味やにおいではないような気がしてきた。
魔闘士隊直伝の少しハードな特訓は、その夜にすぐ実践の機会を得た。夜中に基地内を警鐘が鳴り響く。着たまま寝ていたローブの襟元にある遠隔会話ピンが魔闘士隊副隊長の声を伝えた。
『野獣襲来。恐らく半闇性。第三霊木ナーサリー東に北より接近中。魔闘士隊は直ちに東坑口に集合。魔導士団は医務室に待機願う』
飛び起きてブーツに足を裸足のまま突っ込み、同室の魔導士たちと医務室へ駆け込んだ。こういう時、終日着用のローブは助かる。前を閉めてしまえば下が裸でも気付かれない。さすがにナイトウェアを着ているけれど。
ローブをずらしながら防寒具を仕込んでいると、中堅審査官までやってきた。
「第三霊木ナーサリーは昼間、野外に放した有袋類のフクロンに適した灌木の群落に近いんだ」
精霊使用の監視に来たのかと思ったら、小さな生き物の心配だったらしい。
「なんか名付けてる」
「個体識別し定期的に観察して生態を明らかにするためだよ」
「理由になってません。番号でもいいのに」
「君は寝起きでも刺せるんだねえ」
隣でブーツの紐を締めていた若手魔導士が肩をすくめて話に入ってきた。
「フクロンて。オヤジの名付けじゃないすか」
「寝起きで殴れる若者もいたか」
「ダサくてかわいそっす。フクロックとかどうすか」
「あのふわふわにー?」
「北嶺の天使っていうけど怒らすと噛みついて離れねーらしくて、脚にぶら下げたまま流血してた魔闘士さんがいたんすよ」
「じゃあフクメロかな!」
「いいすねフクメロ! けってーい」
「君たちの会話についていけない…」




