銀の森2
底が見えるほど透き通った水面に糸を垂らし、その下で悠々と泳ぐ魚が針にかかるのを、今か今かと辛抱強く待つ。
はっきりと魚の姿が見えているのに、なかなか餌に食いつかないのは、かなりじれったい。
「これ、本当釣れんの?」
「気長に待てば、いつかは釣れますよ」
「皇子の言う通りです」
釣りに飽きた魔導士が文句を言う中、皇子は意外にも頑固に釣りを続けている。
ピクリとも動かない浮きを、どれくらいの間見続けているだろうか。
何もせず魚が針にかかるのを待っているだけの時間は、退屈と静けさが相待って長く感じるものだ。
「もう結構待ってますけど」
「釣りとは忍耐です。我慢強く待ちましょう」
「さすがです、皇子」
魔導士の限界が近いな。
もともと退屈が嫌いな魔導士に、やはり釣りは無理だったか。
時間も結構経つ。
そろそろ釣りを止めて次の依頼に行きたいところだが、皇子のやる気が持続し続ける以上下手に切り上げることはできない。
一匹でも釣れてくれれば終わらせることができるのだが、食いつきもしないのは、やはり餌が大きすぎるせいだろうか。
どうやら俺は、あの時の選択を誤ったらしい。
もう少し小さい虫を勧めておくんだったな。
「もう俺飽きたー。勇者、そこの魚捕って次に行こうぜ」
元はと言えばこうなった原因は魔導士だ。
魔導士には皇子が魚を釣り上げるまで、責任を持って見守る義務があるんじゃないのか。
「魔導士、皇子の邪魔をするな」
「はぁ……。暇」
俺たちは今、ギルドで受けた三つの依頼の内の一つ薬草採取を終え、次の依頼……ではなく、本日の夕食用に魚を釣っている。
そして、かれこれ一時間程この状態のままでだ。
こうなると分かっていれば、一時間前にあの発言をした魔導士を沢に沈めてやったのにな。
一時間前
魔導士と薬草の採取をしていた皇子が、不意に立ち上がり俺の方へと歩いてきた。
皇子時は目の前で立ち止まり、薬草を握る拳を俺に差し出す。
「これもお願いします」
俺は差し出された薬草を手に取り、お礼を言おうと口を開きかけたが、何か引っかかりを覚え口を閉じた。
この場面に既視感があるのだが、いつだったか。
割と最近のような気がする・・・・・・。
「今度は受け取ってくれますよね?」
「今度は?」
眉をハの字に下げ不安そうに俺を見上げる皇子の顔を見ながら、必死に言葉の意味を考える。
俺は不遜にも皇子からの贈り物を拒否したことがあると?
いつだ?
皇子に物をもらったことなど無いと思ったが。
しかし、皇子に薬草を渡された時、何故か既視感を覚えた。
と言うことは、やはり俺は皇子に何かもらったことがあるのだろうか。
なかなか思い出せない記憶を引っ張り出そうと頭を抱えていると、後ろで水が跳ねる音がした。
そういば、この沢には魚がいるんだったな。
丁度いい。夕食用に獲って帰るか。
「有り難く頂戴します」
思い出せない以上は仕方がないと、俺は思い出すのを諦めた。
曖昧な既視感よりも、今は夕食の調達の方が大事だしな。
皇子に礼を言って、貰った薬草をすでにいっぱいの袋に無理矢理詰め込んだ。
沢に振り返り、水のすぐ側まで移動する。
水面を覗けば底までよく見えた。
当然、横に並んで泳ぐ三匹の魚も丸見えだ。
これなら直ぐに捕まえられるだろう。
俺は右肘を引き、手指をピッタリと揃え、指先を獲物に向けて真っ直ぐに構える。
よく跳ねる生きのいい魚だが、俺に捕らえられない魚などいない。
海でクラーケンを討伐した際、ついでに捕まえた魚は二メートルを優に超えていた。
対して目の前を泳ぐ魚は精々三十センチ。
まだ俺の気配にも気づいていないようだ。
一匹ずつ確実に掴み上げてやる。
俺は狙いを定め、一番手前の魚に向かって手刀を繰り出そうと腕を振り下ろした。
「そうやって獲るんですね」
耳元で囁かれ、盛大に的を外した。
勢いそのままに振りお下された手刀が水を叩き、大きな水飛沫が上がった。
巻き込まれ中に浮いた魚たちが、水飛沫と共に沢へ帰っていく。
「あっ、魚が」
目の前を通り過ぎる魚に手を伸ばす皇子の横で、俺は片耳を抑え固まる。
い、今のは何が起きたんだ。
急に耳がゾワゾワして、そのうえ頭もぼーとして、気づいたら水を叩いていた・・・・・・。
声をかけられた左耳には、まだ違和感が残っている。
疼くような痺れが耳だけではなく思考をも麻痺させ、熱を生じているのか、抑えている手がじんわりと暖かい。
俺は初めての感覚に、ただただ耳を抑え、湧き上がる感情を必死に堪えることしかできなかった。
ここから一歩でも動くことは愚か、立ち上がることもできない程に腰が弱りきっている。
「ふー。顔が真っ赤だぞ?ゆーー」
突然、反対側の耳に生暖かい息をかけられ、俺は反射的に発生源を沢へとはたき落とした。
バッシャーン!!
「魔導士!?」
もう異常は回復したようだな。
体もよく動くし大丈夫そうだ。
「おい!ふざけんなよ勇者!!」
「先にふざけてきたのはお前だろ。俺はお返しをしてやっただけだ」
ずぶ濡れの魔導士が、沢から上がってくるなり吠え出したが、俺はしれっと言い返してやる。
「お返しってなあ!お陰でずぶ濡れじゃんかよ!!」
「自業自得だ」
俺にくだらないことをする魔導士が悪いんだろう。
「大丈夫ですか」
優しい皇子は馬鹿の心配もしてくれるようだ。
「心配なんてする必要はありませんよ」
「ですが濡れたままでは風邪を引いてしまいます」
魔導士がこれしきのことで風邪など引くものか。
猛吹雪の雪山に埋めても風邪をひかない怪物だぞ。
馬鹿は風邪を引かないんだと、本気で思った瞬間だったな。
「皇子は優しいな〜。元勇者とは大違いで」
「これ以上ふざけ続けるようなら、沢に沈めた後、そこら辺の木に縛りつけるぞ」
「本当にやられそうで怖いわー」
全く怖くないくせに演技をする魔導士に、より一層の苛立ちを覚える。
一見涙目で恐怖に怯えているように見えるが、笑いを堪えられず口の端がピクピク震えているのが丸見えだぞ。
「勇者。いくら仲がいいと言っても、一方的に暴力を振るうのは良くありませんよ」
はあ・・・・・・。
皇子には俺が悪者に見えるらしい。
あんな下手くそな演技でも、割と多くの人が騙されるからな。
これ以上は付き合い切れず、なんとかしろと俺は魔導士に目で合図をした。
「皇子、心配しなくても大丈夫ですよ。戯れてるだけですから。それより、さっき皇子が魚を見ているのを見て閃いたんですけど、魚釣りしたくないですか?」
「したいです!」
魔導士は話を逸らすことに成功したが、いきなり釣りはないだろう。
道具は持ってなくても森にあるもので作ることができるが、何より時間がない。
俺たちはあと二つの依頼を受けていることを、まさか忘れているんじゃないだろうな。
「でも道具がないだろう」
俺は遠回しに、そんな時間はないと伝えてみる。
「それがあるんだな〜」
しかし、それに気づかない魔導士は皇子の鞄を勝手に開け、中から何やら小さい物を取り出した。
「はい、釣竿っと」
魔導士が言うに、小さいそれは釣り竿らしい。
よく見ると確かに形は釣り竿のそれだ。
「これで釣るのは難しそうですが・・・・・・」
疑わしそうに渡された釣竿を手にする皇子を前に、魔導士がニヤリと笑った。
「魔力を込めてみてください」
言われるがままに、小さい竿に魔力を込め始める皇子。
ひんやりとした青い魔力が竿に注がれていく。
すると竿は少しずつ大きくなり、皇子が使用するのに丁度いい大きさになった。
「聖職者のお手製ですよ」
「変な効果は?」
「大きさを変えられるだけって言ってたぞ」
本当かどうか怪しいが、皇子用に作られた物を警戒する必要はないだろう。
聖職者は変わってはいるものの、馬鹿ではないからな。
多分、大丈夫なはずだ。
こうして皇子の釣りが始まったのが一時間前の話。
不意に、浮きが水面より下に下がった。
「かかった!」
皇子の声と同時に、竿が大きくしなる。
激しく抵抗する魚の力に引っ張られそうになる皇子の腰をとっさに掴み、沢に引きずり込まれないように、その場に固定した。
魚と皇子の格闘は白熱していたが、今回は皇子に軍配が上がったようだ。
引き上げられた魚が宙に放り出されたところを、俺が掴み取り皇子の前に差し出した。
「大きいですね!こんな魚を自分で釣ったなんて感動です!!」
嬉しさで興奮しっきた様子の皇子を前に、俺もつられて嬉しいくなる。
魚釣りでこんな気持ちになったのはいつぶりか。
俺はもう少しこの和やかなムードを味わっていたかったが、背後で不機嫌を魔力に込めて飛ばしてくる魔導士がいるため諦めた。
「魔導士。皇子が釣った魚の処理を頼んだ」
魔導士に「あとは俺が取ってくるから」とアイコンタクトで伝えながら、言葉では別の指示を出す。
「了解〜。皇子、魚持ってきてください」
「はい」
皇子は魚を両手で持ち、魔導士の方へ向かって行った。
あっちは魔導士に任せておけば大丈夫だろう。
内臓を取って、冷凍にするだけだからな。
さて、俺はあと三匹は捕まえないと、誰かが夕食にメイン無しになってしまう。
それは俺の主夫としてのプライドが許さない。
絶対に捕らえてやる。
透き通る流水を覗き込み、腕を構え狙いをつける。
横に並んで泳ぐ魚の内一匹が他より少し前に出た。
今だ。鋭角から繰り出した手刀が前に出た一匹の腹下をすくい、宙へと放り出した。
共に掬い上げられた水はそのほとんどが対岸へと飛び、水を失った魚は無抵抗のまま俺の左手に落ちる。
俺に捕まれ、ようやく自身の状況を理解したのか、魚は途端に暴れ出したが、後の祭りだ。
「おい、魔導士」
「はいはーい」
獲った魚を魔導士に向かって放り、俺は次の獲物を狙う。
今日の夕食は何にしようか。
シンプルに塩焼きか。
それともバターと焼いてムニエルにするか。
煮物も捨てがたい。
あと二匹。
俺は夕食のメニューを考えながら、再び腕を構えた。




