二 初めての客 03
「よくわかったね」
「この近所の生まれ育ちだったり?」
だとすれば、祖母に助けてもらったという言葉も、納得がいく。
「まぁそんなところかな」
「やっぱり! だからお祖母ちゃんと知り合ったんですね」
「そうだなぁ。やよいさんは、俺の命の恩人だから」
それは随分と仰々しい。一体何があったのか。
これ以上踏み込んで良いのかを躊躇する実央に、オガミは首をかるく傾げてほほ笑んだ。
「実央さんは、優しいね」
それだけ言うと、オガミは大きな木のまな板の上に、下茹でしてある筍を置いた。柔らかな先端の姫皮や穂先と、根の部分を切り分ける。
小さなボウルには、真っ赤な液体が入っていた。そこにスライスした穂先を入れて絡める。
「わ、なんですかそれ」
「筍の穂先のキムチだよ。食ってみるか?」
カニの絵柄が描かれた波佐見焼の小皿に三つほどよそうと、爪楊枝とともに手渡された。
「辛い! けどおいしい」
「今絡めたばかりだから、まだ馴染んでないけどな。あと二時間も置いとけば、もっと旨くなるぞ」
筍のえぐみは一切感じない。食感は、普段食べている筍のような歯ごたえというよりは、柔らか。それでいて、つるんとした感覚は口の中に残った。
「こっちは姫皮の白和え」
同じく小皿に盛られたのは、筍の姫皮を千切を木の芽とともに白和えにしたもので、筍の香りが、木の芽の山椒の香りとともに鼻を抜ける。豆腐の柔らかさと姫皮のシャキシャキとした口当たりは、あまり食べなれないもので不思議だ。
「私筍って炊き込みご飯か、煮物でしか食べたことないかも」
「新鮮な筍じゃないと、姫皮や穂先は食えないからな。この宿の飯の特権だ」
綾女に出したのと同じハーブティを実央にも差し出す。ふわりとローズゼラニウムの甘やかな香りが、実央の顔周りを包んだ。
「フレッシュハーブティを飲むなんて、丁寧な暮らしをしてるみたい」
「なんだその、丁寧な暮らしってのは」
実央の言葉に、オガミは不思議そうな表情を浮かべる。数度瞬きをしている姿を見ていると、ふと気づくことがあった。
(オガミさんて、まつげが長い!)
ベビーフェイス気味だと思っていたが、じっくりみると整っている顔をしている。どうしてこれまで気付かなかったのか。
(やだ、私ったら役得なのかもしれない)
恋愛する気がなかったとしても、イケメンと暮らしたり仕事をしたりだなんて、まるで少女漫画のようではないか。
(でも、オガミさんってイケメンって雰囲気だしてこないんだよね)
どうにも印象が薄い気がしていた。
(イケメン料理長! って売り出し方もあるだろうけど、さすがにそんな恥知らずなことはできないな)
何をしても予約が入らなくなったら、最後の手段としてオガミに相談してみよう。
実央はオガミの丁寧な暮らしに対する疑問に答える。
「うーん。季節を感じる日々の暮らしをする、みたいな?」
「そんなの、普通のことじゃないのか?」
あまりにもさらりと返されたので、実央は思わず言葉に詰まってしまった。
(そうなんだけど! でもそれができないのが現代人でして!)
とはいえ、この民宿ひとよに暮らしていると、確かに日々の中で季節を感じることばかりだった。
季節の食材に、空気の中に潜む花の香り。
どれもこれもが、仕事ですり減った実央の中からは消え去っていたものだ。
「大仰なことをしようとしなくても、気楽にしてれば生きやすいんじゃない?」
オガミは笑いながら、大きな冷蔵庫を開ける。中から下処理を終えてある鶏肉を広げると、筍の根の部分を縦長に切って中央に乗せた。そこにエノキやアスパラガスも一緒に並べると、鶏肉を丸めて包み込む。その外側をベーコンでさらに包み、タコ糸で縛り上げた。
「なんですか、その罪の味がしそうな料理」
カウンターから手元を覗き込んでいた実央は、オガミの流れるような手つきを惚れ惚れと見つめる。筋張りごつい大きな手は、それでいて指先は細長く、骨ばっていた。それが実に甲斐甲斐しくタコ糸を動かしていたのだ。
「今日のお客様は主婦なんだろ? 自分じゃ絶対作らない料理の方が、日常を忘れられる」
「なるほど。なんでもいいからって、なんでもいいわけじゃないんですね」
「なんでもいい、はどうでもいいじゃないわけさ」
フライパンに油をしいて、丸めたそれを焼きいれると、ジューと大きく心地の良い音が響いた。肉が焼ける匂いに、実央のお腹が合唱を始める。
「あと少しだ。お客様が来た日は、俺たちも同じものを食う。楽しみにしておけよ」
「なんて魅力的な言葉なの」
外は夕暮れ。カラスの声も、よくわからない鳥の声も聞こえてきた。
どうして夕暮れ時だけ、やたらとカラスの声を認識してしまうのだろう。
(子どもの頃からの刷り込みかしらね)
町内会では、五時になると『夕焼け小焼け』のメロディが流れてきた。だからなのか、カラスの声と夕暮れは紐づいている。夕暮れの児童公園で、だんだんと友達が迎えに来た家族とともに帰っていく。長く伸びた滑り台の影に、共働きの実央の影は飲み込まれそうだった。
実央と姉は六歳離れている。
小学校低学年の頃の実央に、中学生の姉はものすごく大人に見え、母じゃなくても、彼女に迎えに来てもらえたらなんてことを思ったこともあった。
(今考えれば、中学生の遊びたい盛りで、妹を迎えに行くなんてやってられないよね)
当時姉が迎えに来てくれたことはないが、実央もそんな姉に「迎えに来て」とは言ったことがなかったのだから、当然なのかもしれない。
「少し、小道に出てきます」
「すぐに暗くなるから、早く戻れよ」
「はぁい」
特に用事があるわけではないのだ。
ただ、なんとなく夕暮れの小道を散策したくなっただけ。
郷愁が呼んだとでも言えるのだろうか。
カランと音のするサンダルをつっかけて、実央は玄関を出る。
目の前の小道を右に曲がり、少しだけ進むと大きな木の枝に縄を括り付けただけの、簡便なブランコがあった。
「うわ、懐かしい」
長年の風雪にさらされた縄は今にもちぎれそうで、とても座面に座るどころではない。
実央が子どもの頃に、父親が姉と実央のために作ってくれた遊具だった。あの頃は、年に一度家族で祖母のもとに遊びに来ていた。実央の、児童遊園の記憶よりももっと前のことだ。
やがて、姉の高校受験の準備の関係で、実央が八歳以降は来なくなってしまった。母は一人でたまに来ていたようだが、その後友達と遊ぶのに忙しかった実央は、自身の受験勉強も始まり、結局そのまま今に至っている。
ブランコの座面を、手でゆっくりと揺らす。
ぎぎ、と音がして緩やかに動き出した。
ブランコが揺れる先を見れば、薄藤色の空には小さな光が輝いている。一番星だ。
「あれは木星なのかな」
夕方に空に見える星が、木星なのか金星なのか。昔祖母が教えてくれたことがあったかもしれない。
(あれ、それってお祖母ちゃんだった?)
男の人だったかもしれない。
(お父さんかな)
父が星に詳しかった記憶はないが、そのくらいのことは知っていたのかもしれない。
緩やかに風が吹き抜けていくと、体がぶるりと震えた。
「山はやっぱり、夜寒くなるね」
これ以上暗くなる前に戻らないと。
実央はまだ揺れているブランコを背にして、ひとよへと引き返していった。
食堂は一階の台所手前にある。
台所とは部屋の奥でつながっていて、配膳はそこからできるようになっていた。食堂の様子を覗ける小窓も、実はある。
台所と食堂を隔てるのは、藍染めの暖簾一枚。八歳の頃に聞いた記憶によれば、この民宿を始めた頃に、奮発して染めてもらったものだという。藍色の中に、白抜きで『ひとよ』の文字が入っていた。
食堂には二つのテーブルが並んでいて、それぞれ二つずつ椅子が置かれている。
「女将さんは、お食事はどうするの?」
食堂に来た綾女は、席に着くとお茶を運んできた実央に声をかけた。
「私は後ほどいただく予定です」
「もしよかったら、一緒に食べませんか? 一人だと味気なくて」




