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◆第2話『“妊娠バレ”の危機と、夫婦の夜』



 ――「如月さん、少し痩せました?」


 その言葉は、朝の撮影前。メイクスタッフがふとこぼした何気ない一言だった。

 スタジオの空気が、ふっと緊張を帯びたように感じたのは、俺の被害妄想じゃないと思う。


 彼女――美咲は、笑ってごまかすように答える。


「夏バテかな? ちょっと食欲がなくて……」


 自然な受け答え。表情も声も、演技じゃないように見せるのが彼女の凄さだ。

 でも俺だけは知っている。その「痩せた」の理由が、食欲不振なんかじゃないことを。


 


 彼女は今、妊娠している。


 だが、それを誰にも打ち明けず、彼女は“女優”を続けている。

 今も、カメラの前に立ち、脚本通りの台詞を口にしている。


 AVの世界は、残酷なほどに“身体”が資本だ。

 その体型の変化や肌質の微細な差異すら、ユーザーに指摘される。

 だから妊娠なんて――それも初期ならともかく、中期以降ともなれば、隠し通すのは不可能に近い。


 


 だが、彼女はそれを隠し通すと決めている。


 なぜなら、美咲は“引退”する気がないからだ。

 母になっても、人妻になっても、彼女は“如月美咲”で在り続けようとしている。


 


 俺はマネージャーとして、彼女を守らなくちゃいけない。


 だけど、夫としては――本音を言えば、怖くてたまらなかった。


 


 もし万が一、撮影中に倒れたら?


 現場で誰かにバレたら?

 それが週刊誌に流れたら?

 子どもは? 彼女の仕事は? 俺たちの関係は――?


 


 そんな不安を抱えながら、撮影終了後の帰り道、俺は彼女の隣で無言のままだった。


「……怒ってる?」


 助手席で、彼女がぽつりと呟く。


「違う。ただ……心配してるだけだよ」


「“だけ”じゃない顔してるよ」


 ルームミラー越しに、彼女と目が合った。

 運転中なのに、心臓が跳ねる。


 


 ――何か、言わなきゃ。


 けれど、出てくる言葉は、どれも優しすぎて、どこか嘘くさくなる。


 


「……仕事、セーブしよう。せめて今だけでも」


 ようやく出てきたのは、そんな頼りない言葉だった。


 


「やだ」


 即答だった。

 反射的というより、“決意”が込められた即答だった。


「私は、“辞める理由”を作りたくないの。妊娠も、結婚も、全部“続ける理由”にしたい」


 目の奥に、火が灯っていた。


 


「……けど、それで倒れたら?」


「そのときは、私、ちゃんと旦那さんに甘えるよ」


「それ、信用していいの?」


「うん。……だって、もう私、悠人くんの“奥さん”なんだよ?」


 その言葉に、心の奥がふっと熱くなる。


 


 AV女優として、彼女は多くの男たちの妄想の対象だ。

 でも、俺にとっては違う。


 俺の知っている彼女は、演じることに苦しみながら、それでもプロとして輝いている人間だ。

 そして――俺の妻で、俺の子を宿している人だ。


 


「……じゃあ、もうちょっとだけ、“マネージャー”じゃなくて、“旦那”に甘えてほしいな」


 ふと、そんな言葉が口からこぼれた。


 彼女は驚いた顔をして、すぐに笑う。


「うん、考えとく。……今日だけは、特別に甘えちゃおうかな」


 


 



 夜。


 彼女はリビングのソファで俺の隣に座り、アイスを片手にくつろいでいた。

 普段の現場帰りなら、すぐ風呂に直行するはずなのに、今日は違う。


「悠人くん。さっきの話だけど……本当は、もう気づいてたでしょ? 妊娠してるって」


「うん。……正直、もっと前から、ね」


「……そっか。やっぱ、バレてたか」


 彼女はアイスを置いて、両手でお腹を軽く撫でる。


「3ヶ月目。産婦人科で、ちゃんと確認してきた」


 そうか。やっぱり、そうだったか。


「言ってくれなかったのは……やっぱり、迷ってたから?」


「ううん、覚悟を決めてから言いたかったの。中途半端に不安なまま伝えたら、悠人くんを困らせると思ったから」


 俺は、彼女の手の上に自分の手を重ねた。


「困らせていいよ。……夫婦なんだからさ」


 その一言に、彼女の瞳が潤む。


「……バレないように頑張る。でも、無理しない範囲でね。ちゃんと協力するから」


「ありがとう。……ほんとに、ありがとう」


 その言葉の中に、初めて“女優”ではなく“母親”としての彼女が垣間見えた気がした。


 


 



 深夜。


 寝室で並んで眠る前、彼女がぽつりと漏らした。


「ねえ……私の仕事って、やっぱり……子どもに知られたら、嫌かな?」


 沈黙が落ちる。


 俺はしばらく考えてから、答えた。


 


「子どもが物心ついたとき、どう思うかは分からない。けど……嘘をついて隠すより、誇りを持って話せるようにしておこう。美咲が、どんな気持ちでこの仕事をしてきたのか。ちゃんと説明できるように、夫婦で考えよう」


 彼女は、安堵したように小さく笑った。


「……そんな夫で、よかった」


 俺はその言葉を、静かに胸に刻んだ。


 


 たとえ誰にも祝福されないとしても、

 たとえ誰にも理解されないとしても――


 この人と、共に歩んでいくと決めた。


 


 AV女優・如月美咲。

 そして、俺の妻。

 そして、もうすぐ“母”になる彼女と共に。


 秘密の夫婦生活は、まだ始まったばかりだ。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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