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35. やられる

 彼の顔は途端に赤くなる。片手の甲を顔に押し付け隠そうとしているが、赤い耳は隠しきれていない。肩幅に開かれた脚は迷うようにわずかに踵が上がるが、彼は踏み出さない。

 じっと待っていた彼女は首をかしげてからポケットに手を入れる。魔法の杖を出すような楽し気な顔で取り出したのは指輪だ。切れ目の入った、魔闘士隊の識別紋章の印章指輪。

「二回でいいですか」

 聞かれた彼の手首にはバングルが光っている。

「これ以上待たされるなら四回にしようかな」

「機能は切ってあります。けど大丈夫です、覚悟はできました」

 と言ってからも逡巡していたが、ついにぱっと顔を上げて踵をそろえフードを襟に押し込んで、彼女へと踏み出す。事情が分からなくても何となく察して見守っていた隊員たちが、おお…と固唾を飲む。

 しっかり大きく歩いて距離をなくすと、後輩魔闘士は先輩の妹に両腕を回した。

「バチバチ僕バチバチ覚えバチバチバチ」

 新型ローブの反射機能の激しい反応で聞き取れない。新米に怒られると中堅審査官は思った。さりげなく彼らに接近する。

「後輩さバチバチ待たせてしまって」

「バチバチんですバチバチバチだけで」

『音声解析に回さなくては』

 舌打ちまで聞こえた気がして、中堅はもう一歩だけ接近を試みる。

 慈愛に満ちた微笑みをたたえる彼女は彼の背中にしっかり腕を回し、優しくさすりながら言った。

「反射音がすごバチバチバチでも闇性魔力にあなたは害されない。善き後輩さんはそういう人です」

 魔力がこれほど濃く揺れるのを初めて見た。気分が悪くなりそうなくらいだ。転移より門番より大量の魔力が彼女のローブを揺らす。闇がち魔闘士の眼が大きく見開かれた。

「…やられた」

 ずるずると脱力して後輩は彼女の足元にしゃがみ込む。

「指輪四回よりも効きました」

 急に彼の声が聞こえるようになった、と思ったらバチバチ音が消えている。魔闘士隊員たちもすぐに気付いたようだ。

「おい、闇性度が低くなってねえか」

「なんだと、よしチャンスだな。俺からのハグも受け取れこの野郎」

「一人で勝手に闇堕ちしやがってこいつ」

「離れろ離れろうるさかったんだよ、抱いてやるコラ」

 隊員たちによる乱暴なハグの嵐に遭っているが、後輩はもはや無抵抗にもみくちゃにされている。そこへ騒ぎを感知した副隊長が駆けてきた。

「何をやってる、おまえたち」

「こいつ今なぜか闇性度が低いんですよ」

 定性調整の精霊について魔闘士隊で知っているのは隊長と副隊長だけだ。ローブが防御する精神操作術リストにも入っていない。隊員たちは何が起きたのか分からないだろう。

「ふん、そうか。おい離れろ、私の番だ」

「副隊長、それハグじゃなくてヘッドロック」

 荒っぽい親睦が一通り済んだところで、持ち場へ戻れという副隊長の一言で隊員たちは意気揚々と散っていった。服も髪もぐちゃぐちゃで床にへたり込む後輩の首根っこを副隊長がつかむ。

「体調を申告」

「闇性魔力の作用が軽減しました」

「数値的評価、十段階」

「九から二。頭痛が三から八」

「私のヘッドロックは差分五に過ぎないのか。次は手加減しない」

「今の言葉で十に上がりました」

「一分後に服装点検。それで、先輩の妹」

 キュイと靴底を鳴らして、副隊長は小気味よく体の向きを変える。

「定性調整だな。厳重な使用制限が課せられていると聞いているが」

「使用指導を受けていました。後輩さんの魔力系体調が闇堕ち直後並みに低下しているので、即刻調整するようにと」

 ふん、と鼻を鳴らしながら副隊長は中堅審査官をきろりとにらむ。

「事前通達時にも抗議したはず。審査部単独で使用決定されるのは気に入らない。魔闘士隊員に対する使用に関しては、隊長および副隊長に決定権をよこせ。体を張って闇性魔力に対峙するのは隊員たちなんだ」

「対応を協議中です」

 そう答えたが、実際は協議されていない。審査部としては否だ。

 闇がち魔闘士の闇性制御の必要性から、魔闘士隊長と副隊長には妹の専属精霊の定性調整について明かす決定がなされた。ただし調整の実施決定は審査部が管理する。

 現在、定性調整の実行は闇がち魔闘士の有害性低減のみ許可されている。妹が独断で使った場合は拘束などの厳罰が課される。

 審査部は定性調整の重要性、任意あるいは事故的使用の防止、優れた魔導力などを総合的に判断し、妹の全ての記憶を残す代わりに行動制限を課す決定を下した。北嶺探査基地から許可と監視なく外に出ることは許されない。

 諸々の処理や手配、妹の魔術省魔導士の新人研修などでひと月が経過した。その間に北嶺の闇性魔力調査を積極的に行っていた闇がち魔闘士は被ばくが蓄積し、心身の不調が悪化していると報告されていた。

 距離を取って彼を眺めると、整列時の尖った雰囲気は和らいでいるようだ。

「再会のハグ中に調整しろというのは、後輩くんに酷じゃないかな。それとも魂が抜けるよう調整指示したのかな」

『配属後早急に、と伝えてありました。妹さんは言葉通り受け取ってしまったようです』

 後輩の魔力系の健康状態が悪いと聞いて一刻も早く調整を、と思ったのだろう。服装を整える彼を彼女は心配そうに見守っている。

「理容師が近寄れないから髪が伸びているぞ。燃やしてやろうか」

 副隊長は燃やす散髪が当然かのように言う。後輩は礼を述べつつ丁重に断っている。

「後輩、妹に医務室を案内しろ。魔導士として詰める時間が長い場所になる。治癒促進の精霊は必要魔能は低いが相性があるからな」

「はい。妹さん、こちらへ…妹さん?」

 立ち尽くす彼女を怪訝そうに振り返った後輩の顔が徐々に険しくなる。

「まさか」

「ごめんなさい。研修で鍛えたのに。ちょっとだけ魔導超過しました。足が動きません。大丈夫、除染室の場所なら知ってます、ほふく前進で行きます」

「素人の無様なほふく前進など見ていられるか」

 言葉が終わらないうちに新人魔導士は副隊長の肩に担がれていた。

 後輩魔闘士は完全に出遅れて唖然としている。きびきびと運ばれていく妹は感激の面持ちで副隊長を指しながら、唇だけで『かっこいい! この人かっこいい!』と興奮しているようだ。

 彼女らを除染室へ追いかけると思いきや、彼は体の向きを変えて話しに来た。

「中堅審査官さん、北嶺探査基地へようこそ。魔闘士後輩です」

 実際にあいさつするのは初めてだが、互いにそう思ってはいないと視線で分かる。

「先ほどの副隊長とのお話から考えると、定性調整使用の命令と監視も中堅さんの任務のうちかと思います」

「君をハグしに来たのかもしれないよ」

 爽やかな苦笑を浮かべる青年が仲間に手荒いハグを受けた騒ぎをふと、先輩魔闘士に見せてやりたいと思った。

「僕は魔獣討伐の日に、命が一度自分の手を離れたと思っています。自分がいなくても心ある者たちが王国を守ります。どうか彼女の心身に配慮した精霊運用をお願いします」

 彼女を使い潰してまで闇堕ちを生かす必要はない、と彼は言っている。言われるまでもなく王国にとって、闇堕ちと定性調整の精霊なら後者が大事だ。だがもし、北嶺の闇性魔力を抑え込むために良い状態の闇堕ちがどうしても必要なら?

 審査官としては、彼が予想しているであろう無難で期待外れな答を返すしかない。

「心配しなくていい。我々は定性調整の精霊の貴重性を充分に理解しているよ」

 そんな陳腐な言い逃れしか戻ってこないと分かっていてもなお、彼は請願するのだ。

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