二 初めての客 04
確かに、八畳ほどの部屋に一人で座るのはものさみしい。
実央は彼女の前にお茶を置くと、頷く。
「私でよろしければ」
オガミは客と同じものを食べると言っていた。となれば、目の前で一緒に食事をしても、問題ないだろう。
(あ、でもそうするとオガミさんは一人で食べることになっちゃうな)
少しだけ申し訳なさが立ったが、客を優先させることは悪いことではない。
「今お料理をお持ちしますね」
実央が台所へ向かうと、オガミがすでに二人分の料理をトレイに乗せていた。
「お客様がどんな顔で飯を食べてるのか、観察しておくといいぞ」
オガミの言葉に、実央は頷く。
(確かに。目の前で食事をしているのを見れるのは、気付きがありそう)
かつての仕事であれば、それを委細メモしてチラシやウェブサイトの文言に生かそうとしただろう。
(今の私の仕事は、それじゃない)
今日泊まったお客様が、心地よく過ごせるようにすること。
そのためには、彼女が食事にどんな反応をするのかしっかり見た方がいい。
「実央さんは、難しく考えすぎるきらいがあるなぁ」
気負った表情をしている実央に、オガミが笑いかけた。
「俺が観察っていったからかな。目の前のお客様がおいしいって顔をするかどうか。それを見てればいいさ」
彼は人差し指を口元にあてて笑う。
(ちょ……っと、それは色っぽいのでは)
実央は、思わず見とれてしまうが、白米の香りが現実に引き戻してくれる。
炊き立てのお米の香りがするトレイをワゴンに置く。二つのトレイを並べると、ワゴンはいっぱいになった。ワゴン自体は二段になっているので、四つのトレイが置けるらしい。
それらを押して綾女のもとへと配膳する。
お茶碗にはつやつやと光るご飯が盛られ、湯気のたつ味噌汁、主菜、副菜が並ぶ。
「美味しそうね」
目の前に置かれたトレイに、綾女は顔をほころばせた。
視線が一つずつのお皿に、順番に動いていく。
「ご飯とお味噌汁はお代わりをしていただけます」
「そんなに食べないわよ」
くすくすと笑いながら、二人は手を合わせる。
「いただきます」
今日の味噌汁は春キャベツと新玉ねぎ。味噌汁の塩味が、野菜の甘さを引き立たせてくれる。綾女は味噌汁を一口飲むと、お椀と箸を置いた。
「どうかされましたか?」
口に合わなかったのだろうか。それとも、なにか異物でも入っていたのだろうか。
一瞬にして、実央の脳内はクレーム対応にスライドしていく。どうしたら一番穏便に済ませられるだろうか。いや、まずは謝るべきなのか。
けれど綾女の口から出た言葉は、実央の想像していなかったものだった。
「丁寧に出汁をとった、お味噌汁の味がしますね。体にしみこんでいくようだわ」
口の中にわずかに残っていたらしいキャベツを咀嚼し終えると、綾女はそう言ってほほ笑んだ。それは彼女がこの民宿に到着してから初めて見せる、心からの笑みだった。
もう一口味噌汁を飲み込むと、綾女は主菜の皿に箸を伸ばす。
「これはベーコン巻き? あら、鶏肉なの? え、中にお野菜が?」
そこから綾女は、まるで水を得た魚のように、出された料理を次々に口に運んでいった。筍の鶏ベーコン巻きには、醤油ベースの餡かけソースがかかっていたが、その餡だけを箸先ですくい、味を確かめる。
「醤油……と、みりんに砂糖。それからこれは何かしら」
「昆布の出汁と山椒ですよ」
むむ、と眉根を寄せている綾女に、台所の方から声だけが届いた。
いつも実央に話しかけている時よりも、わずかに余所行きの声音は、食堂にきれいに響く。
「料理長さんかしら。ありがとう――なるほど、山椒なのね」
輪切りに切り分けられている肉を、再び噛みしめながら、綾女は何度も頷く。副菜にはしめじとふきと油揚げのバター醤油炒め。ふきのシャキシャキとした音は、綾女の向かいに座る実央にまで、聞こえてきた。
「油揚げにバターの風味がしみこんでていいわね。息子が好きそう。あぁ、これにナスを追加したら、娘も喜ぶわ。娘はね、ナスが大好きなのよ」
家族を思う顔を浮かべる綾女に、実央は彼女に対してうっすらと感じていた違和感に答えを貰ったような気がした。
「ご家族のことが、大好きなのですね」
小鉢に入る筍の穂先キムチを口に運ぶ綾女は、実央の言葉に一瞬箸を止める。けれどすぐに頬を緩めた。
「そうね。なんだか毎日必死になってたから忘れてたけど、私ったら家族が大好きみたい」
残る二つの小鉢――一つは筍の姫皮の白和え、もう一つは小松菜とトマトの煮びたしも食べ終えると、綾女は少しだけ迷った顔で実央を見る。
「あの――朝食のご飯は大盛りにしてもらえるかしら」
「もちろんです。今夜もお代わりされますか?」
「おかずを食べ切っちゃったから」
実央は午後にオガミが作っていた工程を思い出し、笑みを浮かべた。
「大丈夫です。穂先キムチ、まだありますから」
***
朝食は、豆腐となめこと三つ葉の味噌汁と、ふきのとう味噌の焼きおにぎり。人参ときゅうりのヨーグルト漬けと、出汁巻き卵だった。
「おにぎりが、こんなに」
「ここまででお茶碗二膳分です」
お皿に盛られた三つのおにぎりを指す。そこから、追加のお皿に二つ。
「こちらは、大盛分」
実央の言葉に、綾女は笑った。
「そうだったわ。私、大盛をお願いしていたわね」
「お茶碗二膳分で、すでに大盛分のような気もしましたが……」
そう言って実央は、バンダナを一枚取り出す。
「おにぎり、食べ切れなければお持ち帰りいただけます」
「あら! だったらこれは帰りの電車でいただくわ」
最初からそのつもりでお皿を別にしていたともいえる。実央は頷き、そのお皿を台所へ持ち帰った。アルミホイルで包み、バンダナでまとめる。
ターミナル駅から、彼女の住む千葉にある駅までは特急電車に乗ったとしても、かなりの時間がかかるだろう。道々、彼女のお腹を満たせてくれるのが、この民宿のおにぎりだとしたら、それはなんだかとても幸せなことのように感じた。
「本当にご飯がおいしかったわ」
チェックアウトをした彼女を、玄関先で見送る。
「私、帰りにまた本屋に寄ろうと思うの。今度は、自分が読みたいと思った本を選びたいわ」
バスの時間が近づいていることに気付いた綾女は、それだけを言うとすぐに宿を出ていく。
深々と腰を折り、彼女の気配が消えるまで頭を下げていた実央は、その姿が見えなくなったことを確認して、建物の中に入った。
「お帰りになったか」
「オガミさん。ご飯がおいしかったと何度もおっしゃってました」
「嬉しいねぇ」
目を細め、開き放しの玄関を見ると、オガミは口の端を緩やかに上げた。
「昨日来た時には、疲れ切っていらしたけど、なんだかすっきりしたみたいです」
「わからないことって、案外シンプルな答えだったりするわけだ」
「なんか哲学っぽいですね」
オガミを見上げれば、彼は帳場の机に手を乗せる。
「ここの片づけが済んだら、コーヒーにしよう。掃除の前に休憩が必要だ」
そう言ってオガミは台所へと戻っていった。
(綾女さんは、選ぶことを放棄していたわけじゃないんだ)
最初は、家族のために自らを犠牲にし続けた結果だと思っていた。けれど、彼女は家族のために選択を我慢してきたのではない。大好きな家族が喜ぶ選択を、自分でしてきた。だからこそ、家族が「好きに過ごすといいよ」と言ったときにわからなくなってしまったのだろう。
「なんでもいい、はどうでもいいじゃない」
昨日オガミが口にしたことを思い出す。
実央は帳場の机を整理すると、玄関の扉を閉める。
そうして、台所にコーヒーを飲みに向かった。




