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賢者様の小間使い  作者: 玉雪 芙泉
第1章 城塞都市エオドール

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44話 豊穣


「あら、物騒ね。何故そう思うのかしら?」


 オリヴィアは口元に笑みを浮かべたまま、そう淡々と問いかけた。


「…麦畑を囲う壁なんて依頼、私にする必要はないでしょう。

 ここには優秀な土魔法の使い手が多く、それも壁造りだなんてエオドールの得意分野だ。

 それなのに、貴女はわざわざ私に依頼した。

 この情勢では絶対に頼りたくないであろう私にです。

 そりゃあ何か裏があると思いますよ」


 へらりとあえて軽くおどけて答えたレイに、オリヴィアはくすりと笑みをこぼした。


「その裏が人質、と思うのは何故?」

「それはもう、エオドールやオリヴィア様にはいろいろとご迷惑をおかけしていますので…」


 気まずげに口をもごつかせるレイに、オリヴィアは一度目を伏せ、ゆっくりとカップの縁を指先でなぞる。

そして、その艶やかな薔薇色の唇から蜜のように甘い声がこぼれ落ちた。

 

「貴方に人質の価値があるだなんて、いいことを聞いたわ」

「いや、そんな価値は全然ないです!!

 むしろ、私を人質にしたら、それはもう嬉々としていろいろ吹っかけてくると思います!!!」


 慌ててそう力強く言い切るレイに、オリヴィアはふっと小さく息をはいた。


「知ってるわ。だから、そんな愚かなことはしなくてよ」


 そう言ってカップに口をつけるオリヴィアに、レイは戸惑いが隠せない。

予想していた思惑が外れ、オリヴィアの意図が全くわからなかったからだ。

そのまま優雅にお茶を楽しんでいるオリヴィアを前に、レイはどうしようかと逡巡し、結局素直に尋ねることにした。

 

「あの、では、一体何故私に依頼を…?」

「貴方も認識している通り、貴方に何かあればどんな難癖をつけられるかわからない。

 ドラゴンに大侵攻、その後の開拓と問題が山積みなのにこれ以上の横槍はごめんだわ。

 ただでさえ、いろいろと煩わしいことが続いているのですもの、ねぇ」


 にっこりと華やかな笑みを浮かべるオリヴィアの瞳に冷たい光が灯る。

その瞳に晒されたレイは、まるで蛇に睨まれた蛙のように固まり、ごくりと生唾を飲み込んだ。


「麦畑の囲いはただの建前ですから、うちの子たちがすでに作業済みよ。

 貴方にはただ、この騒ぎが終わるまで大人しくこちらで用意した場所に籠っていてほしいの。

 もちろん、その間の衣食住の保障に加えて、最初に提示した報酬である歴史的資料の一部もお貸しするわ。

 時間も潰せてちょうど良いでしょう」


 なんて最高な環境なんだ…!

先刻と同様、思わず飛びつきそうになるのをレイはなんとか理性で抑えこみ、口を開いた。


「…ありがたい話ですが、いただいてばかりでは申し訳ありません。私に何かできることはありませんか?」


 このままオリヴィアに借りを作るのはまずい。

嫌な予感に背筋に冷たいものが走ったレイは、とりあえずこちらからも何らかの働きをする意思があると申し出ることにした。

そんなレイの思惑にも気がついているだろうオリヴィアは、小首を傾げる。


「麦畑の壁の一部は貴方がやったということにしているから、気になさらなくて結構なのだけど…

 でも、そうね…貴方は歴史研究者だそうだけど、古い魔法についても詳しいのかしら?」

「そうですね…専門家ではありませんが、古代の魔法についてならある程度知識はあります」

「それなら、古い魔法陣をいくつか解析してもらいたいわ。

 頼めるかしら」

「はい!ただ、専門外ですし、解析できるとお約束はできませんが…」

「それで結構よ」


 そう言って再びカップに口をつけたオリヴィアに、レイはほっと小さく息をついた。

息を呑むほどの美貌とその魅せ方を知り尽くした仕草。

どこか作り物めいて見えるが、彼女の全身から滲み出る威圧感がそんな幻想的な印象を塗りかえる。

背筋が勝手に伸びるのは、そのオーラのためか、それとも……


「そんなに怯えなくても、取って食べたりしないわ」


 すべてを見透かすように静かな光を宿した碧色の瞳がゆっくりと瞬く。

柔らかな笑みを浮かべたオリヴィアは、一見嫋やかな佳人にしか見えない。

それでも緊張が拭えないのは、やはり彼女に()()()があるからだろうか。

しかし、そんなレイの思いとは裏腹に、どこか友好的なオリヴィアの雰囲気に目を瞬いた。


「いえ、その…私は相当心象が悪いだろうなと思っていましたので、どうしても緊張してしまって…いえ、こちらが全面的に悪いんですけども!」


 レイの言葉に今度はオリヴィアが目をぱちりと瞬いた。

 

「あら、そんな風に思わせる態度をとったつもりはないのだけど…もしかして、フィオナかしら?」

「いえ、そんなことは…」


 あははと誤魔化すレイにオリヴィアはそっと息をついた。


「そう…あの子は少し素直すぎるところがあるの。

 貴方のお姉様には()()()()と思うところがあるせいで、滲み出てしまったのね。

 不快にさせたならごめんなさい」

「とんでもないです…

 むしろ、その説は誠に申し訳ありません…」

「あら、別に貴方が謝罪する必要はなくてよ」


 目元を柔らかく細めたオリヴィアは、妖しく艶やかな笑みをつくった。


「だって、何の責任も取れない謝罪に意味なんてないもの。

 それとも、貴方が責任を取ってくださるのかしら?」


 幼な子に言い聞かせるような甘く柔い声がこだまする。

凍りついたレイを前にオリヴィアはくすりと笑みをこぼした。


「ふふっ、冗談よ。挨拶の一つとして受け取っておくわ」


 完全に空気に呑まれていたレイは、その言葉にいつの間にか止めていた息をようやく吐いた。

心臓に悪すぎる…とレイが内心で泣き言を言っている間に、オリヴィアの瞳は別のところへと向けられていた。


「あの子の思惑も言い分もわかるのよ。

 確かに、このままでは聖国の未来に光はない」


 ぽつりとこぼされたその言葉にレイは目を見開き、え?と声がこぼれた。

しかし、そんなレイにも目をくれず、オリヴィアは瞳を伏せ、独り言を呟くように言葉を紡ぐ。


「あの子はわかっていないのよ。

 この国のことが、まったくね」

 

「あの、それは、どういう」


 思わず聞き返そうとしたレイにちらりと視線を向けたオリヴィアは、「そういえば」と続けた。

 

「貴方は歴史研究者だったわね。

 であれば、1200年間、一つの王朝が大きな内乱一つなく君臨し続いていることについて、おかしいと思わない?」


 そう小首を傾げたオリヴィアにゼイドは戸惑った。

確かに聖国は大きな内乱なく、一つの王朝が続いてはいるが、そのことを疑問に思ったことなどなかったからだ。

おかしいとは一体何を指しているのか…必死に思考を駆け巡らせるレイにオリヴィアは瞳を伏せた。


「いえ、そうよね。

 比較対象がないのだもの。おかしいと思う方がおかしい、か…

 では、そうね…聖国ではこの1200年間、本当に内乱がなかったと思う?」


 その問いかけに脳内で聖国の歴史書の隅々まで確認したレイは、慎重に口を開いた。

 

「…記録上はありません。

 しかし、オリヴィア様がそう仰るということは、実は内乱があったということでしょうか?」

「ないわ」

「え?」

「ないのよ。一つもね」


 淡々と、しかしどこか憂いを帯びた声がこぼれ落ちる。

その言葉に、レイはやはり困惑することしかできなかった。

場が静まり返る中、パンっとオリヴィアが軽く手を叩く。


「今の話は忘れてちょうだい」

「しかし、」

「そんなことよりも、お姉様に伝えていただきたいわ。

 これ以上巻き込まないでほしい、ってね」


 にっこりと笑みを深めたオリヴィアに、ぎくりと肩が跳ねたレイは首をひたすら縦にふる。


「1ヶ月」

「え?」

「一月も我が愛する天使たちと会えていないのよ。

 あの子たちが生まれてから3ヶ月のうち、1ヶ月も私は会えていないの。本当にあり得ないわ……

 ふふっ、私と愛する家族を引き裂こうとする者は、万死に値すると思わない?」

「あはは…」


 顔は笑顔なのに恐ろしいオーラをまとうオリヴィアを前に、レイは乾いた笑い声を上げつつ、内心ひんっと泣き言をこぼしていた。


「それでも、あの人の行いを私が我慢し続けているのは何故だと思う?」


 その突然の問いかけに間違ったら死???と思いつつ、レイは何とか白んだ頭で思考を巡らせる。

あの人とは姉のことだ。これまで、オリヴィア個人やエオドールにも多大な迷惑をかけているのに、彼女は姉の思惑を知りつつ黙っていてくれている。ということは、姉が言っていた通り、オリヴィア様は…

 

「えっと…姉とは仲の良いご友人だからでしょうか…?」

「違うわ」


 違った!!すごいばっさりと切り捨てられた!!!

レイが内心で騒ぎ立てる中、オリヴィアはふっと息を小さく吐いた。


「私はね、あの人と違って国には豊かさが何よりも必要だと思っているの。

 豊かな文化が豊かな心を育み、国を豊かにそして強固なものにする。

 そして、そんな豊かさは、衣食住に困ることのない最低限の暮らしがあってこそ花開く。

 国全体を豊かにするには一部の階級の者だけではだめなの。学園と同じように全体を底上げしなくては、より大きな実りは得られない。」


 伏せられた碧色の瞳の奥に強い光が宿る。

 

「だから、私は何より戦を恐れているの。

 それも国を弱らせるとわかっている戦だなんて、もってのほかだわ」


 オリヴィアの深い碧色の瞳がレイを射抜く。



「我がウィートリー家は、これまでその力を豊穣のために使ってきた。

 その信念を私も曲げるつもりはない。

 …だから、お姉様にしっかりと伝えてちょうだい。

 これ以上巻き込むな、とね」

 

 

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