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⑦父なるもの

ここから第二部です。

 ソルヴェールより馬車を走らせること三日。内陸の風景が様変わりし、坂が増えるにつれ、窓から吹き込む風に潮の香りが混じり始める。

 海を臨む町、シースリーユ。

 巨大な桟橋には無数の船が繋がれ、海岸沿いには用途も様々な露店がにぎやかに軒を連ねる。色とりどりの船体が海上に揺れ、個性的な幟(のぼり)がそこかしこにはためく様は圧巻だ。日に焼けた肌をあらわにして行き交う人々の表情も明るい。

 一方、坂の上には高位貴族の保有する豪奢(ごうしゃ)な屋敷が立ち並ぶ。保養所として普段は町人に管理させてあるものが半分、静かな余生を望んで移り住んだリタイア貴族が半分、それから世俗を厭う変わり種が少々。閑静(かんせい)な路地には石畳を踏む足音さえよく響く。

 グレン・ヴァレリス公爵を乗せた馬車は、坂の上にある際立って立派な鉄門に守られた屋敷の敷地に入っていった。ビロード張りの座面に身を沈めた公爵の暗澹(あんたん)たる表情を知る者はいない。

 そこは、先代公爵エラルド・ヴァレリス卿の住まう屋敷である。



「召喚に応じ馳せ参じました。我が敬愛なる父卿におかれましてはご機嫌麗しゅう存じます」

「下らん口上を垂れる余裕があるとは喜ばしいな、グレン。一秒でも早くソルヴェールに戻りたいかと思っておったが」


 応接間ではなく書斎に通され、立ったまま待たされたグレンの前に悠々と現れたエラルドは、嫌味な薄笑いを浮かべて安楽椅子にどっかりと腰を下ろした。

 従僮(じゅうどう)がフットレストを足元に据え、パイプに葉を詰めて差し出す。グレンの手から上着と手荷物が消えて椅子が用意されたのはようやくその後のことだった。

 濃い煙を吹き上げ、試すようにエラルドが問う。


「レネは連れてこんかったのか」

「彼がいなければ公爵家は回りませんから」

「なら連れ戻してやろう。あれは元々儂のものだ」


 不快感が顔に表れるのを自覚する。

 この男の悪癖。グレンに無理難題を押し付け、弱点を揺さぶる。

 それがまぎれもない悪意によるものならとっくに逃げ出していた。そうでないと理解させるための塩梅(あんばい)を弁えているからこそ、この男は性質が悪い。

 パイプの煙を、今度は深く広く吐き出して、エラルドは不快げに眉頭を寄せる。


「嫌なら嫌だとはっきり言え。身内相手に臆しているようではいつか家を潰す。"決定権は自分にのみある"という振る舞いを身につけろ」

「……父上は身内ではないのですか」

「話題によっては父、話題によっては敵だ」


 こうして試すのは、ヴァレリスの後継者として力をつけさせるためだとわかっている。

 知命五十にして公爵位を譲ると言い出したのは、野心に乏しいグレンに早くから経験を積ませることが目的だ。致命的な失敗に備えた保険として、どこかから見出したレネを優秀な影に育て上げ傍につけもした。

 切なる親心、などという純粋なものではない。完璧な後継者を欲するなら縁戚に優秀な者がいくらでもいたはずで、わざわざ手を掛けなければ一人前に届かないグレンは決して気に入られていない。

 それでもひとり息子にヴァレリスを継がせたのは、いざという時に逆らう牙を持たぬ腑抜けのほうが御しやすいとの判断からだろうと、グレンは考えている。

 しばしの沈黙を経て、エラルドは退屈そうに視線を外した。

 出入り扉の前に控えていた従僮にお茶の支度を申し付け、しばらく人払いをしておくように付け加える。

 丁寧な礼と共に、速やかに扉は閉ざされた。


「――ラドフォードの子供はどうしている」


 エラルドの口からその名が出たことに、驚きはなかった。苛立ちを喉の奥に沈めたまま己の知る事実を述べていく。


「大きな問題は生じていません。最近は笑う声も聞こえてきます」

「自力で立ち歩けているのか」

「庭に出られるようになったと聞きました。食事も、もうすぐ副菜まで完食できそうだと」


 アルビン・ラドフォードと直接の顔合わせはしていない。昨今はレネに付き添われて庭を歩くのを遠目に見かけることがあり、その際はおおむね明るい表情をしている。

 来訪時には侍従に不審がられるほどみすぼらしい風体で、しばらく様子を伺ってみれば寝付くような酷い怪我をしていたという。

 三ヵ月かけて体力を回復させ、それでもまだ小枝のような手指なのだとレネは言っていた。


「やはりなにかご存知なのですね」


 アルビンが携えていたラドフォード侯爵からの書簡は総体として要領を得ないものだったが、どうにも"要求は呑んだ、これ以上は不可侵とされたい"と読み取れた。

 表立った関わりのない家相手に不可侵もあるまい。ならばそもそも書簡はグレンではなく、エラルドに宛てられたものと考えるしかない。

 懐から取り出した書簡を差し出すと、エラルドは胡乱な視線で文字を追い、すぐ執務机の隅に放った。今夜中には竈の焚き付けになるだろう。


「つつがなく過ごしているのならよい。だが敷地からは出すな」

「なぜですか」


 答えの代わりに、エラルドは引き出しから一通の招待状を取り出した。

 黒い封筒。銀の宛名。染み付いた強い薔薇の香り。


「出不精(でぶしょう)のお前に社交の機会を与えてやろう、グレン。来週金曜の晩、中央にてロンサール伯爵夫人主催の仮面舞踏会がある。レネの帯同(たいどう)を許す」


 触れることも厭わしいそれを受け取って、空の懐にしまう。

 見上げているのにこちらを見下している、老獪(ろうかい)な視線がグレンを嗤う。


「拒否せんで構わんのか?」

「してもいいが後の事は知らん、でしょう?」


 具体的な指示は、すなわち異を唱え得ぬ決定事項となる。おまけにレネを連れていけと言う。しくじりは予定に含まれていない。

 否の選択肢はない。そもそも公爵家を継げと言われて反発できなかった時点で、己はこの男の傀儡(かいらい)に徹する以外の道がない。


「しつこく言っておくがレネの雇い主は儂だからな。度を越して甘ったれておるようならいずれ返してもらうぞ」

「その時は公爵位も合わせて返上いたしますよ」


 虚勢(きょせい)は鼻であしらわれる。

 お茶の用意を待たずに踵を返した。心安くシースリーユの町を観光できるまでには、向こう三十年はかかりそうだった。



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