②望まれぬ客
埃を払われ暖められたゲストルーム。窓辺に飾られた小振りの寄せ植えと、青く満ちた水瓶。
連れ立った子供が息を呑む音を聞かなかったことにして、ローテーブルの上の小籠を示す。
「部屋着を用意いたしました。すぐに着替えをなさいますか?」
「え、あ……あの、……あとに、します。体が汚れているので」
「では湯浴みの支度を」
「あ、じ、自分でできますので……っ」
使用人として機嫌を顔に出すなど言語道断。しかし、その自戒が綻びるほど今のラウルは苛立っている。
目の前にいる、怯えた小動物のような子供。みすぼらしく、視線もまともに定まらない子供。
憐れむべきなのだろう。実際にレネの申し出は保護の観点ありきのもので、グレンがそれを許したのも相手が子供だからだ。
しかし、相手はラドフォード侯爵家の遣いを名乗っている。
体術に優れるのみならず謀計奇策を打ち出すことでも知られ、近隣諸国との条約締結時に名を挙げた家門。現在、家長であるラドフォード侯爵は国軍中将の地位に在る。実戦を知る軍人としては最高位の人間だ。
そういった家門と、国力を下支えするヴァレリス公爵家のような家門は、水と油よろしく相性が悪い。正直なところあえて距離を取った関係を保っていると言っていい。
なればこそ、その不可視の一線を踏み越えて寄越されたこの子供の意図はなにか、疑わずにはいられない。
「ラドフォード様」
自分でも驚くほど刺々しい呼びかけだった。
黴臭い鞄をぎゅっと胸に抱いて、子供は小さな身を一層に縮こめる。
「っ、なにか、」
「単刀直入に伺います。ここにおいでになった理由はなんですか」
「そ、れは……侯爵様からの、手紙に」
「御父上を侯爵様と呼ばれるのですね?」
ふっ、ふっ、と浅い呼吸の音がする。この態度で後ろ暗いものがないと判断するほうがおかしい。弱い者を責め苛むのは本意ではないが、自分まで警戒を怠るわけにはいかない。
――グレンがヴァレリス公爵を継いでまだ一年足らず。学徒のうちに立ち上げた製薬事業は安定しているが、領地の運営や他家との連携に関してはまだ不安定さが否めない。
老練な軍門家系がこの状況をどう見るか、火を見るよりも明らかだ。
歴史を紐解けば、一見か弱く無力な人間ほど間諜に適しているのも知れたこと。ラウルには、眼前で震えている子供が、心底忌々しいものにしか見えなかった。
「書簡にはありきたりな時候の挨拶しか書かれていませんでしたよ。符牒は公爵本人にのみ伝えろと釘を刺されましたか。生憎ですがグレン様に接近する機会はございませんので」
「知りません……僕は、なにも、ほんとに、」
糾弾され怯えきった子供は、力なく呟いたきりまた押し黙る。
「弁えた行動をなさってください。常に私の目があると努々お忘れなきように。それでは」
冷たく言い捨ててゲストルームを出る。
真白の手袋を着け直し、ラウルは主家と主人を守る意思を固くした。
***
深夜二時。
ようやく寝支度を終えたグレンの寝室に、聞こえるか否かのノックの音が届く。
名を問うまでもない。それは相手も承知の上だ。
返事を待たずにするりと室内へ入り込んだレネは、薄手の外套を纏っている。
「――どこに?」
「んー……三ヵ所、いや、四ヵ所でしょうか。一週間ほどいただいて」
指折り数える来訪先のひとつふたつは想像できるが、それ以上はまるで心当たりがない。
十四の頃に先代が領主館へと引き取ってきて以来、レネはずっとグレン付きの侍従をしている。
乳兄弟のラウルとは寝返りも打てない頃からの付き合いだ、血縁はなくとも家族だと思っているし不自然な話でもないだろう。
一方で、レネはどうか。グレンにとってはレネも家族同然。だが、何年傍にいてもどこか正体の掴みきれないこの男が周囲をどう見ているのか、グレンにはわからないままだ。
「ラウルが怪しいと言ってたぞ、例の子供。俺をひとりにするのか?」
「駄々捏ねないでください。急いで戻ってきますから」
幼稚な言い回しを柔らかくたしなめて、レネは胸に手を当て僅かに膝を折る。
「ヴァレリスの影として、我が主の目となり、耳となって参ります」
芝居じみた優美な動作。
引き留める選択肢すら持たない自分に歯噛みして、グレンはただ一言「無事に戻れ」と口にした。




