無題
窓は少し高い。背伸びをすればギリギリ見えるけど疲れた足では大変だ。
幸い牧が立て掛けてあったのでゆっくり倒して台にする事にする。
ウィルがお行儀よく椅子に座っている。それだけ。何もしていない。ここからだと後ろ姿しか見えないけど動きが無いから。
あの時ウィルは扉の先を見ていた。
何かに気付いて私を追い出したんだ。きわめていかんである。
窓からまっすぐ開いた扉を見る。
程なくして私は男の人がこちらに向かって歩いているのに気付いた。
ウィルの叔父さんだ。確かレオナルドさんって言ったっけ。レオナルドさんは回復魔法が使える。確かほうじゅつ?そんな名前。回復魔法の方が分かりやすいのにね。
前に一度転んだ時に怪我を治して貰った事がある。
とっても優しそうな人だった。ほうじゅつは優しい人でないと使えないらしい。だから他所から来たけどみんなから信頼されている。
今もニコニコして長く縛った金髪を揺らしながら歩いている。ウィルには似てないわね。
「ただいま」
「…………おかえりなさい」
レオナルドさんが家に入ってきた。抑揚のない声で挨拶をするウィル。今も椅子に座ったまま。どんな表情をしているのか分からない。
「ああ、ウィル。今日は家にいたのか………………ん?」
「………………ッ」
何かに気付いた様な様子で首を傾げる。
気のせいか一瞬ウィルの体が震えた様な気がする。
「ウィリアム…………どうして椅子に座っているんだ?」
「叔父さんがこの前座っているようにって言ッ!」
突然レオナルドさんがウィルを殴り飛ばした。
ッ!!なに?なんで!?なんでぶったの!?
ウィルは椅子ごと床に投げ出された。
何も言わない。悲鳴も上げない。転んだから初めて顔が見えた。
表情は何もない。いたい気持ちもこわい気持ちもおこった気持ちも何も映ってない。
「家の主人が帰ってきたのなら立ち上がり挨拶をするものだ。礼儀は正しく学ばなければいけないよ」
「…………はい。すみませんでした」
レオナルドさんは笑いながらウィルの体を踏んでいる。
私の膝を治した時と同じ顔で。
なんでっ!?こわい!今すぐ逃げたい!でも足場の薪がぐらついてる。降りたら音が出ちゃう!動けない!
「こらこら。いつまで寝てるんだ。兄さんの子ならもっと堂々としていなければいけない。ほら、手を貸すから立ち上がりなさい」
「…………ありがとうございます」
レオナルドさんの手を取り立ち上がるウィリアム。
袖が捲れて腕の傷が腫れているのが見える。
あの傷はレオナルドさんにつけられたんだ…………!
誰なの!?この人は本当にレオナルドさんなの!?わかんないわかんないわかんない!ただこわい!!!
「ん?…………ッ!?腕に傷が!怪我をしているじゃないか!!!」
「あ…………」
初めてウィルの顔が歪んだ。
何かとても怖いものが今からやってくる様な。
そういう怯えた顔をしている。
「…………いと尊き君よ。我が親愛なる隣人を癒したまえ」
レオナルドさんが祈るとウィルの腕が淡く光り、どんどん傷が癒えていく。ついには怪我の痕すら消えてしまった。
「ああ…………良かったぁ。まったく、兄さんは慌てん坊だからなぁ。また人助けで出来た傷なんじゃないの?」
「………………」
兄さん?兄さんってどういう事?
レオナルドさんは笑っている。
さっきの笑顔が作り笑いなんだと思うほどに穏やかに。
笑いながらウィルを抱きしめた。
「ああ…………兄さん、兄さん!怪我が大した事なくて良かったぁ。兄さんに何かあったらと思うと気が気じゃないんだ。僕は兄さんがいないと駄目なんだ。僕の前を歩いて欲しいんだ。ずっと僕の手を引いてよ…………なのに。なのに!この売女がああああああッ!!!!!」
「ぎっ…………!」
いきなり怒ってウィルの体を投げつけるレオナルドさん。
背中から壁に叩きつけられて倒れるウィル。酷く咳き込んでいる。
なに?なんなの?わからない!何も考えたくない。怖い!!!
「兄さんを連れ去った魔女め!移民の女がちょっと兄さんの優しさに触れただけで勘違いしやがって!!!その黒髪を見るだけで殺したくなる…………。返せっ!兄さんを返せえええ!返してくれよおおおお!!!!」
「うっ…………ぐぅ…………」
ひたすら蹴られるのをウィルは丸くなって耐えている。
唇を切ったのか口の端が血で汚れていた。
「はぁ…………はぁ…………。ッ!?血が…………ごめんよぉ兄さん。兄弟喧嘩なんて久しぶりだから加減がわからなくて。すぐ治してあげるからね…………」
抱き起こしたウィルの額に自らの額を合わせ口元を撫でるレオナルドさん。
再びウィルの傷を治していく。
「ああ…………兄さんの匂いだ。安心するぅ。この世の誰より愛しているよライナス兄さん…………」
強く抱きしめられるウィル。
叔父を視線から外す様に大きく首を動かし、私と眼が合った。
驚きもなく。怒りや悲しみも見えない。その顔に表情は映らない。
ただ私にはウィルがこう言っている様に思えた。
なんで助けてくれないんだ
「ひっ!?」
足台にしている薪を踏み外し転んでしまう。薪が家の外壁にあたりガタッと音を立てた。
まずい!
「ん?外から物音がしたな。ここのところ物騒だからなぁ。僕が確認してくるから兄さんは待っててくれよ」
窓の向こうは見えない。
でもレオナルドさんはここに来るつもりだ。
逃げないと……逃げないといけないのに足に力が入らない!立てない!!!やだぁ!やだやだやだやだ!!!
「あのっ!待ってください!!!
「ん?」
ウィルが大きな声で引き留めた。
今まで聞いた事の無いような大きな声だ。
「あの…………猫を。猫がいたから。餌をあげてたんです。それで多分居ついちゃって。今日も餌をやるために家に残ってたんです」
拙い子供みたいな言い訳。いつも冷静なウィルにしては辿々しい。
猫…………?私?…………庇われてるんだ!
「んー猫か。僕も猫は好きだよ。…………覚えてるかい?僕が猫を飼いたいって駄々こねてさ。あの時も喧嘩になったっけ…………」
足をとめた様で家から声がする。
助かっ———
「だから猫嫌いの兄さんが餌やりなんかする筈ないだろ!ふざけてんのかッ!お前なんか兄さんじゃないッ!!!」
「がぁ…………ッ!」
ウィルの声がする。何かを殴る音もする。足が動かない。だからもう窓の向こうは見えない。見なくていい。
「本当にカラダだけは兄さんにそっくりだなぁウィリアムゥ!その恵まれた容姿で僕の妻も誘惑したんだもんなぁ?」
「…………はい。そうです」
「否定しないんだなぁ。しかしそういう所は本当に淫売の母親によく似ている。さて、傷を治さなければいけないな。…………服を脱ぎなさい」
「はい…………」
「ああ。本当に小さい頃の兄さんそっくりだ。もっと確かめさせてくれ」
「はい…………」
この壁一枚の向こうで何が行われているのか。
さっきと打って変わった程の小さい声と湿った音。
何にも考えたくない。
私は両手で耳を塞いだ。
「…………大丈夫か?叔父さんは仕事に戻ったから安心しろ」
気が付いたらウィルが側に立っていた。
大丈夫?安心しろ?大丈夫なわけがない。安心出来るわけがない。なのにこうして私を心配して来てくれている。
「さっきの…………」
「何も言うなよ。君には関係ないと言った筈だ」
「………………」
「気にするなよ。怪我は治してもらえてる。腕の傷は僕がとちって出来ただけだ。だから何にも問題はないんだ」
ウィルの気持ちはわからない。
私を慰めている様にも本気でそう思っている様にも見える。
差し伸べた彼の手をとってゆっくり立ちあがる。
そしてそのまま彼を抱きしめた。
「ちょっ、何するんだいきなり!」
「何も問題ないわけないでしょ!…………ずっと耐えてたんだ。苦しんでたんだ!…………ひっく……ごめんねぇ。気付けなくてごめんねぇ…………」
「あ…………」
昔のウィルはもっと明るかった。
今みたいになったのは本当のお父さんとお母さんが亡くなったからだって大人は言っていた。そっとしてあげようって。
でも違ったんだ。ウィルはずっと地獄にいたんだ。
誰にも助けを求められずに。独りぼっち。
どれだけ辛かったんだろう…………私には想像も出来ない。
でもこれからは違う。私が独りになんかさせない!私がウィルを助ける王子様になるんだ!
「私…………ずっとあなたと一緒にいるわ」
「ふっ、なんだよそれ。プロポーズみたいだな」
そう言って笑うウィル。下手くそな笑顔だ。
でも久しぶりにウィルが笑ってるのを見た。眼に涙が滲んでいるのは笑ってるせいだろうか。
敵は強大だ。みんながレオナルドさんを信じるだろう。
傷もないしウィルだって進んで話すとも思えない。
話せるならこうはなっていないだろう。
まずはウィルの心を変える所から始めないとね!
「ウィル!今日から私達は姉弟だから!私がお姉ちゃんね!」
「恋人じゃないのか?」
「〜〜〜〜〜ッ!揶揄わないでよもうっ!」
「はいはい姉さん。じゃあ可愛い弟に手に持ってる本を返してくれよ」
「これはだーめ!…………一緒に読むならいいわよ?」
私は原っぱに座り込み本を開く。ため息をつきながらも隣に座ってくれるウィル。どこか嬉しそうな気がする。
「やれやれ、読みにくいだろうけどなぁ」
「いいの!ほら、端っこ持って!」
これは私達が家族になった日のお話。
姉弟になり、共同執筆者になり、そして家族になる。
そんな話の序章だ。
私達の長い人生の物語。
どうか暫くの間お付き合い下さい。
——————————————"蔵書の火葬"本文より。




