32話 ロックウェル
「レイモンド・ロックウェル…」
登録証を手にゼイドは目を見開く。
思わず口からこぼれたその名にレイは気まずげに頰をかいた。
「あぁ、うん。その、レイは愛称でね…」
「レイさんの本名はレイモンドさんというのですね!
素敵な名前です!」
「あはは、ありがとう…」
ほわほわと笑みを浮かべるクロシェに対して、レイはさらに気まずげに視線を逸らす。
そんなレイに衝撃を飲み込んだゼイドが胡乱な目を向け、口を開いた。
「ロックウェルって、あの高位貴族のロックウェルか?」
「えっと…まぁ、一応……」
「貴族!!レイさん、お貴族様だったのですか!?」
「まぁね…」
本物の貴族にはじめて出会ったクロシェは、わぁっと感嘆の声を上げるが、ハッと何かに気がつく。
「こ、言葉遣い…!打ち首!!!」
「打ち首!?」
「ゼ、ゼイドさん、どうしましょう…!!お貴族様への無礼は打ち首に…!!」
「いやいや!聖国に死罪なんてないからね!!
そもそも、それくらいで重たい刑には…いや、無礼の度合いにもよるけど…」
「しゅ、終身刑…!!」
「お、落ち着いて!貴族への態度は確かに気をつけた方がいいけど、今の僕はただの歴史研究者のレイだから!!
言葉遣いも態度も今まで通りでいてよ、寂しいからさ…」
「レイさん…」
ぐっと握手を交わすクロシェとレイに白けた顔を向けていたゼイドも、クロシェ以上に態度があれだった自覚はあったため、内心ほっと息をついた。
「名前もそうだが、お前1級魔法使いだったんだな」
「そうだったのですか!?」
「1級魔法使いっていっても研究員としてだけどね。
1級魔法使いになれば貴重な資料が見放題の上、現地調査にいく時の検問や入国審査が楽で重宝してるんだよ」
「貴重な資料!!それは素敵です!!」
きゃっきゃと盛り上がる2人を前にゼイドはため息を吐いた。
「でも、レイさんはなぜ名前を隠していたのですか?
お忍び、というやつでしょうか?」
クロシェは書斎に唯一あった冒険譚の登場人物を思い出し、わくわくとレイに尋ねた。
すると、また気まずげに目を泳がせたレイがおずおずと口を開く。
「あ〜、うちはというか、姉がちょっと有名でね…
本名だといろいろトラブルが起きがちだから、遺跡調査や研究関連ではなるべくレイで通してるんだよ」
「そうなのですね…?」
有名なお姉様?と首を傾げるクロシェの横でゼイドは再び目を見開いていた。
「まさか、あのヒルダ・ロックウェルの弟…?」
ゼイドの言葉にレイの肩がびくりと跳ねる。
「ゼイドさんはレイさんのお姉様をご存知なのですか?」
「あぁ…ヒルダ・ロックウェルといえば、千軍のヒルダで知られるヘルム騎士団の将軍だ。
親族だとはわかっていたが、まさか実の姉とはな…」
「千軍…?」
「1人で千の軍勢に匹敵する強さや千の武器を操る姿からそう呼ばれるようになったらしい。最近だと1人で数千の兵士を壊滅させたって聞いたが…なるほど、それで…」
何やら腑に落ちたように頷くゼイドにクロシェは首を傾げる。
「すごいお姉様なのですね」
「…まぁ、姉は本当にすごい人なんだけど、支持者も多い分、敵も多くてね……
敵だけでなく味方のはずの支持者も熱狂的な人だとなかなかに面ど…身が持たないというか……」
何を思い出したのか、ズンっと沈むレイにクロシェがわたわたと慌てる。
「そういうわけで僕がロックウェルだってことは秘密にしてね」
「わかりました!」「わかった」
「それじゃあこの話はおしまいにして、ゼイドはお腹はすいてないかい?
クロシェちゃんが美味しいご飯を作ってくれたんだ」
クロシェの料理と聞いて一瞬不安がよぎるゼイドだったが、そういえば得意魔法は生活魔法だと胸を張っていたことを思い出す。
レイの様子からもお世辞ではなさそうだし、期待できるかもしれない。
「あ〜、残ってたら頼む」
「ゼイドさんの分はちゃんとよけておきましたから、今温めて持ってきますね!少々お待ちください!」
パッと顔を輝かせたクロシェが走っていく背を見送り、そういえばとゼイドは口を開いた。
「アロイスは無事か?」
「怪我一つないよ。今は気になることがあるからって壁の方に行ってるけどね」
あいつがクロシェのそばを離れるなんて珍しいなと思いつつ、ゼイドは改めてレイに向き合った。
「今回の件について、直属兵の奴らから何か聞けたか?」
「あぁ。どうやら魔獣討伐部隊と砦の壁の建設部隊の二手に分かれて行動していたそうだけど、壁の建設中に襲われたらしい。
魔獣避けの魔導具は使っていたそうだけど、効かなかったようだ」
「…被害は何人だ?」
「…亡くなったのは6人。僕たちが駆けつけた時にはもう息をしてなかった。
幸い、他の兵士はクロシェちゃんの回復魔法のおかげでみんな無事だよ」
思っていたよりも死者が少ないことにゼイドは内心ほっと息をついた。
決して少ないとは言えないが、ゼイド達が駆けつけた時の惨状を思えば、死者は20はいてもおかしくなかった。
ゼイドが共に戦った男もクロシェの魔法がなければあのまま命を落としていただろう。
「あいつ、クロシェは大丈夫だったか?
人が死ぬのを初めて見たらしいし」
「あぁ、クロシェちゃんは精神的に不安定なところもあったけど、ちゃんと気持ちの整理はできたみたいだよ。
お兄さんのアロイスもずっと寄り添ってたしね」
「そうか…」
ならよかったと心の中で呟いたゼイドは知らずほっと息をついていた。
とりあえず疑問や懸念が解消したゼイドの頭は、再び今回の魔獣の襲撃について思考が巡りだす。
あの惨状は異常だ。
仮に魔獣討伐の主力メンバーが砦の外に出ていたのだとしても、被害が大きすぎる。
エオドールは大都市に違わぬ兵力を持ち合わせている上に他所と戦なんかもしていないため、この開拓に人手も物資も重点的に集めている。
先遣隊なんて、直属兵の中でも特に腕の優れた者達で構成されているはずだ。
Aランク2体とBランクが20体以上の群れは確かに脅威だが、エリート集団が壊滅寸前だったのはやはり異常事態だろう。
魔導具もそうだが、何か他に要因があったのか…
険しい顔で考え込むゼイドにレイは穏やかに声をかけた。
「隊長や君が助けた兵士たちもちゃんとお礼がしたいって言ってたから、食後にでも彼らと話す機会はあるよ。
気になることがあれば、その時聞いてみたら?」
「…そうだな」
「でも、その前に確認したいことが、」
「ゼイドさん、お待たせしました!
簡単なものですが、スープとパンです!」
何やら言いかけたレイを遮ったのは、美味しそうな香りを漂わせ現れたクロシェだった。




