①不意の来訪者
アルバローズの中央都市より町二つを隔て、馬車を使って一両日の距離に位置する、ヴァレリス公爵領ソルヴェール。
その中央に聳える領主館に、一台の馬車が乗り入れようとしていた。家紋も装飾もない馬車は、されど貴人の移動に耐えうる頑強なものだ。
訝しみつつ御者に出元を問うた門番は、顔色を変えて館内に駆け込んだ。公爵家には縁の薄い家名だが、人の目を忍んで来訪した貴族家の人間をもてなさぬわけにはいかない。
執事長ラウル・フロイスは早足に客間の扉を開き、視界に飛び込んできた人影の異質さに思わず言葉を失った。
「――、」
「とっ……突然の御訪問を、お許しください。ラドフォード侯爵より、ヴァレリス公爵様にお目通りせよと申し付けられて参りました」
よろよろと立ち上がり、か細い声を発する痩せ細った子供がそこにいた。
顔色は幽鬼の如く抜け落ちて、枯色の髪には潤いもない。一昨年流行った刺繍模様の上着は丈が合っておらず、裾から覗く膝小僧には皿がくっきりと浮き出している。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「し、失礼しましたっ……アルビン・ラドフォードと申します」
「ラドフォード侯爵家の御令息、ですね?」
「ぁ……、」
子供は俯いて、それから言葉を継ぐことはなかった。
所持品はラドフォード侯爵からの書簡、そして黴臭い小さな鞄がひとつだけ。
ラウルは、にわかに頭が痛み出すのを感じた。
***
「ラドフォード侯爵家ぇ?」
鈍い痛みを発し続ける頭に、主の発した素頓狂な声が響く。
不意の客人を客間に留め置いたまま主の書斎に舞い戻ったラウルは、想定通りの反応に深い溜め息をついて頷いた。
執務机に齧りつきだった顔を上げた青年、若き公爵グレン・ヴァレリスは不審と不快を隠そうともしない。
当然といえば当然の反応だ。代々軍部の重鎮を輩出することで名の通るラドフォード侯爵家と、医術・製薬の研究開発支援を家門の要としているヴァレリス公爵家には録な接点がない。
「しかも、子供って言ったか?」
「ええ。十歳とおっしゃいましたが……正直、真に受けていいものか」
「もっと老けて見えた?」
「逆です、小さすぎて」
このくらい、と手で示した高さは腰にも届かぬ高さだ。たしかに、十歳だとしたら随分小柄と言える。
「それに、その……変わった髪の色をしておられました。冬枯れの草のような、漂白された生糸のような」
ラウルの付け足した情報を受け、新たな声が上がる。
「おかしいですね。ラドフォード侯爵家は燃えるような赤毛が特徴。それに御子息は三人、どなたも成人されているはずです」
声を上げたのは、二人の会話を聞きながら書類を畳んで封をしていた、執務補佐官のレネだ。
女気のない公爵家で唯一社交界と密に通じているレネが認識していないというならば、ラドフォード侯爵家より遣わされたというあの子供は一体何者なのか。
「ああああ面倒な……ただでさえバタついてるって時に!」
リードグラスを外して会話に本腰を入れたものの、グレンの表情は険しくなる一方だ。
先立って中央都市の地下水道から発見された遺体の件で事務処理に追われているところに突然の来客、しかも謎の子供。頭を抱える主に向く二対の視線にも憐憫がこもる。
しかし足踏みしてもいられない。タスクは積み上がり、客人はすぐそこにいる。
「侯爵の署名入りの書状をお持ちである以上、無碍にもできません。早々に用件を伺って今日中にお引き取り願うのが最善……は?!」
「あー……帰っていくねぇ、馬車」
溜息とともに仕切り直そうとしたラウルの視線の先で、見覚えのある馬車は無情に園庭を去っていった。窓越しの黄昏時、特徴のない馬車の姿はすぐ影に紛れて、どちらに走り去ったものかも判然としない。
絶句してしまったラウルの後を引き取ったのはレネだ。散らかった卓上をさっさと片付けると、ラウルの肩を軽く叩いて扉に向かう。
「客人には僕らが対応します。グレン様は引き続きお仕事を。ラウル、一通り話聞くだけ聞いて。僕はゲストルームを用意する」
「まさか迎え入れるのか?」
「もう日も落ちてる。夜の田舎町に貴族の子供を放り出すつもり?」
「ほら行くよ」と発破をかけるレネの背を最後に、扉が閉まり、静寂が訪れる。
ひとり残ったグレンは声もなく、ただ掌で目を覆った。




