⑭痕跡
四日ぶりの田園風景が広がる窓。ソルヴェールから中央へと向かう馬車の中だ。
燦々と日差しが降り注ぐ青い麦畑にはひとつの憂いもありはしないのに、グレンの見つめる道行きは暗い。これから、どう転んでも明るい未来には辿り着けない出来事を見据えに行くのだから。
「頼んでた調査、よく四日で終わったな。お前ずっとアルビンに付きっきりだったろう」
「中央に腕の良い探偵がいるのです。なにかと身軽な者ですので、今回は力を借りました」
「もしかして、昨日裏口に電動機で乗り付けてた女性か?」
「ご明察です」
中央行きを決めた翌日から、アルビンは熱を出して寝込んでいた。熱が下がって小康状態に落ち着いた日の夕刻、ちょうど探偵から調査結果が届けられたのだった。
正面に座ったラウルが手元の報告書を読み上げる。
「バーナード・メイアン侯爵令息。貴族学院在学当時、遊学中だった隣国バッカラの公女殿下に暴行し退学処分。警邏隊予科にて身元預かりになっていましたがそこでも暴力沙汰を起こして除名処分。その後、令息本人と連絡が取れた者はいないようです。ダスティン・シュベール子爵は、一時期新聞に人探しの広告が出ていました。依頼者は老舗の高利貸でした。今は取り下げられており、シュベール子爵家は夫人と子供たちでつつがなく運用されています……それから、」
声のトーンが一段低くなる。
ラウルはアルビンに同情的だ。ラドフォード家の暗部が暴かれるほど、アルビンの身を案じてしまうのだろう。
それでも職務を疎かにしないのがラウルらしい、と言ったら気を悪くするだろうか。少しだけ迷ったが、そのまま黙って報告を聞く。
「モニカ・ラドフォード侯爵夫人は、肺を患って以来ラドフォードの領地にて静養ということになっていますが……もう、臥せって何年になるかも判然としないとのことです」
つまり、本当に生きているかどうかは誰にもわからない。
手紙での交流だけなら代筆で偽装できる。何年も中央を離れていれば社交界の顔ぶれは変わり、本物のモニカ・ラドフォード侯爵夫人を知る者は減る。さらに加齢と病苦を建前にすれば、多少顔や背格好が変わっても気づく者はいなくなる。
メイアン侯爵令息にしろシュベール子爵にしろ、消えて嘆く者より安堵する者が多い人物だ。
「――消えていい人間が消えている、な」
ぽつり、とグレンが呟く。
拒絶の色を含んだ驚嘆は、上擦った息となってラウルの喉を抜けていった。
「家族からも見放されるほどの素行不良。生かしておくだけで損害になる。むしろただ消えるだけじゃ不十分だ。嵩んだ酒代、他国の公家への慰謝料、利息で膨らんだ借金。ラドフォード夫人に関しては思い当たらないが、"女房と床板は新しいほうがいい"なんて諺もあるほどだから」
「なら、その帳簿は」
「被害者リストの側面がある。売ったか、殺したか、殺して売ったか。しかも一部は親族の同意を得た上で、な」
しばし言葉を失った後、ラウルの心を占めたのは強い怒りだった。
アルビンはまだ十歳だ。酒場仕込みの即興芸に目を輝かせ、赤茄子の青臭さを苦手としてしまう、よく笑いよく喋る愛らしい子供――それを、殺す算段を立てていたというのか。
「なぜ、自らの御子を……、」
「傷を抉るようで忍びないけどな、ラウル。ラドフォード家に生まれるのは健康な男児だけなんだよ」
窓の外に視線を投げたまま、訥々とグレンは言葉を繋ぐ。
表情の抜け落ちた横顔に、雲の影がよぎる。
「家系を辿ると、不自然なほど女児が生まれていない。ほとんどの奥方は産後の肥立ちが悪いか、早々に病を得るか。そして回復を見ぬまま儚くなる。健康で優秀な男児だけがラドフォード家に残って軍属となる。あそこはそうやって栄えている家だ」
「なら……アルビン様は」
「色素欠乏は虚弱に生まれる場合が多い。用済みの妻ごと"処分"予定だったが、アルビンは特異で有益な血を持って生まれた。だから、"出品"を取り消した……筋は通ってしまうよな」
ロンサール夫人のサロンで"顧客"を集め、用命があれば"商品"も確保する。希少な秘薬で優越感と共同体意識を煽り、相互監視で秘密を守らせる。
莫大な金が動く。眼鏡に敵わぬ身内は"商品"に混ぜてついでに小金に変える。
秘密に関わる人脈を掌握しているラドフォード家に従う家門は増えていく。逆らえば、自分が"商品"にされる明日に怯えることになる。
「これは単なる推論だ。まだ証拠はない。落ち着いてくれ」
「……申し訳ございません」
強く握りすぎて震えているラウルの拳を見遣り、グレンは話を断ち切った。ここで情緒が乱れても益はない。
「帳簿の話は一旦終わり。こっちではあまり目新しい話は見つからなかった。だから基本に立ち返っただけだが、今見ると疑わしい点の宝庫だな」
思考を切り替えたグレンがラウルの手元に滑らせたのは、ポール・ガランの履歴書と、新聞に掲載されたインタビュー記事のスクラップだった。
「ポール・ガラン。五年前に革新的な論文が耳目を集めたことで名の通るようになった血清研究の専門。前職歴は……空白ですか」
「そうだ。大抵は医院かどこかの研究所の名が出るものだが、ポールは専門誌に寄稿した論文だけで成り上がっている。遅咲きの超新星だな」
破天荒な経歴に反して、仕事ぶりは実直。部門責任者に相応しい人物として憧れる者も少なくなかった。
その一方、幼子を騙して血液を抜き取り、非人道的で危険な薬を貴族に流して大金をせしめていた。
善か悪かで測るならまぎれもない悪人。
しかし、詐欺師にしては隙が多い。
「アルビンは……ポールを憎んではいないんだよな」
「むしろ好感を持っていたようです。恒常的に与えられていたという"リボンを縒り合わせたようなキャンディ"ひとつ取っても、ポールとの接触が甘味を得られる希少な機会と紐付けられています」
「中通りのキャンディショップだよな、その特徴」
「"一粒で味二つ"が売り文句ですから間違いないでしょうね」
中通りからラドフォードのタウンハウスまでなら、白衣のままうろついている人間が不審に思われることはあまりない。ヴァレリス中央製薬工房の職員がふらりと昼食を買いに出るのは珍しくないからだ。
そこで流行りのキャンディを入手し、餌付けに使っていたのだろうか。
***
馬車は、高位貴族のタウンハウスが居並ぶ目抜き通りを素通りしていく。
向かうは平民向けの宿と住宅が集まる区画だ。警邏隊の巡回が行き届くのはここまでで、この先には、明白な事故や事件が起こったと確定でもしない限り権力は介入したがらない。
路地の前で馬車を降り、小さな貸部屋がひしめく小路を通り抜ける。あちこちからひっきりなしに聞こえる窓の開閉音が、無言のうちにグレンたちを場違いだと糾弾する。
「――長居は無用ですね」
「そうだな。互いのためにならない」
目当ての扉がようやく見つかった。
096番。鍵はポストの中にある。ラウルが手早く鍵を取り出して扉の内側に入ると、ようやく満足に呼吸ができる。
ポール・ガランの部屋は荒れていた。
部屋の中心に大きな机、窓から遠い北側の壁沿いにベッド、めぼしい家具はそれだけだ。
机には研究記録と論文記事がうずたかく積まれている。紐綴じの資料類はほとんど手書き文字だった。手ずから書き写して保管していたのだろう。
勤勉で熱心。尊敬される部門責任者。
一方で、ベッドの周囲は悲惨なものだ。乱雑に散らかった服、ほつれた寝具、なにかの破片。流しにはいくつものカップが汚れたまま放置されており、屑籠にはキャンディショップの包装袋が乱雑に丸めて投げ込まれている。
生活力は壊滅的だったらしい。
「なにが壊れたんだ、これ……?」
しゃがみこんで、グレンは手巾越しに破片を拾い上げた。
指先ほどの大きさの金属片。どこかで見た気がするパーツの形を記憶に照らし――そして、それがトランクの閂の一部だと思い当たる。
見渡す限りこの部屋にトランクはない。
壊れたから捨てたのか、こんな大きな破片をそのまま残して、律儀に本体を。シンクのカップすら洗わずに溜めておく人間が。
一度違和感を持ってしまえばあとは早い。服を掻き分け、目当てのトランクを探す。
寝具を捲り上げたところで、グレンは動きを止めた。
「――ラウル。ちょっと来てくれ。これどう思う」
隣に立ったラウルが息を呑む。
布団と枕は引き裂かれていた。綿がほとんどすべて表に出ている。
全体的に荒れていたため、目視できた少量の綿も「どこかがほつれている」としか考えなかった。
「家捜しされてる。そっちではなにか見つけたか?」
「書類に不審なものは見当たりませんでした。しかし、ゴミ箱の包装袋の中に、こちらが」
手巾に包まれていたのは、粉砂糖にまみれた手帳だった。
表紙を開く。ほとんど白表だ。一週間に一度現れる"A"と、月に二度現れる"R"以外に目立った書き込みはない。
最後のページを開くと、殴り書きの文字で"偽医者も潮時だ"と書かれている。
「これで言質が取れたな」
ポールはあくまで製薬工房の研究員だ。薬学と並行、あるいは後年に追加する形で医学を修めている者もいるにはいるが、論文で地位を得たポールは該当しようがない。
「しかし、なぜこんなものを残したのでしょう。これではまるで、」
いずれ誰かが見つけることを悟っていたようではないか――頭に浮かべ、口には出せずに、ラウルは沈黙した。
"偽医者"という言葉。言葉は荒いが、罪の自白だ。
子供の身を脅かす犯罪者。虐げられる子供にキャンディと活路を与えた男。勤勉な研究者。泥の中の惨殺死体。
懺悔はどこから生じているのだろう。ラウルにはわからない。
混乱を受け止めたグレンは、思考の渦からそっとラウルを連れ出した。
「理由は後回しでいい。託されたものを見つけたなら、俺たちはこれを生かさなければ。ラウル、トランクを探してくれ。閂が壊れてるものを」
静かに頷いたラウルは、グレンに従ってトランクを探しはじめる。切り裂かれたベッドマットの中、ベッドの下、シンク下の引き出し。
やがて声を上げたのは、グレンだった。
「――あった」
それは、机の下に隠されていた。床板の一部が外れて現れた、犬か猫がやっと一匹収まる程度の空間に、閂の壊れたトランクが入っていた。
開くと、スポンジに布を被せたものが詰まった、壊れ物を運搬する用途のトランクだった。
中身は残っていない。しかし、目立つ色をした粒子が布の端に散らばっている。
「赤い、粉……」
「ネクタリン・ルージュかもな。ここで舐めてみてもいいが」
「いけません!」
「しないよ。それは最後の手段」
グレンの指が伸びた先は、赤い粉ではなく外した床板だ。
周囲の床をじっと見て、それから床板をなぞる。
「床板にだけ埃が積もってない。この間の仮面舞踏会で供されたネクタリン・ルージュの出本は、ここに隠されていた精製済みの余剰分だろう」
ラウルの中で、手帳を見つけた時に覚えた違和感が確信に変わる。ポールは意図的に証拠を残している。己が犯した罪の証拠を。
トランクを閉じて小脇に抱え、グレンは立ち上がって今一度荒れた部屋を見渡した。
――これ以上は、用はない。拾えるものはすべて拾っただろう。
「もう一軒付き合ってくれるか、ラウル。次が本命だ」
振り返らずに部屋を出るグレンを追いかけ、ラウルはもう帰る者のない部屋に鍵を掛けた。




