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19/24

六 やよいとオガミ 03

「では、お世話になりました」


 昨日の客がそう言って挨拶をして出ていくと、やよいは台所へと戻った。オガミに頼んでお茶を淹れてもらってから、客室の掃除をしようと思う。


「お母さーん。遊んでくるね」

「気を付けるのよ! お昼には戻ること!」


 小学校が春休みの間、咲子は宿の手伝いをしながら、昼は外で遊んでいた。冬の間は部屋で人形遊びをしていた咲子も、外で遊べる季節になると家を飛び出していく。昨日は雪だったので、その分外で遊びたいのだろう。手袋とニット帽をかぶり、しっかりと防寒対策をした咲子が玄関を出ていったのを、台所から二人の大人の目が見守った。


「そういえば、咲子ちゃんはもうすぐ誕生日だったっけ」

「ええ。来週よ。なにかごちそうを作ってあげて」

「春になるから、ウサギ肉でも狩ってこようか」

「オガミさんたら、狩りまでできるの」

「山の命ならね」


 相変わらずの調子のオガミに、やよいは笑った。

 それから客室の掃除をして、布団を干して、帳簿の整理をする。あっという間に数時間が過ぎていった。


「やよいさん、そろそろ昼飯にしようと思うけど」

「あら、もう正午を過ぎたのね。咲子はまだ戻らない?」

「まだだねぇ。遊びに夢中になってるのかな」

「ちょっと様子を見て来るわ」


 やよいはそう言って、雪靴を履いて外に出る。昨夜の雪は今日の陽ざしで随分と溶けているが、日陰にはシャリシャリと固まっている雪がくすぶっていた。


「咲子、ご飯よー」


 いつも遊んでいる辺りに声をかけるが、咲子の声も姿も戻ってこない。


「あら、どこに行っちゃったのかしら」


 雪が積もっているから、別の場所に行ったのかとあたりを回る。けれど、どこを見ても、咲子の姿はなかった。


「咲子?!」


 やよいの顔に焦りの色が浮かぶ。


「咲子! 咲子、どこにいるの!」


 走り回り、声の限りに叫ぶが、返ってくるものはなにもない。


「やよいさん、咲子ちゃんは?」


 その声が聞こえたのか。

 宿からオガミも出てきた。


「オガミさん! 咲子が、咲子がいないんです」


 いつものおおらかな、おだやかでパワフルな、そんなやよいの姿は消え去り、震える声で力の限りにオガミの両腕を握りしめる。

 そんなやよいの手を、オガミがそっと包み込んだ。


「やよいさん、大丈夫だから。俺が咲子ちゃんを見つける」


 いつもと同じような穏やかな声で、オガミはそう告げた。

 そのまま、オガミは山の方へと向かう。


「オガミさん、あんた靴がつっかけじゃないか! そのまま山に入ったら」


 やよいの声に、オガミは振り向く。


「大丈夫。安心して」

「お願い……。咲子を、どうか咲子を見つけて」


 震える手を握り合わせ、やよいはかすれる声でそう吐き出す。


「やよいさん、しっかりと祈っててね」


 オガミはそれだけ言うと、山へと向かう。ぎゅ、と雪を踏みしめた音がする。


「咲子ちゃんはどこだ」


 小さな声でそう呟くと、オガミは細い山道の奥に目を向けた。

 そこは二股に分かれた道がある。その端に、何かが滑った跡が見えた。


「あの下だ」


 オガミの足が速くなる。

 タン、と大きく踏み込んだと思ったら、木々の間の小さな谷へと体を落としていった。

 地球の重力というものを感じさせない動きで、オガミの体はゆっくりと、まるで風に乗っているかのように降りていく。


 その下には、小さな桜の木が並んでいた。

 山桜が早いうちから咲いていたが、この雪で花が咲くスピードが止まっている。

 その枝と枝の間に、咲子の体が挟まっていた。


「咲子ちゃん」


 オガミが地面まで降りると、不思議なことにそこに積もっていた雪は、あっというまに溶けていく。足を滑らせて落ちてしまったらしい咲子は気を失っていたが、オガミの声にゆっくりと瞳を開けた。


「オガミさん?」

「いい子だね、咲子ちゃん。そこから動かないで」


 オガミが優しく笑むと、ゆうらりと風が吹いた。その風が、咲子を抱き上げる。


「わわっ! すごーい!」


 そのままオガミのもとに届けられた咲子は、彼にしがみついた。


「オガミさんが迎えにきてくれたの? 私、落ちて……落ちて、怖かった」


 抱きかかえられたら、落ちた時のことを思い出したのだろう。急に泣き出した咲子の髪を、オガミはそっと撫でる。


「大丈夫だよ。咲子ちゃんは、目が覚めたら全部忘れてるからね」


 そう言って彼女の額に、オガミは自らの額をこつりと触れさせた。するとすぐに咲子はふわりと目を閉じて、眠りについた。


「あーあ。黙っていようと思ったけど」


 心配であとを追ってきたのだろう。

 谷の上から、一部始終を見ていたやよいの視線に気が付いた。

 それでも、声をかけずにずっと見守っていたらしいやよいに、オガミは苦笑いを浮かべる。


「とりあえず、戻りますか」


 オガミの体に風がまといつくと、ゆっくりとその体が浮かび上がった。山桜がその風に乗り、花びらを散らす。ふわりと谷の上に待つやよいのもとにオガミが戻ったときには、嵐のような花吹雪が彼を守るように舞っていた。


「ただいま、やよいさん。咲子ちゃんは無事だよ」


 驚いた瞳の彼女に咲子を手渡すと、やよいの瞳から大きな涙がいくつもこぼれる。


「咲子、咲子!」

「今は眠ってるけど、目が覚めれば、ここから落ちたことも全部、忘れてるはずだから」


 オガミはそう言って、この場を去ろうとやよいに背を向けた。


「ちょっと! オガミさん、どこに行くの!」

「え?」


 咲子を抱きかかえたまま、やよいはオガミに叫びかける。


「あんたさんの家は、こっちでしょ」


 やよいの言葉にオガミは目を見開き、そうして笑った。


「そうだった」


 オガミが眠る咲子をおんぶして、二人は宿に戻る。

 部屋の布団に寝かしつけた後、やよいはオガミの両手をとった。


「ありがとう。咲子を助けてくれて、本当にありがとう」

「咲子ちゃんは、もう俺の娘みたいなものだからな」

「オガミさんは――山桜の精かなにかなの?」


 やよいの言葉に、オガミはきょとんとした表情を浮かべる。


「俺が、山桜の?」

「だって、あなたの髪、きれいな山桜色に変わってるわ。咲子を助けてくれたときも、花びらが舞ってたし」


 オガミは自分の髪に手をやると、「あー」と笑いだす。


「そっちかぁ」


 目を細め、立ち上がった。

 アルマイトのやかんに水を入れて、火にかける。


「お茶、飲むでしょ」

「そうね。ほうじ茶をお願い」


 急須に茶葉を放り込み、オガミはやよいを見た。


「やよいさん、俺の名前はね」



   ***



 ミルクティを飲み込むと、実央はオガミの顔を見た。

 彼の髪の毛はピンク色だ。


「オガミさんって、実はものすごく年をごまかしてる?」


 実央の言葉に、オガミは笑う。


「本当に、実央さんとやよいさんはよく似てる。核心に近付いても、ど真ん中は突いてこないんだもんなぁ」


 ティーカップに人差し指をとぽりとつけると、オガミは濡れた指先でカウンターテーブルに文字を書いた。


「実央さん。俺の名前を漢字で書くとね」


 ゆっくりと描かれる文字に、実央は目を見開いた。


――男神


 そうしてオガミは一つ笑うと、窓の外に風が舞い、黄色と赤に染まったもみじたちをくるりと旋回させたのだった。

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