第25話:心の占有率
「結婚、ですか? ぼくとカティナさんが?」
「そっ。悪くない話だと思わない?」
結婚という極めて具体的な単語が飛び出したにも関わらず、ドレイクは相変わらずキョトンとした顔で瞬きを繰り返している。
だが、カティナはその鈍すぎる反応も想定内だったようで、甘い空気を保ったまま、落ち着いた口調でこの婚姻によって得られる政治的な利を唱え始めた。
「あなたは皇帝になるんでしょう? そんなあなたと私が結婚することが、バロン王国復興への一番の近道だと思うの」
「はぁ」
「ロヴァニア帝国とバロン王国は一心同体。帝国の繁栄は王国の繁栄と同義。それならきっと、アーギルの戦士も心から帰順するはずよ」
「なるほど」
「私の願いは叶い、あなたは多くの臣下を得ることができる。でもね、あなたにとっての利は、他にもあるのよ」
カティナは滑るように距離を詰め、ドレイクの肩へぴたりと身を寄せた。白魚のような指先が、少年の胸元へそっと這うように添えられる。
熱を帯びた吐息がかかる距離。上目遣いの潤んだ瞳で妖艶にドレイクの顔を見つめるが、少年の表情は不思議なほど平素のままだった。
「偉大な王となるには、多くの知識と経験が必要になる。そしてそれを得るには、隣で支えてくれるパートナーも必要なのよ」
「支えてくれるパートナー……プリ姉のことですか?」
甘いムードを根こそぎ粉砕するような、突如として飛び出した別の女の名前に、カティナの眉がぴくりと引き攣った。
が、ここは大人としての余裕を見せ、敢えてその名はスルーすることにした。
「……私は王女としての教育を受けてきたし、戦士の立場も理解してる」
「はぁ」
「それに、私は女としても自分を磨いてきたわ。あなたの良き妻として、きっと力になれる。どうかしら?」
「えっと、どうなんでしょう……。ぼく、そういうのってよく分からなくて。プリ姉に聞いてみないと……」
「あ、あなたから見て、私ってどう?」
またしても繰り出された『プリ姉』という名前に苛立ちを覚えつつも、カティナは強引に話を自分の魅力へと引き戻した。
少しだけ身を乗り出し、胸の谷間を強調しながら直球の問いを投げかける。
「え? あ、すごく強かったですよ! 魔力の扱い方とか、すごく参考になりました! 特に最後の技なんて──」
「もう、そうじゃなくて。女としてどう? ってことよ」
武人としては最高の賛辞であっても、今は全く求めていないピントのずれた回答を遮り、カティナは頬を引き攣らせながら念を押した。
しかし、恋や愛の機微など知る由もない少年の口から出たのは、さらなる斜め上の評価だった。
「ぼくは、女の人と戦ったのはカティナさんが初めてだったんで上手く言えないんですけど……男の奴隷戦士と比べても、一番強いと思います。 カティナさんなら、すぐに奴隷戦士から解放されますよ!」
「そ、そう。ありがと……」
どれだけ大人の色気で押そうとしても、暖簾に腕押しどころか、別次元の回答でのらりくらりと躱されてしまう。
ついに痺れを切らしたカティナは、言葉での誘導を諦め、直接的な実力行使で絡め取ることにした。
ドレイクの腕をグイと引き寄せ、バスローブ越しでも伝わる双丘で、その腕をたっぷりと挟み込む。
「ねぇ、年上の女は嫌い?」
「そ、そんなことないですよ! プリ姉だってぼくより年上だし、嫌いだなんてそんな……」
再三にわたり聞かされた人物名。腕を胸で挟まれるという刺激を受けてなお、ドレイクの心は『プリ姉』によって独占されている。
その事実を痛感したカティナは、熱を帯びていた瞳をスッと冷まし、ジトリと恨めしそうな視線をドレイクに向けた。
「ちょっと。さっきから『プリ姉プリ姉』って、それ誰? あなたのお姉さん?」
「えと、本当の姉ではないんですけど、姉みたいっていうか、親友っていうか……パートナー、ですかね。えへへ」
自分の『女』としての魅力をどれだけアピールしようとも眉一つ動かさなかった少年が、照れくさそうに頬を染め、心底嬉しそうに『プリ姉』との関係を語っている。
その事実を突きつけられ、カティナの表情がみるみるうちに曇っていった。
(うっそ〜……。奴隷期間が長いから、そういう相手はいないと思ってたのに。完全に恋する思春期じゃない……)
目論見が外れ、内心で失意に沈むカティナ。
だが、戦士としての、そして女としての彼女の瞳に宿る炎はまだ消えてはいなかった。
ドレイクのたどたどしい言動から察するに、そのプリ姉とやらとは、まだ明確な恋仲になった訳ではない。
己の恋心にすら気付いていない少年が相手ならば、付け入る隙はいくらでもある。
そう瞬時に思考したカティナは、極めてシンプルかつ暴力的な結論へと達した。
『もう押し倒しちゃえ』──と。
「え、ちょっ……カティナさん!?」
「女に恥をかかせる気!? それに、こんな時に別の女の名前を出すなんて、失礼にも程があるわ!」
ベッドに力ずくで押し倒され、上に跨がられたドレイク。
だが、彼の脳裏を支配したのは、襲われているという危機感でも、柔らかな肌の感触でもなかった。
(う……。そういえば『キュンとこ☆』に『別の女をチラつかせる男は滅ぶべきだ』って書いてあったかも! ぼくは、なんてことを……)
偏向的な恋愛指南雑誌の知識が、この緊急事態でフラッシュバックする。押し倒されたドレイクは激しい反省と罪悪感による思考の渦に縛られ、完全にフリーズしてしまった。
ドレイクの抵抗が止んだことを絶好の機と見たカティナは、さらに深く覆い被さろうとした。だが、その時──
「ん……何持ってるの?」
「え、あ……これはプリ……じゃなくて、ババ抜きでもどうかな〜、って」
手で隠していたはずのトランプが見つかったことで慌てるドレイクの言い訳を聞き、カティナの顔が今度は怒りによって朱に染まっていく。
「そんな子供の遊び、するわけないでしょ! 私が遊びでこんなことしてると思ってるの!? それに、またプリ姉って言おうとしたわね!」
女としてのプライドを粉々に砕かれた怒りを露わにし、『何がなんでも既成事実作ってやる!』と自棄を起こしたカティナが、バスローブの帯に手をかけた、次の瞬間──
「くらぁ! 何やっとんじゃい!!」
有事の際の絶対防壁であったはずの重厚な扉が、激しい衝撃音と共に、一人のスーパーメイドによって蹴り破られたのであった。




