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10/21

◆第10話『俺の妻は、誰のものでもない。けれど、誰にも言えない』


 


 如月美咲、復帰作――正式配信開始。


 タイトルは、《透明な身体、濡れた心。〜あの日の続きを、あなたに〜》。


 ママになった彼女のカムバック作は、業界の内外で“異例の注目”を集めていた。


 


 レビューサイトには、すでに数百件を超えるコメントが並んでいた。


 


「如月美咲、戻ってきたあああああ!」

「産後? マジで? 逆にエロい」

「腹見せなかったのは戦略? 色気すごい」

「今作、接吻のリアルさやばい。なんか本当に恋してる感じだった」

「え、てか妊娠してたって噂マジ?」

「復帰第1作でこれは伝説になる」

「ていうか、結婚してる説ない?」


 


 その一文に、俺の手が止まる。


 


 ――そうだ。誰も知らない。


 彼女が、俺の“妻”であることを。

 そして、“子どもを産んでいた”ことを。


 


 世間にとって、如月美咲は今も“独身のまま現役を貫くレジェンドAV女優”であり、

 清楚を貫く完璧なイメージのままで、美しく、官能的に、再びステージに戻ってきた存在である。


 


 誰も、“あの日”から今日までの現実を知らない。


 ――いや、知る必要もないのかもしれない。


 



 撮影翌日。

 帰宅した俺を出迎えたのは、2人の子どもを寝かしつけたあとの美咲だった。


 リビングの灯りは薄暗く、コップに注がれた麦茶の水滴が、季節の移り変わりを感じさせた。


 


「……見た?」


「見た。……全部」


 


 テレビの画面に映るのは、VODサービスのTOPバナー。

 如月美咲が復帰したことを大きく告げるサムネイルが、まるで“勝者の凱旋”のように、画面の中央に浮かんでいた。


 


「すごいね。もう3万ダウンロードいってるって」


「……それはすごい。普通なら半月かかる」


「ふふ、やっぱり私、辞めないでよかったかな?」


 


 彼女は、AV女優である自分を、隠さない。

 むしろ、自分の武器として誇りを持っている。


 


「ねぇ、悠人くん。……このままずっと、秘密のままでいいのかな?」


「なにを?」


「私たちのこと。……夫婦ってこと。双子がいるってこと」


 


 その言葉に、俺は言葉を失った。


 


 たしかに俺たちは、籍を入れている。

 子どもも産まれた。

 でも、“如月美咲”はそれを“表に出してはいない”。


 今の美咲は、あくまで“独身女優”として、完璧に振る舞っている。


 


「……言っても、誰も信じないかもしれない」


「逆に炎上するかもね。“裏切られた”とか、“幻滅した”とか」


「お前は、それでも平気か?」


「……ちょっとだけ、怖い。でも、あなたが“家に帰ればここにいる”って思ってくれるなら……私は、大丈夫」


 


 それは、強がりのようで、本音だった。


 



 SNSでは、ある“噂”が出回りはじめていた。


 《如月美咲は、実は結婚してる?》《出産してる説浮上》

 《関係者によると、出産後の復帰との話も》《相手は業界人? 素人?》


 


 少しずつ、世間が気づき始めている。

 けれど、確証はない。


 俺たちは、公に“夫婦”であることを発表していない。

 マネージャーと女優――ただそれだけの関係として、仕事の場では通している。


 


 だがその一方で、彼女が子どもたちを抱いて眠る姿も、

 食卓で子どもに離乳食をあげる姿も、

 俺は誰より近くで見てきた。


 


 それは、“演技”ではなかった。


 本物の、母であり、妻であり、人間としての彼女だった。


 



 夜。


 寝室で隣に並び、手を握ったまま彼女が言う。


「ねぇ、私たち、変わってるね。……普通だったら、もっと堂々としていいはずなのに」


「堂々としないことが、守ることにもなる」


「……でも、いつか、バレるよ。世間は甘くない」


 


 それでも、俺はこう答えた。


 


「そのときは、“夫”として全部受け止める。……お前が守ってきた“如月美咲”を、今度は俺が守る番だから」


 


 彼女は、少し黙ってから笑った。


「……そうだね。マネージャーだけど、いちばん近い味方だもんね」


「味方じゃない。“旦那”だよ」


「ふふ、たしかに。……うちの旦那、なかなか嫉妬深いし」


 


 彼女の笑顔が、夜の静けさのなかに、やわらかく溶けた。


 


 たとえ誰にも祝福されなくても。

 たとえいつまでも“秘密のまま”でも――


 彼女の人生を、彼女の生き方を、俺は信じて歩いていく。


 


 


 ――この人は、誰のものでもない。

 けれど、俺の“妻”であり、子どもたちの“母”であり、

 そして、世界にただ一人の“如月美咲”だ。


 


最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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