33話 生活魔法
「すみません、お話中でしたか?」
「いや、大丈夫。それよりゼイドにご飯を渡してあげて。
クロシェちゃんの料理ほんっとうに美味しくて争奪戦になったんだから!」
レイの言葉にクロシェはニマニマと顔がゆるんでしまう。
ゼイドさんも気に入ってくださるといいのだけど、と思いながら手にしていた器を差し出す。
「先遣隊の方が討伐された岩窟熊のスープとパンです」
「あぁ、ありがとな」
「いえ!」
ゼイドがスープを口にするのをドキドキと見守るクロシェはゼイドの「うまい」の一言にパッと顔が輝く。
食べることが好きなクロシェはお料理も好きで人に食べてもらうのも大好きだった。
最初はブレナと一緒じゃないと立てなかったキッチンも、今ではクロシェの大切なお城。
ヴィ様も美味しいって言ってくださるのだもの!
特技に料理を入れるくらい自信があったクロシェは、この野営でも積極的に料理番に挙手して意気揚々と鍋に向かった。
そこまではよかったのだが、そういえば今までよその人にご飯を食べてもらったことがないと途中で気がついてしまったのだ。
お口に合わなかったらどうしよう、戦々恐々としながら調理を進め、皆さんが口にされる瞬間は心臓がまろび出るほど緊張した。
しかし、美味しいとお褒めの言葉をたくさんもらったクロシェは、幸せすぎて、幸せすぎて…今日の出来事でどうしても沈みがちだった心に許容量を軽く超える幸せを投下され、全身がポンッと空高く舞い上がるようだった。
お片付け中もふと思い出してはニマニマと顔がゆるむくらい最高に幸せ。自尊心がむくむくどころかぼんっと大きくなったクロシェはえへえへ、むふむふと幸せを噛み締めていた。
そんな時に目覚めたゼイドがクロシェのご飯を食す。
ぼんっと膨らんだ自尊心がぱんっと破裂するくらい内心ドキドキしていたのだが、無事"うまい"をもらい再び自尊心はぼんっとさらに膨らむ。
あのゼイドさんが"うまい"だって!
えへえへ、むふむふ
顔がゆるみきっているクロシェに普段のゼイドなら白けた顔を向けていただろうが、正直それどころではなかった。
本当にうまいのだ。野営ではありえぬほど。
肉は臭みもなくほろほろで、スープはただの塩味の湯ではなく、さまざまな旨味が溶け込んだ複雑な味わい。
今まで食べたことがないほどの美味さにあまり食に興味のないゼイドも気づけば完食していた。
空になった器を前にようやくハッと意識が戻ったゼイドは、舌に残るスープの味に夢でなかったことを実感しつつも次第に恐怖を感じはじめる。
なんかヤバいもんでも入れてないだろうな……
『こんだけでもよ、吸ったら一気にトブんだわ』
いつの日だったか、昼間から酔い潰れていた冒険者の男が言っていた言葉を思い出す。
これが、トブってことなのか……?
未知の感覚にゼイドはただ呆然と空の器を見下ろす。
しかし、冷静になった頭がさすがに薬物でも入っていたら直属兵が気づくかと判断し、次に手つかずだったパンに目を向ける。
しまった。
そう内心独りごちてしまうのは、目の前にあるのが野営用の堅焼きパンだったからだ。
汁物があれば汁に浸し、なければ水に浸してなんとか飲み込むそれを前にゼイドはげんなりと顔を曇らせた。
せっかく口の中にあった幸せをこれで塗り替えるのか…
そう思いつつもパンを手に取った瞬間、「は?」と思わず声が漏れ出た。
あの釘が打てるとさえ言われる硬さのパンが、軽く触れただけなのに指が沈んだのだ。
「わかるよ、びっくりするよね…」
パンを片手に固まるゼイドにレイは深く頷いた。
そんなレイにも気づかず、ついにパンを口に入れたゼイドは目を剥く。
表面はパリッと、中はしっとり、もっちりとしたその食感。
噛むたびに小麦の自然な甘味が感じられる素朴な味わい。
まるで街で評判のパン屋の焼き立てパンを食べているかのようなその味に唖然としつつもゼイドの手と口は動き続けていた。
「…お前、何かヤバいモノ入れてねぇよな?」
気づけば完食していたゼイドが思わずそう尋ねるくらいの衝撃だったのだが、クロシェはきょとんと目を丸くし、首を傾げた。
「やばいもの?直属兵の方にいただいた食材や調味料しか使っていませんよ?」
「いや、だったら何したんだ?スープはまだしも、パンは意味がわからねぇ…見た目だけ堅焼きパンにそっくりな焼き立てのパンか?」
ゼイドの言葉に目をぱちぱちと瞬いたクロシェはふふっと笑みがこぼれた。
だって、皆さん同じことを言うんだもの。
「違いますよ。そのパンも直属兵の方が分けてくださった携行用のパンです。
軍の方も野営の時はこのパンなのですね」
にこにことそう答えるクロシェに、いやおかしいだろとゼイドが吠える。
「どう考えてもいつもの堅焼きパンじゃねぇ」
「わかる、わかるよ…!まさか、あの堅焼きパンがこんなにも美味しく食べられるなんて、革命だよね…!!」
呆然とするゼイドと興奮状態のレイを前にさっきも見た光景だなぁとクロシェはにこにこふわふわしていた。
すでにクロシェの幸せメーターは振り切れている。
「あの堅焼きパンに何したらこんなパンになるんだ?」
「それはもちろん、魔法です!」
むんっと得意げに胸をそるクロシェにゼイドはぽかんと「魔法?」と呟いた。
「ええ、そうです!
これさえ覚えれば旅もこわくないとティア様イチオシのパンを焼き立ての味に戻す魔法です!」
「焼き立てに戻す…?そんな時間を戻す魔法があんのか?」
「いえ、戻すと言っても水魔法で水分を加えつつ温め直しているだけなのです。
調整はちょっと難しいですが、水魔法と最後に少しだけ火魔法も取り入れた生活魔法ですよ」
「ちょっとどころじゃないよ…!!」
クロシェの説明に、温め直すのに火魔法よりも水魔法?と内心首を傾げていたゼイドは、レイの突然の悲鳴に肩がびくりと跳ねた。
「どうしたんだ…?」
「ゼイドも冒険者ならわかると思うけど、あの堅焼きパンを美味しく食べられる術があるのなら、何としてでも、何としてでも手に入れたいだろう…?」
「あぁ。本当にさっきのパンが堅焼きパンなら、絶対に習得したい。絶対に」
何としてでもを2回言ったレイも、絶対を2回言ったゼイドもまた、その瞳を闘志、いや欲でギラつかせていた。
「それなのに…!クロシェちゃんからその魔法を習って試してみたけど、全然うまくいかないんだ…!!
美味しくなるどころかベチャベチャのパンしか生まれなくて…あの堅焼きパンをさらに不味くさせることしかできなかった……」
ズンっと落ち込むレイにクロシェは眉を下げることしかできなかった。
ゼイドが起きる前までのやり取りを思い出し、あれ以上の指導は無理だと思ったからだ。
「そりゃあ奇跡の技と言っても過言ではないけど、あんなにも難しい魔法だとは思わなかったよ…まぁ、もともと僕は魔力操作が大雑把で生活魔法は苦手だから仕方ないんだけどさ…これからあの堅焼きパンによる虚無の時間を一生味合わなくていいんだって希望が一瞬で砕け散ったから、ね…ハハッ……」
虚な顔で乾いた笑い声をあげるレイにゼイドの希望も陰りはじめる。
「…そんな難しいのか?」
「う〜ん、慣れというかコツを掴めば簡単にできると思うのですが、感覚を掴むのが難しいのかもしれません」
眉を下げたまま小首を傾げるクロシェの言葉に、これはどちらが正しいのかとゼイドは一瞬悩んだ。
しかし、そういえばクロシェは身体強化も意味のわからない使い方をしていたのだったと思い出す。
こいつの基準で考えてはだめだ。
「ちなみにどうやるんだ?」
「そうですね、理論的にはまずパンの組織に熱エネルギーを帯びた状態の水分子を均一に割り込ませて固定します。そして、芯まで熱が行き渡ったら、パンの表面を高温の火を薄くまとわせ、皮の水分を一気に蒸発させれば完成です!」
「・・・」
「感覚的には、パンの中にお湯の粒をぱっと入れ込んでふわっとするまで温め、最後に表面をかりっと火魔法であぶれば完成です!」
「……あ〜、ちなみにその中間の説明はないか?」
「中間?」
心底わからないというようにきょとんとした顔のまま首を傾げるクロシェにゼイドは思わずため息を吐いた。
「その魔法ってレイ以外にも試した奴はいるのか?」
「魔法使いは全員試したよ」
「へぇ、できた奴は」
「全員失敗したけど」
レイの言葉に場が一瞬静まり返ると、クロシェが慌てて口を開いた。
「で、でも、何名かは少し柔らかくできてましたよ!こう、まばらにでしたが…」
「べちゃべちゃとぱさぱさが入り混じったパンだね」
再び場が静まり返る。
どうやら、堅焼きパンからの脱却はかなり険しい道のりのようだ。




