◆第4話『彼女の隣で眠る夜──夫とマネージャー、その“線引き”の狭間で』
夜──。
自宅マンションの寝室に、静けさが満ちていた。
薄く灯したベッドサイドの間接照明。エアコンの音が、わずかに空気をかき混ぜている。
ダブルベッドの中、彼女は俺の隣で眠っている。
顔をこちらに向けて、安らかな寝息を立てて。
その胸に、静かに浮かぶ鼓動。
そのお腹には、俺たちの“子ども”がいる。
――そして彼女は、AV女優だ。
「悠人くん……起きてる?」
目を閉じたまま、彼女が小さく囁いた。
「起きてるよ。……眠れない?」
「うん。なんか……“女優”の顔を外すと、途端に色んな不安が押し寄せてきちゃって」
そう言いながら、彼女は俺の胸に顔を埋めてきた。
肌に触れる温もり。香水とは違う、風呂上がりの石鹸の匂い。
彼女はこうしていると、まるで少女みたいに小さく感じる。
けれど、彼女は現役AV女優で、何百万人の視線を浴びるスターでもある。
「このまま引退しないまま、お母さんになって……子どもに知られたらって思うと、やっぱり怖くなる」
「……それでも、続けたい?」
「うん。私は“辞めないために”生きてるの。……きっと、これがなくなったら、自分の価値を信じられなくなる気がして」
たぶん、それが彼女にとっての“戦場”なんだろう。
俺は、彼女を“安全なところ”に連れていってあげることはできない。
だけど、戦う覚悟をした彼女の隣に、立ち続けることはできる。
「じゃあ俺は……君の“味方”をするよ。夫としても、マネージャーとしても」
「そっか……じゃあ、安心して眠れる」
彼女はそう言って目を閉じた。
そのまま数秒で、呼吸が深く、ゆるやかになっていく。
◆
――だけど、本当に“両立”できるのか?
マネージャーとしての俺は、日々苦悩していた。
現場では、クライアントからのオファーに「妊娠中のリスク」を伝えることもできず、条件交渉でギリギリを攻める。
衣装サイズに変化が出れば、「体調崩して少し痩せた」と言い訳し、
彼女のスケジュールも体調優先に見せかけて、実は出産まで逆算した日程を隠れて組んでいた。
――彼女は“商品”でもある。
正直に話せば、現場から干されるリスクは高い。
出産をもって“引退”だと受け取られることもある。
だから、彼女自身も隠してるし、俺も“営業”として、嘘を重ね続けている。
それに、何よりつらいのは――
俺の“妻”である彼女を、他の男たちが画面越しに見て、興奮し、欲望を向けているという事実だ。
もちろん、理屈では分かってる。
職業として、プロとして、彼女は誰よりも真面目に仕事してる。
けれど、夫としての俺は、その全てを「平気な顔」で受け止められるほど、聖人じゃない。
「……嫉妬、してるのか? 俺」
ふと、天井を見上げて呟いた。
でも、答えは出なかった。
◆
朝。
「おはよ。……悠人くん、寝れてた?」
寝起きのままの柔らかい声で、彼女がコーヒーを差し出してきた。
エプロン姿で、髪は無造作にまとめられていて、化粧もしていない。
なのに、俺にとっては、この姿こそが一番“特別”だった。
「あぁ。……お前こそ、疲れてないか?」
「平気。今日の撮影は午後からでしょ? それまでゆっくりするよ」
そう言って微笑む彼女は、ステージでもスクリーンでもない、ただの“妻”だった。
だけど俺は、彼女がもうすぐ“母親”になることも、そしてまた現場に立ち続けることも知っている。
今日もまた、二つの顔を生きる人間を、俺は見守り続ける。
マネージャーとしての苦悩と、
夫としての嫉妬と誇りと、
そして、未来の父としての覚悟を抱えて――。
◆
午後、現場で。
「悠人マネ、彼女ちょっと顔色悪いっすよ。大丈夫っすか?」
カメラマンが声を潜めて言う。
「寝不足です。前日、台本の練習してて……後で軽めに調整お願いします」
そう言って流すのも、もう慣れた。
本当はつわりがきつい日だった。でも、それを俺の口からは言えない。
そんな現場の“嘘”の積み重ねの中で、今日もまた、彼女はカメラの前に立った。
そして俺は、マネージャーとして、そのすべての責任を背負う。
でも、帰ったら――。
夜になったら、彼女の夫として、
ただの“悠人”として、彼女を抱きしめる。
この日常は、不安定だ。バランスは常に崩れそうで、ギリギリだ。
でもそれでも、俺は歩く。
この人と選んだ“秘密の夫婦生活”を守るために。
彼女が、“辞めずに生きていく”と決めたから。
俺は、“隣に立ち続ける”と決めたから。
これが、俺たちの夫婦のかたちだ。
AV女優の妻と、マネージャーであり夫である俺の、ささやかだけど真剣な、夜と日常。
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