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賢者様の小間使い  作者: 玉雪 芙泉
第1章 城塞都市エオドール

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30話 絶対


「待ってください」


 にこにことピクニックにでも出かけているかのような様相から一転、クロシェの顔が硬く強張った。


「北西方向に魔獣と人のにおいがします」

「開拓関連か?いや、冒険者の可能性もあるか」

「それはわかりませんが、血のにおいがします。

 …大量の、血のにおいが」


 顔から血の気が引いたクロシェが譫言のようにこぼしたその言葉にゼイドとレイは息を呑む。

一瞬の動揺ののち、ゼイドはアロイスに視線を向けた。


「他に何かわかることはあるか?」

「…交戦中のようだ。魔獣も人もそれぞれ複数いる。」

「クロシェは他に何かわかるか?」

「私もロロと同じくらいしか…血のにおいが強くて魔獣も人も何人いるのかわかりません……」

「そうか…」


 2人の索敵結果を確認したゼイドは、次にレイへ視線を向けた。


「どうする?」

「え?」

「俺たちはあんたの護衛だ。どうするかはあんたが決めてくれ」


 ゼイドの静かな気迫にレイは思わずごくりと唾を飲み込むが、答えは決まっていた。


「君たちが問題なければ、行こう」

「…わかった。クロシェとアロイスもいいな?」

「はい」


 青白い顔で頷くクロシェが気になりつつも、一行は北西へと方向を転換し、現地へ急ぐ。

間に合えばいいのだが、と気が焦るゼイドの耳にも激しい金属音と獣の咆哮が聞こえてきた。


 


 ・


 


 デョーフルが綴った地獄は、こんな世界だったのだろうか。

 

 思わずそんなことを思ってしまったクロシェは、目の前の光景にただ呆然と立ち尽くしていた。

 

 血と肉体の欠片と、怒号とうめき声


 赤く染まる大地とその周囲に倒れる人々の数を認識するたび、あれほど頭の中に鳴り響いた、激しく、恐ろしい音が遠くなり、早くなる心臓の音だけがどんどん大きくなっていく。

 外の音なんてもうほとんど聞こえないのに、それでもクロシェは耳を塞ぎたかった。

 だって、音がしない。

倒れている人たちの吐息も脈打つ心臓の音も、どれだけ聴覚を強化しても、すべて、聞こえないのだ。

 

 無意識に耳に集中していた魔力を分散させてからも、クロシェの動揺はおさまらなかった。

心臓の音だけでなく、呼吸の音まで早くなるのに、体が動かない。ただ自分の吸って吐く息の音だけが白んだ頭にこだまする。


 トンッと優しく背に触れた手のひらにハッとクロシェの意識が戻る。

視界が鮮明になる中、恐る恐る隣を見上げれば、眉根を寄せたアロイスが自分を覗き込んでいた。

 アロイスの金の瞳がゆらゆらと揺れている。


「ごめん。ありがとう、ロロ」

「…大丈夫か?」

「うん…」


 目を伏せたクロシェは息を吸って、細く細く吐く。

そして、目の前の光景をまっすぐ見据えたクロシェは口を開いた。

 


「大丈夫。行こう、ロロ」




 

 

 クロシェが動揺している間も、ゼイドはすでに魔獣と交戦していた。

 

 現場に着くのと同時に、前足で人を掴み、大きく口を開けた鉄脊狼(イーレンヴルフ)が目に飛び込んできたゼイドは、3人を置き去り、足を強く踏み込んだ。

勢いのまま鉄脊狼(イーレンヴルフ)の首を刎ね飛ばしたゼイドは、剣についた血を振り払い、周囲を確認する。

 木々が途切れたとは思ったが、ゼイドが踏み入れた場所は村一つは入るくらい広く開けた空間だった。さらに奥には木より高い壁も見える。

ここが建設途中の砦だろうかと思いつつ、遠くを見やっていた視線を近くに戻せば、周囲には血と肉片、折れた武具が散乱していた。

 全員、直属兵か。

熊の紋章付きの鎧や防具を揃って身につけていることを確認したゼイドは、グッと奥歯を噛み締めた。


 倒れてる奴らは俺にはどうしようもできない。

うめき声がいくつも聞こえる中、そう即座に判断したゼイドは倒すべき敵に目を向けた。

 

 鉄脊狼(イーレンヴルフ)がざっと20体、そして、天喰狼ロドルグレーディヴルフが2体。


 その巨体と鋭く伸びる牙を目にしたゼイドは思わず舌を打つ。

鉄脊狼(イーレンヴルフ)の群れだけならまだしも、天喰狼ロドルグレーディヴルフが2体もいるとは。

Aランクの天喰狼ロドルグレーディヴルフは、鉄脊狼(イーレンヴルフ)の3倍以上ある巨体に加えて、力だけでなく、素早さも鉄脊狼(イーレンヴルフ)より遥かに上。魔力がAランクの魔獣の中ではやや低いことだけが唯一の救いだが、あってないような希望だ。

1体でも脅威の天喰狼ロドルグレーディヴルフが2体、目の前にいるのだから。


 脅威を十分把握したゼイドは次に戦力へと目を向ける。

戦っているのは5人。獣人族の前衛が2人に魔法使いが3人。

魔法使いのうち2人は魔法剣士のようで、武具と魔法を駆使しながら戦闘を繰り広げている。

 そして、4人が天喰狼ロドルグレーディヴルフと対峙しているため、鉄脊狼(イーレンヴルフ)は魔法剣士が1人でさばいているのが視界に入ったゼイドは、即座に次の行動を決めた。


 まずは鉄脊狼(イーレンヴルフ)を殲滅する。


 1番近くの鉄脊狼(イーレンヴルフ)に切りかかったゼイドは、体内の魔力をさらに強く巡らせた。


 

 

 

 ハァ、ハァ、と自身の口からこぼれる荒い息に舌を打ったゼイドは、剣を振り払いこべりついた血を落とした。

眉の上を切ったせいで左目を覆うように流れた血を腕で拭い取り、周囲を見渡す。

 なんとか鉄脊狼(イーレンヴルフ)はすべて倒せた。しかし、天喰狼ロドルグレーディヴルフは2体とも健在。ところどころ傷も見えるが、致命傷のようなものは見当たらず、対峙する直属兵らを圧倒している。勢いを落とさず暴れ続ける天喰狼ロドルグレーディヴルフに直属兵らはうまく連携しながら対処しているようだった。

 

 ともに鉄脊狼(イーレンヴルフ)を倒した魔法剣士が少し先で膝をついているのを見つけたゼイドは、急いで駆け寄った。


「おい、大丈夫か?」

「あぁ…救援、感謝する……」

「救援信号は出したんだろうな?」

「もちろんだ。そろそろ救援部隊が到着するはずだが、それまで保つかどうか…」


 2人の視線の先では、天喰狼ロドルグレーディヴルフが猛威を振るっていた。

グッと足に力を入れ、立ちあがろうとした男が崩れ落ちる。その音に気づいたゼイドは、男が倒れ込む前に抱き止めた。


「すまないっ…魔力切れの、ようだ……ックソ」


 大きく舌を打ったその男の右足と右腕からは、ダラダラと血が流れ続けていた。

なんとか止血はしたが、傷が深い。

魔力切れでなくてもこれ以上戦うのは無理だ。

 

 男を肩で支えたゼイドは、周囲を見渡す。

そして、いつの間にか地面に転がっていた人々がいないことに気がついた。


 視界の端で燃えるような赤色が揺れる。


「おい、そいつらどこに連れてくんだ」


 赤髪を風に靡かせたアロイスは、肩に1人、脇に1人兵士を抱えながら口を開いた。


「ここから少し離れた木に囲まれた場所だ。

 そこでクロシェが治療をしている。」

「レイもそこか?」

「あぁ。治療を手伝っている。」

「俺もこいつ連れてくから案内してくれ」

「…わかった。」


 男を肩に担ぎ直したゼイドは、そのまま歩みを進めたアロイスの後ろについて再び木々の間に足を踏み入れる。さらに歩みを進めると、何人もの兵士が転がる場所へとたどり着いた。

奥に進むにつれ、増えはじめたうめき声の数にゼイドの胸がざわめく。


「ゼイド!よかった、無事だったんだね!」


 その声にゼイドの心臓が跳ねた。

気配に気づかないほど上の空だったことに内心舌を打ちつつ、声の先に視線を向ける。

そこには血や土で汚れたレイがケガ人を抱えて立っていた。

 

「あぁ、そんなことよりこいつ治療してほしいんだが、どこに寝かせればいい?」

「それならこっちに」


 そう言って前を歩くレイについていくうちに、気づけばアロイスはいなくなっていた。

早く戻らねばと気が急くゼイドは舌打ちしそうになるのを奥歯を噛んで抑えこむ。


「クロシェちゃんが回復魔法を使えて本当によかったよ。

 そうでなかったら、さらに被害が大きくなっていた…」

「…何人生きてる?」

「…18人。今のところ、僕たちが駆けつけた時点で息のあった人たちはクロシェちゃんのおかげで全員無事だよ」

「そうか…」


 落ち葉や小枝が折れる乾いた音だけが森の中に消える沈黙を破ったのはレイだった。


「あっちは今どうなってる?」

鉄脊狼(イーレンヴルフ)は全部倒したが、天喰狼ロドルグレーディヴルフは2体ともまだ暴れてる。こいつを運んだら俺もあっちに戻る。」

「そうか…救援信号は出してるんだよね?」

「あぁ、こいつらがすでに出してる。そろそろ救援部隊が来るはずって言ってたが…おい、救援信号を出してどれくらい経ったんだ?近くに他の部隊もいるのか?」


 ゼイドが肩に担いだ男に尋ねるが、返事がない。

意識を落としたのかと思ったゼイドはそのまま歩みを進めたが、後ろを振り向いたレイが声を上げた。


「ゼイド!その人腹から血が出てる!!」


 その声に右手で男の腹を確認すれば手にべったりと血がつく。

さらに下を見れば、ゼイドの肩から足へとつたった血によって、赤い足跡が続いていた。

一瞬、止血をしようか迷うが、レイにすぐそこだからと先を急かされ、クロシェの元へ走る。


 クソッとゼイドは内心で悪態をついた。

肩から流れる血には気づいていたが、自分の血だと思って見過ごしていたからだ。

焦りを滲ませながら森を走り、ついにクロシェの背を視界にとらえた。


「クロシェ!!こいつも頼む!!急いでくれ…!」


 ゼイドの声に回復魔法をかけつつ振り向いたクロシェの目が見開く。


「はやくこちらに寝かせてください!」


 クロシェの言葉に従い、男を寝かせたゼイドはとにかく止血をしようと腹の傷を確認すると、そこには脇を抉るほどの大きな傷が広がっていた。


 ただでさえ出血が多いのに、この傷では──────


「……っ、ここは…?」


 目覚めた男の瞳にゼイドが映り込む。


「俺のこと、はいいから…はやく、…あいつらのとこに、」


 震える手がゼイドの腕を掴む。

ゼイドが強く噛み締めていた顎の力をゆるめ、口を開こうとした瞬間、視界の端で濃い蜂蜜色が揺れた。


「今から回復魔法で治療します…!意識を強く持ってくださいね!」

「…いや、俺はもう、だめだ…俺より、他の奴らに……」

「他の方も治療済みです!あなたも絶対助けます!!」

「…そう、か……」


 ふっと眦を下げ、穏やかな笑みを浮かべた男の瞳が閉じ、ゼイドの腕を掴んでいた手も地面に落ちた。


還し春の息吹レノヴァティオウェリス


 光が男を包み込む。

男の傷がするすると消えていくのを目にしたゼイドは、手足に力を入れ、立ち上がった。

一瞬暗くなった視界にグッと眉間を押さえるが、焦燥や疲労、その他諸々が一気に押し寄せた結果、飲み込もうとした言葉が飲み込めなかった。


「また、()()なんて言ってんのか」

「……人って死ぬのですね」

「は?」


 何を言ってるんだとゼイドが見下ろすと、臥した男をじっと見つめるクロシェの横顔が目に入る。

回復魔法の光に照らされたその顔は、表情が抜け落ちていた。


「…私の知っている人は、みんなドラゴンの群れに放り込まれても無傷で生還するような強い人ばかりでした。」

「いや、どんなバケモンだ」

「だから、私にとって人の死というのは本の中の出来事で、人1人の命はとても重くて尊い、簡単に奪われてはならないものだと思っていました。」


 クロシェのその言葉が、ドラゴンの群れを無傷…?ととんでもない化け物が脳裏を埋め尽くしていたゼイドの頭を殴った。

そして、回復魔法をかけながらも淡々と言葉を紡いでいたクロシェの顔が歪む。


「でも、ここは()が近すぎる……!」


 そうか、こいつは()を知らないのだ。


「こんなにも、脆くて、柔くて、温かくて

 今にも死んで、天に召される命が、こんなにたくさんあって

 でも、私はそれを繋ぎ止める(すべ)を持っていて、」


 透明な声が森の中へ消えていく。

 光に照らされた緑はゆらゆらと揺れていた。


 ぐっと唇を噛み締めたクロシェがその唇をほどき、息を吸った。

 

「この絶対は、私の決意です。絶対に助けるのだと。

 1番怖い思いをしている人たちに、手を差し伸べておいて助けられるかわかりません、なんて言えません…!

 手を伸ばしたのなら、()()助けるしかないんです!!!」


 光が差す鮮やかな緑の瞳が、強く鋭くゼイドを射抜く。

一陣の風が2人の間を通り過ぎ、たなびく濃い蜂蜜色の髪が一筋、二筋、クロシェの顔に線を引いた。


「こっちに来てくれ!重症者が2人!!これ以上血が出たらまずい!!」

「…っはい!今行きます!」


 男の治療をすませたクロシェは、次の患者の元へと走り出す。


 

 ゼイドはただその遠ざかる背を見送った。


 

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