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002:木こりの男ともう一人の少女



 トンネルを抜けると――じゃなくて、目を開けると知らない世界でした。


 三条未来(さんじょうみらい)は現実逃避でそんなナレーションを脳内に浮かべてみたが、どうやらこれは現実らしいとつねった頬が教えてくれた。

 普通に痛みを感じてとりあえず未来はしゃがみこむ。


 ここはどこだ。この森はなんだ。いかにも怪しげで何かが出てきそうだ。

 木の影に隠れて状況を整理してみても、全く意味が分からない。


 いつものようにクラスメイトから暴行を受けていた。

 その際、クラスメイトの拳が顔に向かってきたのだ。

 反射的に目を閉じて――目を開けたらここにいた。


 紫色になっていたはずのお腹のアザが消えている。それだけではなく、暴行の痕はすべて綺麗になくなっていた。顔にもいくつかあったのだが、鏡がないから確認はできない。

 しかし、この様子だとなくなっている可能性が高い。


「……よ、喜んでいいところ?」


 どうだろうか。よく分からない。

 そもそも今の状態が分からない。

 それでも、クラスメイトの姿が消えたことにかなり安心していた。


 未来は、膝を抱えて息を吐く。

 良かった、本当に良かった。

 今日こそ、危なかった。


 今まではなんとか逃げきれていたが、そのせいで痺れを切らした男子が倉庫に内側から鍵を掛けたのだ。

 もし、あのままだったら――今日こそ、私は。


 そう考えてゾッとする。遅れて震えがやってきた。


「こわかった……!」


 自然と涙が溢れていた。


 助けてくれる人間なんて誰一人いなかった。

 叔母も叔父も助けてはくれない。未来をひどく嫌っていた。

 お前のせいでお前の両親は死んだと事あるごとに未来を殴った。


 家でも学校でも居場所はなかった。


 もううっすらとしか覚えていない両親のところへ自分も行こうかと、死のうとしたこともある。

 結局、死ぬ勇気はなかったが、事故か何かで死ねたら――と考えたのは一度や二度じゃない。


 不可解な今の状況より、よっぽどいつもの日常の方が怖かった。


 周りは森で、誰もいない。

 そのことがこんなに安堵をくれるだなんて――なんて、悲しいことだろう。


 しばらく未来は泣き続けた。一時間は泣いただろうか。


「うん、大丈夫。大丈夫」


 言い聞かせるようにそう言って、やっとその場から立ち上がった。



 


「ここ、どこだろう……?」


 森の中で歩き回り、疲れては休憩した。

 景色はずっと緑ばかりで森を抜けそうな雰囲気はない。幸いなのは動物らしき生き物などにも遭遇していないことだ。いかにも狼や熊なんかが出てきそうな雰囲気だが、今のところ出てきてはいない。


 お腹が空いたなと木の下に腰を下ろして未来は溜息を吐いた。


 このままでは餓死してしまう。けれど――それも、いいかも知れない。


 空腹のあまりそう考えた瞬間に、がさりと木々の間が揺れた。


 未来はつい笑ってしまった。

 いつも、こうなのだ。

 もういいや、とあきらめかけた瞬間にいつも何かが未来に起こる。

 不思議だが、そのおかげで今生きていると言ってもいい。


 要するに、運が良いのだ。


 学校行事である山登りのスタンプラリーでコースから離れた場所に置き去りにされた時も、キャンプ体験でバンガローを真夜中に追い出された時も、修学旅行の一環で行ったスキー場の雪山で置き去りにされて遭難しかけた時も。

 プールで水面に押さえ付けられていた時や首吊りの真似事をさせられていた時だって。


 絶対に何かが起こって未来は不思議と生き延びた。


 今も、そうだ。


「あんたどうした!? なんでこんなとこにいる?」


 背中に薪を背負った髭の長い老人が目を丸くして未来に駆け寄ってくる。


「すみません、あの、ここは……どこですか?」


 未来がそう尋ねると老人は丸くなっていた目を更に大きく見開いた。






「可哀想になあ……なあんも覚えてないんだな」


 老人は未来の話を聞くと、哀れむようにそう言った。


 どこをどう解釈したのかは分からないが、未来は嘘は言っていない。

 真実だけを告げたら、何故か「何も覚えていない」と解釈されたのだ。


 ここがどこかも分からない。家族はいない。気がついたら森にいた。

 それを更に詳しくして話したのだが、記憶喪失のような形で老人には受け取られていた。


 老人は森の手前に小屋を建ててきこりとして暮らしているらしい。

 今はそこへ向かう道中だ。


「ミルァイは不幸な目に合ったんだろう。それで忘れてしまったんだろう。多分、そうだろう」

「ミライです。……ええっと」

「ミルァイ。いい、いい。思い出さないほうがいいこともあるもんだ」


 うん、うん、と頷きながら老人は歩いていく。

 ついておいでと言われたミライは素直に老人の後を追った。



 老人はいろいろと教えてくれたが、どれもミライには不思議なことばかりだ。

 聞いたことのない大陸名、聞いたことのない街の名前。

 きこりという職業も現代人のミライには不可解な職業に映る。


 しかし、話を聞いて分かったこともある。

 到底信じられないが、ここが地球ではないことや魔法を使えるひとがいること、言葉が通じていることなど。


 ミライが生きていた世界とは似ても似つかない風景が、徐々にミライにも馴染んでくる。

 二時間も森にいれば、見慣れてしまうのは当たり前だ。


 そして、この世界に来て大いに安心したミライだからこそ「帰りたい」とは思わなかった。

 今はそうだが、もしかしたらしばらくすれば帰りたくなるかも知れない。


 それは分からないが、とにかく――お腹が空いて堪らなかった。


「ついたぞ。パンとスープしかないが……」

「ありがとうございます……」


 小屋に入ってすぐに出してくれたパンは見た目にも硬そうだった。が、空腹のミライにとってこれほど嬉しいものはない。


 涙ぐんでお礼を言うと老人は薄く笑った。


 次いで、木を削って作ったような器に具のないスープを入れて老人は出してくれる。


 まず、器を両手で持ってミライはスープを飲んだ。甘味のあるスープで味自体はとても薄かったが、それでも美味しいと心から思った。


 普段、ミライは朝食も昼食も充分に食べられない環境にいた。

 すっかり胃は小さくなってしまい、いざ食べろと大量の料理を出されても食べられない状態になっているだろう。夕飯だけは質素ながら、おかずと御飯を出してくれていた。

 しかし、朝食はあるときもあればないときもあり、昼食は購買でパンの耳を貰っていた。


 日常的に暴行を受けていたミライはそのせいでアルバイトさえ満足に見つけられず、空腹を我慢して部屋に閉じこもることしかできなかった。

 もしずっとその生活だったら、いずれは栄養失調が祟り死んでいたのかも知れないが、ミライが死なない程度には叔母は食べ物を与えているようにも思えた。


 かたくて味のないパンだ。

 けれども噛めば噛むほどに、空腹感が消えていく。


 美味しい、美味しい、と零して泣きながらパンを食べるミライに、老人は最初ぎょっとしたが次第に涙を浮かべ始めた。


「なんだ……あんたみたいなお嬢さんが、こんなもんで……。もっとうまいもんがあればなあ……ごめんなあ。ひとりだと、つい、こんなもんばっかりになっちまう」

「美味しいです……すごく美味しいです……!」


 スープを飲み干して一息つくと、ミライは涙をぐしぐしと拭って丁寧に手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


 頂きますは言えなかった。言う前に手が伸びてしまった。

 だから、最後はきちんとしようと手を合わせて食後の挨拶をした。




「なあ、ミルァイ。行くとこはあるんか?」


 ぼんやりした、優し気な目で見られているような気がした。

 ミライではない何かを見ているようで、きちんとミライを見ているような、そんな眼差し。

 ミライは不思議な気持ちを抱いていた。今までそんな風に見られたことはないかもしれない。じぃっと見られているのに全く嫌な気持ちにならなかった。


「えっと、行くところは……ない、です。たぶん」


 突然世界が変わったと思う。

 前触れも何も無かった、とミライは思い返しながら答えた。


「そんじゃあ、ここで一緒に暮らしてみるか?」


 老人――ツヴァイは穏やかな顔でミライに微笑みかけた。





 南の大陸で生まれ、小さな村の村長の次男として生まれてきたツヴァイだったが、村長の威を借りて幼少期はとても我が儘に過ごしてきた。

 その生き方は二十代になっても変わらず、とうとう家族と親戚、村中の人間に愛想を尽かされてしまいツヴァイは村を追い出された。

 仕方なく旅に出て、しばらくは旅先で手に入れた品物を大きな街で売って稼いでいたが、傲慢な性格のせいで客足もすぐに途絶えた。


 気がつけば、一人になっていた。

 女房もいない、子供もいない。


 一人きりで年老いていくだけの自分に何度涙を流したか分からない。

 ツヴァイが完全に心を入れ替えた時には既に四十を超えていた。

 余生を生きながら後悔ばかりしている。


 何度も思い出しては恥ずかしくなり、苦しくなり、眠れなくなる時もあった。

 自分が一番偉いとふんぞり返って村で一番の美人にあれこれ申しつけ従わせた。彼女は優しさで言うことを聞いてくれていただけなのに。改心すると信じて待っていてくれたのに、気付けなかった。

 仲間だと言っていた奴らもみんなこき使った。彼らもまたツヴァイを嫌わず、いつか思い直すだろうと待ってくれていたのだろう。


 思い返せば思い返すほどに思い当たる節がある。

 誰もが優しくしてくれていた。

 それなのに、自分は何一つ気付かず――。


 ツヴァイは今ではただの普通の老人だが、若い頃の自分の性格に未だ怯えて、街へ行ってもすぐに逃げ帰ってしまう。

 そんなツヴァイに友人というものができるはずもなく、このまま死ぬのを待つだけの本当に何もない老人だった。


 しかし、とツヴァイは思う。

 小さな娘が泣きながら、ツヴァイの焼いた不味いパンを美味しいと貪る姿は胸を打たれるものがあった。

 娘は近くの街へ送って、再び一人になる選択をするつもりでいたはずなのに、気が付けばツヴァイは口走っていた。


 一緒に暮らしてみないか、と。


 もしも結婚して、娘がいたら。

 こんな風に穏やかな生活が遅れていたのだろうか。


 ツヴァイは思う。

 最後くらい、誰かと過ごしてみても良いのではないか。

 先はもう長くない――きっと、もうすぐだろう。


「いいんですか……?私、なにも、お金も何も持ってなくて……」

「いい、いい。ミルァイには飯でも作ってもらうかなあ」


 ツヴァイは幸せそうに笑う。


 いい娘を見つけられた。

 血は繋がっていないけれど、きっとこんな娘が自分の娘だったのなら大層可愛がっただろう。

 森で無事のまま見つけられて良かった。この娘が死なずに済んで良かった。――心から、そう思った。



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