⑮虚像
子供たちの駆け回る庭を横目に、チャペルの扉を開く。
しずしずと進み出たのは白い頭巾を被った修道女。彼女に懐から取り出した小さな皮袋を手渡して、グレンは胸に手を当てる。
「寄進を。急決まりの訪問だったから少額ですまないが」
厳かに皮袋を受け取って、修道女は荒れた指先で十字を切った。
彼女の名をシスター・ミラという。
中央府より認可を受けるアズール修道孤児院の院長は、年齢を感じさせない凛とした佇まいに、温度の乏しい灰色の瞳でグレンを見上げた。
「その御心に感謝を。慈悲深き公爵閣下に神の思し召しを。先代様は息災でいらっしゃいますか?」
「ああ、うんざりするほどな」
御子の像と向かい合い短い祈りを捧げた後で、シスターは長椅子をグレンに勧めた。
よく磨かれた木の手触りは、ひやりとして滑らかだ。
「なにかお困りごとですか」
「いや……工房の職員から、最近子供らの威勢がよくない気がして心配だと聞いた。変わりはないか? 風邪が流行ってるとか」
「季節風が吹き始めましたから、鼻のぐずつく程度はご容赦いただきたく存じます」
「叱責したいわけじゃないんだ。良い医者なら紹介できると思って。ほら、工房には医学を修めた者も少なくないし、副業希望者の斡旋だよ。今の往診医に不義理か?」
闊達に、できるだけ気安い調子で。ずっとすぐ近くで見てきたニュアンスをなんとかトレースしながら話を切り出してみたが、自然にできたかどうかはまったく自信がない。
伺い見たシスターの表情に変化は見られなかった。
しかし、淀みない応答にほんのわずか、間が生じる。
「……、往診医が引っ越してしまったばかりなのです。もし本当に口を利いていただけるのであれば、ご厚意をありがたく受け入れましょう」
「そうか。じゃあ、早速希望者を募って面談だな。前任はどれくらいの頻度で来てたんだ?」
「毎週金曜日の午後に。夕方になっても構いません」
「わかった。要項に盛り込むよ」
「感謝します」
こちらこそ、と心の中で呟く。
ささやかで大きな収穫。ポールの手帳の"A"は毎週金曜日、"R"は毎月9日と25日に書き込まれていた。これで確定だ。
成果があったことに気をよくして、もう一歩、踏み込んでみる。
「これは、興味本位なんだが……シスターは、ここを巣立っていった子供たちと交流を持ったりしてるのか? ほら、心配だろう、貴族のとこに勤めが決まったりすると」
「いいえ。ここは仮の巣です。いつまでも記憶に留めておくような場所ではありません」
「でも、中には懐かしんで訪ねてくる子もいるんじゃないのか?」
「私の教えです。二度と戻るなと。ですから訪ねてくる子供はおりません」
「その後を調べたりもしないのか?」
「……、ええ、まったく存じません」
シスターの表情は厳しい。拒絶の表情だ。これ以上食い下がっても得るものはないだろう。
そうか、と何事もないように返事をして席を立つ。
最後にもう一度振り返って、十字架の御元にたたずんだシスターを見る。
「そうだ、シスター。中通りのキャンディショップってどうだ? メイドたちへの土産にと思うんだが、味が山ほどあるだろ。レビューを聞かせてくれよ」
つとめて明るく、軽やかに、記憶の中の影をなぞる。
シスターは少し瞼を見開いた後、ほんの少しだけ口元を和らげて答えた。
「キャラメル味でしたら、賞味したことが何度か。若い娘さんなら大概はお好きでしょう」
***
チャペルの外門を出ると、馬車の窓からラウルの顔が見えた。
無事にミッションを終えて先に戻っていたようだ。表情に陰はない。
乗り込むとすぐにカーテンを引く。予定を心得た御者は、タウンハウス横の路地から目抜き通りに出て、堂々と中央都市を進むだろう。
「どうだった?」
「彼に間違いないと。おまけに、いつも診察後にはキャンディをくれたそうで」
履歴書に添えられたポール・ガランの写真が役に立った。
庭の子供たちからラウルが聞き取った内容は、ポール・ガランがアズール修道孤児院に出入りしていたことを裏付けるのに十分なもの。
わざわざ別行動を取ったのは、シスター・ミラが聞き取りを妨害する可能性を考えてのことだ。
「一体いつから目星をつけておられたのですか」
「確信したのはさっきだよ。ポールの手帳」
改めて手帳を手元に取り出してみる。
"R"と"A"だけの予定表。月に二度の"R"はラドフォード侯爵家だ。それはラウルにもわかったが、"A"に関しては考えが及ばなかった。
「製薬工房からでも、貸部屋からでも歩いて通える。道中にキャンディショップもある。週に一度通っても"慈善活動"と言えば誰も疑問視しない。で、決め手になったのがこの"A"だった」
「お見事ですグレン様」
「んー……正直、嬉しくはないがな」
「どうなさいましたか?」
疑問符を浮かべるラウルの前で、次はラドフォード家の帳簿を取り出す。
ランダムに頁を開けば必ずその単語を見つけることができる。
「発端はこれだったんだよ」
指先が示す、性別の後ろに記された"アズール"の文字。
帳簿を目にしてすぐ、グレンはアズール修道孤児院を連想していた。その理由は天啓のような閃きでも、秀でた記憶力でもない。
知らずのうちに声をひそめ、グレンはラウルと視線を合わせる。
「これから中央府の機密を話す。他言無用、厳守」
「確と」
「半年前、ラドフォードの領地から大量の人骨が出ている。死後一年から五年、八割以上が十五歳未満の子供の骨だ」
咄嗟に、呼吸すら忘れた。今日だけで一体何度息を乱されただろう。ラウルにとって耳を塞ぎたくなるような話題ばかりが降ってくる。
グレンは生来心優しい人間だ。ラウルにはそれがよくわかっている。相手に背負いきれぬと判断したものは持たせようとしない。相手も自分も苦しむことは無益と判断するからだ。
公爵となったグレンの苦しみの何割かは、そうした心根を殺さねばならないことにある。相手を傷付けねば進めぬこともある。痛い事実を直視し、咀嚼し、嚥下しなければならないことが山のようにある。
だから今、ここにいるのが自分でなくレネであったらと思わずにいられない。認めたくはないが、こんなときレネならばもっとこなれた態度でいられるはずだ。少なくともショックを顔に出すことはないだろう。
少しの間を置いて、目を伏せたグレンが続ける。
「消えて足のつかない子供と言ったら、孤児院だ。機密をよこした当時、中央府はアズール修道孤児院とラドフォード侯爵家が共謀していると見ていた。ヴァレリスは、地質や水質から割り出せることがあれば協力せよと要請されたんだ。だが、事の真相は違っていた」
はぁ、と大きな溜め息が空気を揺らす。
顔に表れた疲れと焦りを振り払うようにして、グレンは再び視線を上げる。
「ラドフォードは、ロンサール伯爵家を通じて影響下に置いた貴族家すべてを共謀させていたんだよ。高貴なる義務として、アズールを出る年頃の子供を引き取る。養子でも下仕えでもいい。そして、そのままラドフォードへ引き渡す……そういうシステムができていた。ポール・ガランのもうひとつの役割は恐らく、"商品"とする子供の品定めだ」
「……醜悪な、」
「そうだ。おぞましい。考えたくもない。だが目下の問題は、この機密をレネに知られてることだ。お前も覚えてるだろ、レネはアズールの出身だって」
――そうだ。アズールは、レネの故郷だ。
ルーツを辿ればレネは孤児で、本人にとっては愛憎入り交じる事実だったのだと思う。ヴァレリス公爵付きの侍従が貴族の出ではないことを後ろめたいと考えている節もあれば、清貧の中でしぶとく生きていたことを楽しげに語る日もあった。
「レネにも話したのですか」
「いや、書類を持ち出したことに後から気づいた……自己申告されたようなものだったが。だから急いでたんだ」
書斎のキャビネットに鍵を掛けて保管してあった書類には、アズールとラドフォード共謀の可能性が指摘されるまでの記述。
そこにロンサールが繋がったのは、グレンとレネが仮面舞踏会に直接乗り込んで情報を集めてしまったからだ。
「シスター・ミラは二度、真実を語らなかった。"往診医は引っ越した"と言い、"巣立った子供らのその後は知らない"と言った。ポール・ガランの死は新聞に載ったし、レネが何度かアズールに顔見せに来てたことも知ってる……シスターは会ってくれない、とは言ってたけどな」
ガタン、と馬車が揺れる。
シスターの二つの嘘は同じ方を向いている――ポール・ガランとの関わりを気取らせぬための嘘だ。
そんなことをする理由は、中央府の睨んだ通りにアズールも子供らの売買に関わっているか、そうでないのなら、あるいは。
「グレン様……レネは、なぜ」
「オーソドックスなところなら、復讐だろう。犠牲になった子供たちは、年齢的にレネが弟や妹として面倒見てきた子たちだ。レネはきっとラドフォードを許さない」
ラドフォードの陰謀の主要な実行犯、子供らの品定め役を担うポール・ガランは殺された。
レネなら、機密が知れるより先にラドフォードが怪しい動きをしていると見通せて、それをアズールに伝えることもできる。
そしてアズールが彼を守ろうとしたなら「なにも知らない」と突っぱねるのが最も堅実だ。
嫌な予感がする。閉め切った馬車の中は蒸し暑いのに、ラウルの背中に冷たい汗が這う。
「グレン様……アルビン様は、ラドフォード家の血を引いておられるのでしょうか」
「帳簿にラドフォードとして載っていたくらいだ、間違いなく侯爵の実子だろう」
「それならば、レネの復讐の対象には、アルビン様も含まれることになりませんか」
侯爵家クラスが罪を糾弾されても極刑に処されることは滅多にない。爵位剥奪の上で囚人塔に収監か、軽いほうならば領地に蟄居。いずれにせよ常に監視がつくため、罪が明るみになり処罰が下ってしまえば、命を奪うには不利になる。
もし、ラドフォード家を絶やしてやろう、とレネが決めたなら。まずは一番弱い命から消しにかかることになんの不思議もない。
「領主館へ帰りましょう。できるだけ早く」
苦しげなラウルの声に、グレンは小さく頷いた。




