⑧詐称者たち
黄昏に沈むアルバローズ中央都市。
石畳に車輪の音を響かせ、小さな馬車はロンサール伯爵家のタウンハウスへ向かっている。
瀟洒な外観に反して簡素な造りの馬車内部では、礼装に身を包んだグレンとレネが、既にぐったりとしながら膝を突き合わせていた。
「いやぁ、落ち着きませんね……僕、傅かれるよりお仕えするほうが性に合ってるんですが」
レネが身に纏うのは、ショールカラーのスモーキングコート。襟の高いシャツの首元に、深い青の輝石を戴いた銀細工が飾られている。普段は邪魔にならぬようひっつめているアッシュグレイの髪は軽く編み込んでリボンで束ねられ、小さなテールを作っている。
一方のグレンはオーソドックスなタキシードだ。飾りは銀のラペルピンとカフスボタン。襟元のタイの形に多少の遊びは取り入れてあるが、レネと並べば一目で身分に差があると判断できる。
これはエラルドの指示によるものだ。
ひとつは"ロンサール伯爵夫人の仮面舞踏会への参加"、もうひとつは"入場の際に身分を偽ること"。
ちなみに、レネの衣装にはシャツの素材やアクセサリーの角度にまで細やかな指定があったものの、グレンに対しては"タキシード、黒、銀飾り"とあるのみだった。
「俺に対する嫌がらせだよ。そんなに他人の顔色伺うのが好きならそうしてろ、って意味だ」
招待状の宛名は"コーディエ子爵令息レナート・コーディエ様"。この外堀の埋め方なら、レナート役は着飾ったレネがこなすしかない。
必然的にグレンは侍従役になる。常日頃膝を折ってくれるレネに、今夜は跪いてみろというわけだ。
たしかに多大な苦労をかけている自覚はある。だが、あの狸親父のように威圧的に接したことも、無理難題をふっかけたこともない――では甘えていないのかと問われれば、黙るしかないのだが。
「まあ、お互いに割り切りましょう。芝居だと思えば貴重な体験です」
「素人が即興芝居かぁ。大事故の予感しかしないけどなぁ」
「そこはほら、僕がついてますから」
最後のぼやきを終える頃、馬車は目的地に辿り着いた。闇に滲む門灯、開け放たれた正面扉のすぐ内側にはハーフマスクを着けた受付係が立っている。
"レナート"が卒なく招待状を差し出すと、受付係は仕掛け人形のように慇懃に腰を折った。
「お待ちしておりました、コーディエ子爵令息様」
「侍従はひとりだ」
「畏まりました。マスクを御用意いたします。こちらへ」
華美な礼装、高慢な口調。"小金で成り上がった子爵家で甘やかされてきた鼻持ちならない青年"の手本のようだった。疑う余地はないだろう。
受付係が背を向けた隙に一度だけ振り返った"レナート"は、青菫色の瞳をいたずらっぽく細めてみせた。
「行こう、"ジル"」
「……承知しました、"レナート様"」
正直、ここまでなにも巧く運ぶ気がしないまま来てしまったが。結局こうなるから自分はレネに甘えてしまうんだよな、と、グレンは人知れず自責をやめた。
***
派手な羽飾りのついたハーフマスクを着け、地下に向かう階段へと通される。足元も危ういほど暗い通路を抜けた先、唐突に溢れ返る光に目を焼かれる。
薔薇と酒精の匂い。甲高い弦の楽と喧騒。
迫るようなシャンデリアの下、優雅に踊る人々は一角にしかいない。ホールの方々に大小のテーブルが用意され、人の足はそちらに向いている。
各テーブルには黒いハーフマスクとカマーベストのディーラーが控え、その手元にはルーレット盤、ポーカーチップ、カードの山が見える。
「ダンスホールに賭場を再現するとは……これは、なんとも」
「いやあ羽振りのいいことで。さすが文字通り一山当てたロンサール伯爵家」
今宵の主催、ロンサール伯爵家が存在感を示しはじめたのは、領地から銀山が発見されて以来だ。
礼装に銀細工のアクセサリーが指定されたのもそれが理由だったのだろう。"レナート"の独り言でやっと気づいたと知られれば狸親父に手酷く詰られそうだ。
素知らぬ顔で周囲を伺っていると、ホール奥に設けられた壇上に二つの人影が現れた。
片や、贅の極まる深紅のドレス。髪には精緻な銀飾り、デコルテに鎮座するのは赤ん坊の拳ほどもある一粒石のペンダント。このホールで唯一素顔を晒すのは、饗宴の主催マチルダ・ロンサール伯爵夫人。
片や、口上を述べる若い男は全身黒ずくめだ。ハーフマスクを飾る羽の金色だけが明るい。
「お集まりの皆様! 今宵ロンサールの麗しき薔薇は中央の頂に爛漫と咲き誇っております! 枯れることを知らぬこの薔薇に、皆様は至上の歓楽を求め黄金の露を宿らせてくださいませ! さすれば――」
男の片手に銀盆が現れる。
空のカクテルグラスが二脚。その底に沈む、赤色の薬包。
「ルーレットの勝者に一包、カードの勝者に一包。薔薇の女神は赤き奇跡の秘薬を与え給うことでしょう――さあ、御賞味ください!」
わぁっ、とホール全体が歓喜に沸く。
緞帳の影から幾人かの黒服が進み出る。手にした銀盆は、赤い液体の注がれたシェリーグラスを満載していた。
人々が我先にと群がり欲しがる様は、飢えた地虫が死骸に食らいつくようだった。
「御一人につき一杯を厳守してください。少量ですので秘薬の効果は三時間ほどに限定されます。御承知おきください」
二人の元にも黒服が歩み寄る。
秘薬の注がれたグラスからは果実とアルコールが香り、水面は微かに泡を浮かせている。
早速"レナート"はグラスを受け取り、人波の中に紛れようとした。
しかし、眼前の黒服がそれを止める。
「ここで飲み干してください。グラスは回収いたします」
"レナート"は動けない。倣ってグラスを受け取った"ジル"も動きを止める。
得体の知れぬものを口に入れるわけにはいかない。せめて時間を置こうにも、給仕係は今すぐグラスを空にしろと無言のまま迫る。
ならばせめて"ジル"にだけは飲ませまいと思っても、衆人環視の只中ではとれる策がない。飲むなと命じれば侍従連れで入った意義を疑われ、寄越せと強いればルール違反だと糺される。うっかり溢しでもしたらその時点で暴動が起きかねない。
どちらにせよ、悪目立ちすれば潜入は失敗だ。
「――"レナート様"、お先に」
その声は"ジル"のものだった。
"レナート"が思考を巡らせるよりも、人の目が向きはじめるよりも早く、声を発した唇が赤い液体を飲み干した。




