36. 内心もバチバチ
先輩魔闘士の妹を追って中庭の除染室へ足を踏み入れると、中堅審査官は一瞬で目を奪われた。
霊木の濃い緑色の針葉には粉雪がかかり、その茂みに囲まれて暖炉は温かな色で燃え盛る。暖炉前のデッキチェアには毛布ぐるぐる巻きの妹がいて、心配そうな顔で隣に置かれた籠の中を覗き込んでいる。優しい情景だが中堅にとってそれはどうでもいい。
籠の中には柔らかそうな毛布が敷かれ、小さな動物が丸まっていて、その豊かな被毛が暖炉の炎を透かして黄金色に輝いていたのだ。
「あ、中堅審査官さん。この子は」
「北嶺固有の動物で臆病な性格ゆえに遭遇率が低く、木の実や子どもを腹に抱える小さな有袋類で、愛情深い性格と時に腹の袋の木の実を忘れて春に発芽させてしまうというドジな一面も持ち北嶺の天使とも呼ばれる希少な」
「霊木ナーサリーで半闇性野獣に追われているところを魔闘士隊員さんが助け出してきたそうです。怪我しているんですが、わたし、ここの治癒促進の精霊と相性が悪いみたいで。必要魔能は足りているのに、魔能力が低いと相手にしてもらえないらしく」
「僕が試そう。紋を貸して」
差し出された左の手の平には精霊紋が描いてあった。周囲に小さな切創がいくつも並び、血がにじんでいる。
「すみません、見苦しくて。治癒促進の練習中です」
新人魔導士は恥じ入っている。自分でつけた傷のようだ。精霊紋から切創の上に魔力を誘導するとすぐに傷は塞がり、役目を失った血だけが取り残された。
彼女は驚いた顔で手の平を眺め、礼を述べ、それから悔しがる。
「審査官なのに…魔能いらない職業なのに…!」
「持ち腐れと言われたのは今日二回目だよ。使ったんだから腐ってない。さて小さな生き物はどうかな…うーん、精霊は働いているようだが」
「半闇性野獣に受けた傷は治りにくいんだそうです。もっと魔力がいりますね。北嶺での魔導はコツがあるんですよ。わたしがお手伝いします」
「フードを引き下げてローブの中にこもるあれかな? 盗撮犯を見るような目はやめてくれるかな。職務だよ。手伝うと言っても君は魔導超過で回復中だろう」
「絶対内緒でお願いします」
「君は僕が君の監視役だと知っててなぜ無茶が通ると思うんだ」
「なんかすごく動物好きそうだから」
「どうして分かるんだろう」
「そこ不思議に思う審査官って大丈夫ですか」
「ほら。それだ。君は笑顔で刺してくる。予備動作なく間隙を突くのは君たち兄妹のお家芸なのか? それにやられるんだよ、彼は」
「…そろそろ回復したかと様子を見に来てみれば」
「あっ、いい所に! 魔能も魔導もすごい人が来てくれました」
ぱあっと彼女の顔が明るくなる。振り返ると、この嬉しそうな顔のまま刺されたばかりの人物がいた。
「僕が魔導すると半闇性になってしまうので、先輩の石を使ってください」
後輩魔闘士は手首を差し出す。はめられたバングルには高品質の魔晶石を先輩魔闘士特製の合金で包んだ、例の超高効率蓄魔晶石が埋め込まれている。
「君は先輩くんの超高効率蓄魔晶石を全て紛失したと聞いたが」
「魔力系健康状態が悪い時にいつの間にか。これは身に着けていたので紛失を免れました。バングルや石を外そうとすれば僕の命にかかわるようになっているので、僕の屍ごとで構わなければご査収ください」
にこりと誠実そうな笑顔だが、少なくとも紛失は嘘だろう。
闇堕ち魔闘士が大量の純正魔力を持ち歩けたら、門番も転移も最強の攻撃術も使えてしまう。審査部の連絡を受けて魔術省は接収を命じたが、彼の方が早かった。紛失した、制作方法は先輩しか知らないと主張した。
実際、基地内から石は発見されていないし、超高効率蓄魔晶石の特許も出されておらず、先輩の遺品に制作に関する情報は残されていなかった。
彼は自分の切り札を手放す気がない。何かを計画した時に蓄魔晶石で実現できるように備えている。蓄魔晶石の純正魔力充填は先輩の妹でなくても出来るし、彼女は間違いなく加担するだろう。
中堅審査官の保護先としてこの北嶺探査基地が選ばれた理由には、闇がち魔闘士の監視も含まれている。当然、彼もそう考えて警戒しているだろう。互いに完全な味方ではない。
籠の中の小さな生き物がもぞもぞと丸まりをほどき、辺りを見回し始めた。隠れていて見えなかった後ろ脚にまだ癒えていない傷がある。
「このままではまだ危険だと分かっていても、この子が外へ行きたがるなら行かせるべきかな?」
闇がちでも、この閉じられた基地から。
彼は自分の言わんとするところに気付いたようだが、確認してくるほど愚鈍ではなかった。
「本人にとっての最善を、時に本人さえ知り得ない。それなら僕たちは、最善を思って最善を尽くすしかありません」
彼が治癒促進の紋に指先をかざすと、彼女のローブがぱちぱちと鳴る。指先が蓄魔晶石の魔力を拾って小さな生き物に注ぐと、みるみる傷口が閉じた。小さな有袋類のつぶらな瞳がぱっちり開いて生気を取り戻す。
彼ほどの魔能の持ち主は、どれだけ傷つければ倒れるのだろうかと恐れずにはいられない。
「小さな有袋類くん、君を治療したのは王国魔術師だよ、驚きたまえ。高くつくよ」
「請求先は審査部でいいですか」
「経費にねじ込むのは得意だよ」
隣で先輩の妹が呆れている。
「王都民って初対面から真面目な顔で冗談を言い合えるスキルが必須なんですか」
元の野外に放すよう託された小さな生き物の籠を持ち、二人を残して除染室を辞した。彼女にとっては一か月ぶりの再会で、彼にとっては有り得ないかもしれないと思っていた再会だろう。
少し離れてから遠隔会話眼鏡越しに新米審査官へ話しかける。
「彼はいつから見ていたのかな」
『ガラスの水差しに人影が映ったのは『あ、中堅審査官さん』からです』
「最初からじゃないか」
『もちろん中堅さんが妹さんの手を優しく握って、傷を治してあげるところも』
「握ってはいないよ。小さな生き物の怪我を直す予行演習をしたんだ」
『後輩さんが立ち尽くすには充分でした。中堅さんときたら妹さんと仲良く話をして』
「動物の話をしただけだよ」
『他方、彼は石がなければ彼女の傷を治すことも出来ないし、定性調整直後でなければ彼女の手を握ることも出来ない』
「定性調整といえば、彼女は彼女の固有魔力専用の超高効率蓄魔晶石をいくつか持っているはずだね」
「固有魔力用蓄魔晶石は後輩さんの定性調整には不可欠なので接収できませんでした」
魔術省が研究のために一つ借り受けたが、外皮の合金を剥がした瞬間に合金は錆びて朽ち果て石は砕け散るという、技術を隠す罠としか思えない現象に見舞われた。
研究者は魔法虫を利用したのだろうと分析した。魔法錠が開発される前に秘密の文書のやり取りに使われた小さな虫だ。
手紙と魔法虫を一緒に遮光容器に入れておく。密かに設定された色以外の光を浴びると虫は瞬時に強酸をばらまき、文書を溶かしてしまう。この虫を蓄魔晶石に忍ばせることによって、解体の際に合金が朽ちた。
「石が砕けたというのは?」
「金属って酸で溶かされると、燃えやすい気体が発生するらしいんです」
「ああ、それを…光を浴びたら時間差で発動する鐘でチン! か」
「虫用と、発火紋用の魔力はメインの蓄魔晶石と別の石に取り分けてあったんでしょう。あるいは蓄魔晶石を解体しようとする者を発火の術者だと精霊に誤認識させるのか。とにかく蓄魔晶石を壊してしまって、彼女をずいぶん怒らせてしまいました。もう借り受けは無理です」
固有魔力用蓄魔晶石を失うと、大量の魔力を消費する定性調整を効果的に行えなくなる。定性調整という強力な精霊を操れる唯一の人物である彼女の協力を失うのも避けたい。魔術省は妹から超高効率蓄魔晶石を借りるのを諦めざるを得なかったそうだ。
結果、強力な術を可能にする超高効率蓄魔晶石の技術が無防備に流出するのを防いでいる。魔術省の届かない、妹か後輩魔闘士の手の内にしかない。
「先輩さんは恐ろしく先見の明がある人ですよ。本当に惜しい人を亡くしました」
「先輩くんはなぜこれを量産しなかったんだ。魔闘士隊に持たせればもっと楽に、それこそ先輩くんが命と引き換えにしなくても魔獣を倒せただろう」
「石です。どれほどの魔力を貯められるかは石の質にかかっています。彼らの蓄魔晶石ほどのグレードを持つ石は魔術省にも数個しかありません。先輩さんの入手経路は不明です」
「魔術省に高品質の蓄魔晶石の入手経路を問い合わせよう。彼らに切り札を持たれっぱなしにしておくわけにはいかないからね」




