第24話:したたかな王女
迷宮のように入り組んだ薄暗い裏通路を、カティナに手を引かれて進むドレイク。
そこは反乱や暴動など、有事の際に権力者を匿うための絶対の聖域として機能する隠し部屋への道程だった。
その秘匿性に満ちた空間へ辿り着くには、巧妙に偽装された幾つもの隠し扉を潜り抜けねばならない。
難解な通路を迷いなく進み、カティナが重厚な最後の扉を開き放つ。
次の瞬間、薄暗闇に慣れていたドレイクの目は、そこに広がる豪奢な空間に目を眩ませた。
「うわぁ……」
「すごいでしょ? 私一人じゃ持て余しちゃって」
それは『シェルター』という呼称から想像される陰鬱さとは無縁の、貴族が己の虚栄心を満たすために贅の限りを尽くした空間だった。
天井からはクリスタルが煌めく壮麗なシャンデリアが下がり、足元には歩くたびにふわりと沈み込む最高級の厚手絨毯が敷き詰められている。
生活必需品や万全の備蓄食料すらも、まるで芸術品のように美しく配置され、王侯貴族の夜会すら開けそうなほどの圧倒的な品格を備えていた。
「アッシュゲートに、まだこんな場所があったんですね」
「有事の際はここで過ごすみたいよ。貴族限定だけどね」
「カティナさん一人なんですか?」
「そ。私を隔離するためなんだけど、役得といえば役得よね」
カティナが、いくつも並ぶ装飾的な扉の一つに手をかける。
そこは、超一流ホテルのスイートルームすら凌駕する絢爛豪華な主寝室だった。部屋の中央に鎮座する、滑らかなシルクのシーツが張られたキングサイズのベッド。そこに促されるままドレイクを腰掛けさせると、カティナは髪留めを優雅な手つきで外し、大人びた微笑を向けた。
「ねぇ。シャワーを浴びてきてもいいかしら?」
「え? あぁ、はい。どうぞ」
微塵の警戒心もなく、素直に首を縦に振ったドレイク。カティナは『すぐ戻るわね』と艶やかな手つきで少年の頬にふわりと触れ、バスルームへと姿を消した。
一人取り残され、手持ち無沙汰になったドレイクは、物珍しそうにキョロキョロと部屋の中を見回した。
(プリ姉と遊んだ部屋より豪華だなぁ。本棚もあるし、あれはお酒が並んでるのかな? )
重厚なマホガニーの壁棚には、古めかしい装丁の書籍群と、下界では目にもできないであろう数々の銘柄のワインや琥珀色の蒸留酒が、まるで宝物庫のように所狭しと並べられている。
隣に置かれた透明度の高いクリスタルグラスが照明の光を乱反射し、この部屋の煌びやかさを一層引き立てていた。
視線を彷徨わせていたドレイクは、一際立派な装飾が施されたボトルを手に取り、その豪奢なラベルへと視線を落とした。
(ぼくは飲んだことないけど、プリ姉は飲んだことあるのかなぁ。今度聞いてみよう)
何気なく掴んだそのボトルが、『光の王冠』と呼ばれる幻の高級ブランデーであり、この一本で家が建つほどの価値がある事など、彼が知る由もない。
少年の脳裏に浮かんでいたのは、豪奢な晩餐ではなく、プリメッタと一緒にお菓子をかじりながら、ティーカップでブランデーをすするという、どこまでも素朴で微笑ましい光景だった。
「あ、トランプだ!」
次に見つけたのは、細密な金箔の細工が施されたトランプだった。
部屋の隅に鎮座するダーツボードや、宝石のように磨き上げられたビリヤード台には目もくれず、ドレイクは幻のブランデーをあっさりと棚に戻し、トランプが置かれた遊戯台へと足早に向かった。
本来であれば、専属のディーラーを呼び寄せ、ギャンブルという娯楽に興じるための台。
高度な心理戦が交わされるポーカーを始めとした数々の遊戯──だが、目を輝かせながらカードを手にしたドレイクの頭を満たしていたのは、かつてプリメッタと熱中した『ババ抜き』の記憶だった。
(ぼくもあれから少しは成長したし、今ならプリ姉に勝てるかな?)
手も足も出ず、完敗を喫したプリメッタとのババ抜き。何度挑んでも手札を完全に見透かされ、結局一度も勝つことはできなかった。
その原因は明白。ドレイク自身が感情の抑制を上手くできず、動揺がすぐさま表情に表れてしまう未熟さこそが敗因だったのだ。
だが、死線を潜り抜けた今の自分なら、冷静沈着なポーカーフェイスを崩さずに勝負できるはず。
敗北に唇を尖らせて悔しがりながらも、とびきりの笑顔で再戦を申し込んでくるプリメッタの姿が、ドレイクの脳内に鮮明に広がっていく。
高級なトランプを両手に握りしめたままベッドに腰掛け、『えへへ』と笑顔をこぼすドレイク。
結局のところ、顔に出やすいその本質が何一つ変わっていないという事実に気づかぬまま、無邪気な妄想を膨らませていると──。
「ふふ。おまたせ」
湯気と共に、甘く濃厚な香りを漂わせながらカティナが戻ってきた。
熱いシャワーを浴びて頬をほんのりと桜色に紅潮させ、しっとりと濡れた長い赤髪をタオルで無造作に拭う姿。彼女が身に纏った純白のバスローブは意図的にだらしなく羽織られており、帯の結び目も緩い。
闘技場で見せた武人としての顔とは打って変わった、大人の女としての艶かしさ。その滑らかな白磁の肌が、着崩した隙間から惜しげもなく露わになっていた。
変なところを見られたと慌てたドレイクは、持っていたトランプを咄嗟に両手で隠し、ぺこりと不器用に頭を下げた。
「鉄輪が邪魔よねぇ。まぁ、私は一つだし、あなたの三つに比べたらマシだけど」
「ぼくは慣れちゃいました。それに、今回ので二つになりますし」
「そっか。あー、私も二つになっちゃうのね。それならなおさら、今のうちに……ね?」
「?」
首を傾げるドレイクの隣。肌の熱と甘い香りが直接伝わってくるほどの、肩が触れ合う距離にカティナが腰を下ろした。
彼女が前屈みになって少年の顔を下から覗き込むと、ただでさえ緩んでいたバスローブの胸元がさらにたわみ、双丘が眩しい照明の下で極めて蠱惑的な影を作った。
「私は負けちゃったけど、バロン王国復興のために、やれることはヤっておきたいの」
「そうですよね。ぼくにできることがあるなら、なんでも言ってください」
その言葉の意味を文字通りにしか受け取らず、純粋無垢な微笑みを浮かべて頷くドレイク。
見事に毒気を抜かれたカティナだったが、すぐに妖艶な、それでいてどこか肉食獣を思わせる笑みを唇に刻んだ。
(うふふ。この子、近くで見るとますます可愛い! しかも強い上に優しくて、芯はしっかりしてる。でも、こっち方面はやっぱり初心みたいね)
人を導く王族としての洞察力と、泥に塗れて生き抜く戦士としての強かさ。
そして何より、一人の女としての鋭い直感が、カティナの脳内にある一つの結論を導き出していた。
『この子、押せばイケるわね!!』……と。
「ねぇ、ドレイク。侵略を受けたバロンは帝国を憎み、帝国はバロンを属国だと見下している。このままじゃ、両国のわだかまりが消えることは無いわ」
「そう……ですよね。ロヴァニアは、それだけ酷いことをしたんですもんね……」
「ふふ、あなたが気にすることじゃないわ。でもね、あなたにしかできない方法で、平和的に両国を和解させる方法があるのよ」
「ぼくにしか? それは──」
それほどまでに素晴らしい方法があるのなら、是が非にでも聞いておきたい。そう身を乗り出し、疑問を投げかけようと唇を開いたドレイク。
だが、その先の言葉が紡がれるよりも早く、カティナの白魚のような柔らかい指先が、少年の唇に色っぽく、そして優しく添えられた。
「それはね──私と、あなたが結婚すればいいのよ」




