26. 除染する
「除染室、と部屋のような名前ですが実際は半分屋外なんです」
後輩魔闘士は一時的に目が見えない彼女に除染室の説明をした。
魔術省の除染研究所を兼ねた基幹除染室は王都にある。北嶺の研究所には簡易的な小規模の除染室が備えられている。
研究所の一角が屋根のない中庭になっていて、山頂の自生地から移植した霊木を密集して植えてある。
霊木には森林浴をすることで固有魔力を整える作用があり、自己浄化力を高めることで受けた闇性魔力を除染する。除染室は固有魔力の回復にも除染にも有効な施設だ。
より積極的に除染や回復を促進するには、霊木を主成分として様々な薬草や精油を加えた薬品を調合する必要がある。
「ああ、それが昨日寝る前に後輩さんがくれた魔闘士御用達☆霊木の花蜜含有で抗闇性魔力効果のある温感保湿クリームなんですね」
屋外用暖炉に火を入れてくれているようだ。外気は頬を刺すように冷たくて、クリームの温感効果の必要性を実感した。
「全身に塗って雪見しながら霊木浴が一番早い除染法です。僕は魔闘士隊員同士でどこでも塗り慣れていますが…」
裸になるとか色々と死ぬ、と彼女は思った。
「早く回復して欲しい顔と手だけお願いします」
クリームべた塗り、温かい毛布巻き付け、毛糸で編まれた靴下に帽子、ローブで寒さ対策を施された彼女はデッキチェアらしき場所に寝かされた。彼の眼に自分がどう映っているのか知りたくない。
「少し動けるようになったら暇つぶしに、横の棚に魔闘士隊が置いていった本が…っ」
いきなりの緊張感と共に、ザザーっとそこそこの重量が排除される気配がした。
「有害図書だった」
「本の除染中でしたか?」
「除染は…できないタイプの害です。魔力を増強するという俗説があって、それもあって置いてあったんだろうけど、何でもないです。では闇性魔力値を測ります」
「定性調整、効きましたか?」
「あなたのを測るんです。ローブ脱いで僕を抱えたりしないでください」
「ハグできるずらし方を教えない後輩さんがいけないんですよ」
少しの間があった。
「率直に言って、僕はいま落胆しています」
しんみりとした口調だ。
「不意打ちではなく、まず僕と相談して欲しかったと思います」
彼女は押し寄せる申し訳なさを、理由と言う盾で迎え撃つ。
「時間がないから。傲慢魔術師はわたしの研究所滞在を渋々認めたけど、きっとあの手下魔闘士さんたちに北嶺登山を命じたと思う。わたしを確実に連れ戻すために。何か起きる前に連れ帰って記憶を消すために」
「同意見です」
「しかも後輩さんに魔力の有害性を定性調整したいですなんて相談しちゃったら、有害性の計測だー、テストだー、安全性だー、計算だーってうるさ…慎重に進めて、手下魔闘士さんの到着に間に合わないかもしれない」
「安全にはうるさい方です」
「傲慢魔術師、あの人、北に逃げたら酷寒が始末してくれるって言うようなやつですよ。消息不明騒ぎを起こすような闇堕ちはいっそ始末してこい、なんて手下さんたちに命令したかもしれない。闇性魔力発生源の話とか知らなかったら、信じてくれなかったら、信じたとしても」
目は開かないのに涙はこぼれ、それを拭くことも出来ない。
「あいつ言ってたもん、二日以上生存した闇堕ちはいないって。そういう命令した人が過去にいたかもしれない。何か起きる前にって。後輩さんの魔力の有害性だけでも消せるなら、あの人たちを説得できどうしよう鼻水たれる」
「拭きます…はい、光栄な役目をありがとう」
「小さな子扱い」
「衝動的に行動するのは小さな子です」
「瀕死の兄を救命するために衝動的に闇堕ちした子は?」
「善き後輩です」
「次に定性調整襲撃する時、わたしに口で勝てない子にします」
はは、と笑いが漏れる気配がした。穏やかな静かさが少し続いて、薪のはぜる音と葉ずれの音が柔らかく鳴っていた。暖炉の前で隣同士に座ってこの音を聞けたらいいのにと彼女は思う。
「…妹さんは、僕をよく観察してくれてたんですね。耳が赤くならなかったとか、マッシュドグリーンビーンズを飲み込むとか。あなただから僕を出し抜けるし、僕は出し抜かれてもいいと思ったほどです」
「じゃあ次も」
「だめです。相談してください。それもまずあなたを回復させてからです。二日はかかります」
「トイレは!」
「魔獣討伐戦直後は除染中に失禁していた魔導士も…はい泣かない、これに懲りたらもう二度と無茶はやめてください。約束してください」
「『もう一度あの瞬間に戻っても同じことをする』って無茶して闇堕ちした時のことをそう言った魔闘士が棚に上がって諭してきます」
「言いました。けれど、今は少し違います」
彼の声音に真剣さが満ちる。
「『もう一度あの瞬間に戻ったら、より良い手段を使えるようになった僕がいる』と言えるようにならなくては」
その口調は穏やかで落ち着いている。彼は今も兄を救う方法を、まだ兄の最善を考え続けてくれている。この善き後輩が害されないように定性調整奇襲を続けなければ、と彼女は思う。善き後輩と調整されなくても、最初から善き後輩だったに違いないこの人を。
「そう言えるようになれば手帳を遺した古株先輩や、専属精霊を遺した先輩に託された王国の…人々の。精霊を遺した先輩。魔力の渦に惹かれる野良精霊」
後輩が思考の道を繋げ始めた気配がする。彼女が気を遣って黙っていると、ややあって後輩はきっぱりと言った。
「妹さんのサイズを教えてください」
「なぜ」
「細さを知りたいんです」
「普通、豊かさを先に知りたいものでは? じゃなくて、知ってどうするんですかそんなもの」
「指輪を作るためです」
「あ、ウエストじゃなくて指のサイズ…指輪?」
ゆびわのわが裏返る。
「急いで遠隔会話指輪を作ります。あなたがトイレに行きたくなったら僕を呼べるように」
「介護」
「僕の方はバングルにします。蓄魔晶石をはめる場所がいるのと、外見から対になった魔術具だと敵対者に露見しづらくするためです」
「次回の定性調整では物理的に後輩さんを昏倒させたい気持ちでいっぱいです」
「遠隔会話術具が暴力に発展する式を後で次数下げして教えてください。手袋を外していいですか? うーん細いな…幅で刻紋のスペースを取るか…いや無骨になると魔術具バレする」
トイレ介助コールの指輪におしゃれさはいらない。と、彼女はふてくされながら思った。
幸い、トイレの必要性に駆られる前に視界も四肢の自由も取り戻すことができた。全身に霊木クリームを塗りたくり終えた時に彼は戻ってきた。
「魔導量の多い魔導士は回復が速いと聞きました。妹さんは魔術省でも即戦力になれますよ」
実は安定と高給の魔導士を目指そうかと思った時期があった。けれど完全にやめた。官給品の防御や鍵のためにひたすら魔導し続けたり、失禁するまで酷使されるからこその高給と知ったから。
「今にして思えば、兄が褒めるふりしてわたしを魔導上手に定性調整してたんだって分かります。蓄魔晶石の充填係として便利なように、だったかもしれませんが」
「定性調整はあくまで調整の範囲だろうと僕は思っています。討伐消極派が説得されたのも、内心では魔獣の脅威のない王国を望んでいたからだと。その程度で大量の魔力が必要なんです、無から有を生み出すには膨大という言葉ですまない量がいるでしょう」
彼は優しい眼をする。
「先輩はあなたに無茶もさせたようですが、僕に帰宅を送らせながら言っていたものです。『あの選び抜いた海塩とハーブの絶妙な配合にたどり着くまで、妹がどれだけ試行錯誤したか。それをおまえは! 完成したころにひょこっとやってきてツルっと食いやがった』と」
「フィッシュパイですか。無理に食べさせておいて文句言うなんて兄がすみません」
「先輩はあなたの努力をちゃんと見ていて、あなたを誇りに思っていて、自慢したかったということです」
妹は回復してて良かったと思いながら、指先でこっそりと温かい涙を拭った。
「では、これをどうぞ」
彼はデッキチェアの端に指輪を置き、すぐにさっと距離を取る。定性調整前と変わらない闇堕ち魔闘士の様子に不安になる。
「後輩さんの闇性魔力有害度、どうなってますか」
「少なくとも高くなってはいません」
「教えない気ですね」
「教えません。さて遠隔会話指輪の説明をします。すみません、急ぎなので仕立て直しで」
彼女は指輪を手に取る。輪の一部に切れ目を入れてサイズ調整したらしく、彫金されたデザインが少し歪んでいる。裏側には極小の精霊紋がびっしり刻まれていた。
「えっ! これ魔闘士の指輪印章ですよね? 兄も持ってました。そんな大事なものを、後輩さんの識別紋章が歪んじゃってるし! 官給品! 弁償!」
「構いません。もともと本人証明以外は何の機能もない指輪です。内側に遠隔会話用の紋を入れました」
こぶしを握って圧力をかけると回数に応じて発動する機能が違うという。
「一回で遠隔会話でき、もう一回握れば会話機能が切れます。二回連続で握れば僕はあなたを探しに行きます。三回連続なら僕はあなたの身に危険が迫っているという前提であなたを探しに行きます。四回連続は、僕があなたを害そうとした時に発動してください」
三回までは胸の高鳴る機能だったのに、四回が不穏だった。
「四回連続は何が起きるんですか」
彼はにこっと微笑む。
「教えません」
彼女は彼の手首にはめられたバングルを見る。四回の合図であれが爆発するんじゃないか、と彼女の胸は黒い不安で苦しくなる。
「四回で…魚が後輩さんめがけて飛んでくるなら、釣りに使おうかな」
彼は眉を上げて、それからはは、と楽しそうに笑った。
「北嶺の川にはほとんど魚が棲息していないので、釣果は期待しないでください。では連絡手段を準備できたので、僕は少し出かけてきます」
研究所の門番の精霊は彼を通さない。絶壁の中の岩窟である研究所から行けるのは旧魔獣棲息域と山頂付近の霊木自生地、その北の未踏の酷寒の地だけだ。
「どこへ」
「王都へ」




