◆第10話『俺の妻は、誰のものでもない。けれど、誰にも言えない』
如月美咲、復帰作――正式配信開始。
タイトルは、《透明な身体、濡れた心。〜あの日の続きを、あなたに〜》。
ママになった彼女のカムバック作は、業界の内外で“異例の注目”を集めていた。
レビューサイトには、すでに数百件を超えるコメントが並んでいた。
「如月美咲、戻ってきたあああああ!」
「産後? マジで? 逆にエロい」
「腹見せなかったのは戦略? 色気すごい」
「今作、接吻のリアルさやばい。なんか本当に恋してる感じだった」
「え、てか妊娠してたって噂マジ?」
「復帰第1作でこれは伝説になる」
「ていうか、結婚してる説ない?」
その一文に、俺の手が止まる。
――そうだ。誰も知らない。
彼女が、俺の“妻”であることを。
そして、“子どもを産んでいた”ことを。
世間にとって、如月美咲は今も“独身のまま現役を貫くレジェンドAV女優”であり、
清楚を貫く完璧なイメージのままで、美しく、官能的に、再びステージに戻ってきた存在である。
誰も、“あの日”から今日までの現実を知らない。
――いや、知る必要もないのかもしれない。
◆
撮影翌日。
帰宅した俺を出迎えたのは、2人の子どもを寝かしつけたあとの美咲だった。
リビングの灯りは薄暗く、コップに注がれた麦茶の水滴が、季節の移り変わりを感じさせた。
「……見た?」
「見た。……全部」
テレビの画面に映るのは、VODサービスのTOPバナー。
如月美咲が復帰したことを大きく告げるサムネイルが、まるで“勝者の凱旋”のように、画面の中央に浮かんでいた。
「すごいね。もう3万ダウンロードいってるって」
「……それはすごい。普通なら半月かかる」
「ふふ、やっぱり私、辞めないでよかったかな?」
彼女は、AV女優である自分を、隠さない。
むしろ、自分の武器として誇りを持っている。
「ねぇ、悠人くん。……このままずっと、秘密のままでいいのかな?」
「なにを?」
「私たちのこと。……夫婦ってこと。双子がいるってこと」
その言葉に、俺は言葉を失った。
たしかに俺たちは、籍を入れている。
子どもも産まれた。
でも、“如月美咲”はそれを“表に出してはいない”。
今の美咲は、あくまで“独身女優”として、完璧に振る舞っている。
「……言っても、誰も信じないかもしれない」
「逆に炎上するかもね。“裏切られた”とか、“幻滅した”とか」
「お前は、それでも平気か?」
「……ちょっとだけ、怖い。でも、あなたが“家に帰ればここにいる”って思ってくれるなら……私は、大丈夫」
それは、強がりのようで、本音だった。
◆
SNSでは、ある“噂”が出回りはじめていた。
《如月美咲は、実は結婚してる?》《出産してる説浮上》
《関係者によると、出産後の復帰との話も》《相手は業界人? 素人?》
少しずつ、世間が気づき始めている。
けれど、確証はない。
俺たちは、公に“夫婦”であることを発表していない。
マネージャーと女優――ただそれだけの関係として、仕事の場では通している。
だがその一方で、彼女が子どもたちを抱いて眠る姿も、
食卓で子どもに離乳食をあげる姿も、
俺は誰より近くで見てきた。
それは、“演技”ではなかった。
本物の、母であり、妻であり、人間としての彼女だった。
◆
夜。
寝室で隣に並び、手を握ったまま彼女が言う。
「ねぇ、私たち、変わってるね。……普通だったら、もっと堂々としていいはずなのに」
「堂々としないことが、守ることにもなる」
「……でも、いつか、バレるよ。世間は甘くない」
それでも、俺はこう答えた。
「そのときは、“夫”として全部受け止める。……お前が守ってきた“如月美咲”を、今度は俺が守る番だから」
彼女は、少し黙ってから笑った。
「……そうだね。マネージャーだけど、いちばん近い味方だもんね」
「味方じゃない。“旦那”だよ」
「ふふ、たしかに。……うちの旦那、なかなか嫉妬深いし」
彼女の笑顔が、夜の静けさのなかに、やわらかく溶けた。
たとえ誰にも祝福されなくても。
たとえいつまでも“秘密のまま”でも――
彼女の人生を、彼女の生き方を、俺は信じて歩いていく。
――この人は、誰のものでもない。
けれど、俺の“妻”であり、子どもたちの“母”であり、
そして、世界にただ一人の“如月美咲”だ。
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