表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/6

◆第3話『“妻”がファンイベントに出る日、俺はマネージャーとして見守るだけ』


 

「……ほんとに出るのか? このタイミングで、ファンイベントに」


「うん。“如月美咲”として、今まで通りを見せておきたいの。むしろ今が大事だから」


 控室の鏡前で軽くリップを塗り直しながら、美咲はいつもの笑顔で言った。

 ステージ衣装――白の膝上ワンピースに、控えめなヒール。妊娠しているとは思えない完璧なスタイル。

 誰よりも“清楚”を体現しているこの姿は、まさしくファンが憧れる「如月美咲」そのものだった。


 でも――。


(本当に……大丈夫なのか?)


 彼女の妊娠は、すでに4ヶ月目に入っていた。

 お腹のふくらみは、服で見ればまだ隠せる程度。だが、無理をすれば、たちまち体調を崩すタイミングでもある。

 けれど、彼女は今日のこの場に立つことを、自ら選んだ。


「“仕事してる美咲”を見せられなくなったら……多分、心が死んじゃうと思う」


 彼女はそう言った。

 だから俺は、止めることができなかった。


 


 彼女の仕事は、誰かに誇れるものではないかもしれない。

 でも、彼女の生き方は、誰よりも堂々としていて、誇り高い。


 だから俺は、夫としてではなく、マネージャーとして彼女を見守る。


 



 開場15分前。

 列は会場外まで伸びていて、スタッフはてんやわんやだった。

 ファンは老若男女、そして異様な熱気を帯びている。


「“如月美咲、生で見られる”だけで一生の思い出っしょ!」


「今日サイン当たったら、マジで一生神棚」


 会場スタッフに交じって仕切りをする俺の耳にも、そうした声が漏れ聞こえてくる。


 そのたびに、胸がざわつく。


 ――この中の誰かに、もし妊娠がバレたら?


 彼女の目の前で、誰かが急に触れようとしたら?


 想像だけで手汗がにじむ。でも、それでも。


「行ってきます。……マネージャーさん」


 袖口から、彼女が小さく手を振ってきた。


「“旦那さん”は控えといて。今は私、如月美咲だから」


 そう笑って、彼女はステージへ出ていった。


 



「みなさーん! 今日は来てくれてありがとうー!」


 マイク越しの透き通った声が響く。

 客席のあちこちから「美咲ちゃーん!」という叫びが飛び、サイリウムが揺れた。


 “女優”としての彼女は、本当にプロだった。

 どこから見ても、完璧な立ち振る舞い。

 アイドル的なファンサに、絶妙な距離感を保ちながら、それでも全員に「自分だけを見てくれている」と思わせる話術。


 ステージ上の彼女は、美しくて、強くて、そしてどこか、少しだけ儚かった。


 


(……そうだ、俺はこの姿に惹かれたんだったな)


 まだ彼女と交際すらしていなかった頃。

 撮影現場の隅で、そっと汗を拭っていた彼女。

 カメラを離れたあとの、その素顔を知っているのは、きっと今では俺だけだ。


 



 イベント後半、抽選で選ばれた10人との“個別サイン&握手会”。


 ひとりずつ丁寧に名前を聞いて、言葉を返し、握手をする。


 「ずっと応援してます。これからもAV界の女神でいてください!」


 「美咲さんの笑顔が、俺の生き甲斐です!」


 「……結婚とか考えてないですよね? ずっと俺たちの天使でいてください!」


 ――その言葉に、彼女はどう応じるのだろうと、内心ヒヤヒヤした。


 


 でも彼女は、さらりと笑って言った。


「ありがとう。私は、変わらないよ。ずっと“如月美咲”として、あなたたちの記憶に残れるように頑張るから」


 それは嘘ではないけど、真実でもない。


 だけど、今ここで「実は結婚してます」「妊娠してます」と言うのが誠実だとも思わない。

 ファンの前では、彼女は“夢”であるべきなのだ。


 


 だから俺は、黙っていた。


 彼女の夫であることも、これが“妻が子を身ごもっている身体”だということも。


 



 イベント終了後。


 ステージ裏に戻ってきた彼女は、ソファに崩れるように座り込んだ。


「……ちょっとだけ、休ませて……やっぱ、お腹が……」


 顔が少し青い。


「やっぱり、無理させすぎた……っ」


 慌てて水を渡し、冷却シートを額に貼る。

 医療班を呼ぶほどではないが、彼女は確実に限界ギリギリだった。


 


 でも、その手を握ると、彼女は微笑んだ。


「見てた? ……最後まで、“女優”だったでしょ、私」


「ああ。……すごかったよ。マジで、“清楚派No.1”のプロだった」


「ふふ、よかった。……それでこそ、マネージャー兼旦那に褒められる価値があるってもんだね」


 


 この人は、母になっても、女優であり続ける。


 その矛盾のなかで、それでも笑って立ち続けることを選んだ彼女の強さに、俺は今日、また惚れ直した。


 



 帰り道。

 助手席で寝息を立てる彼女の手を、そっと握る。


 そのお腹には、俺たちの子どもがいる。


 それは、誰にも知られてはいけない“秘密”だ。


 


 でも――この瞬間だけは、俺だけが知っている。


 この美しくて、強くて、危うくて、どこまでも愛おしい“如月美咲”のすべてを。


 


 俺は夫だ。マネージャーだ。

 そして、きっとこの人の一番の“理解者”で在り続けたい。


 そんな思いを胸に、俺はハンドルを握り直した。


 


 秘密の夫婦生活は、今日もまた、続いていく。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

もしこの物語に少しでも「面白い!」と感じていただけたなら——


ブックマーク & 評価★5 をぜひお願いします!


その一つひとつが、次の章を書き進める力になります。

読者の皆さまの応援が、物語の未来を動かします。


「続きが気になる!」と思った方は、ぜひ、見逃さないようブックマークを!

皆さまの応援がある限り、次の物語はまだまだ紡がれていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ