六 やよいとオガミ 02
大きく開け放たれていた窓の外に、色づいたモミジの葉がぶわりと舞う。
「なんてきれいな」
やよいの感嘆の声を聞き届けたのか、そのうちの一枚が、窓を超えてオガミの頭の上にふわりと乗る。
「オガミさん、キツネの帽子になってる」
「キツネの帽子」
「どろんと化けるときに、頭に乗せるでしょう?」
手を伸ばして取ろうとしたやよいの手首を、オガミがつかんだ。
「やよいさん、もしも俺がキツネだったとしたら?」
じっと瞳を見つめてきたオガミに、やよいは同じように瞳を見つめ返し、笑いだした。
「オガミさんはキツネじゃないわね。人を騙すような目をしてないもの」
「……正解」
オガミはやよいの手を離すと、再び窓の外を見る。
「あぁ、雨が近付いてくる。咲子ちゃんを呼び戻した方がいい」
「ほんと? こんなに良い天気なのに」
「雨の匂いがする」
「じゃぁ、ちょっと迎えに行ってくるかね」
立ち上がったやよいは、オガミを見る。
「――一緒に、行くかい?」
「うん」
そうして、二人で咲子を迎えに行った。
「それで、雨は本当に降ったんですか」
牛乳だけで砂糖を入れていないミルクティを飲みながら、実央はオガミを見た。
(咲子って、お母さんのことだよね。なんだか年齢計算があわないんだけど)
実央の母は、現在六十六歳。そのときに、すでにオガミが青年の年齢だったとしたら、目の前の男はとんでもない若作りということになる。
「うん、降ったよ。俺が山の天気を外すわけがない」
「オガミさんは生まれも育ちも山育ちだから、詳しいってこと?」
実央の言葉に、オガミは手元の紅茶を飲んでから笑った。
「生まれも育ちも山育ちだからって、ただの人間に天気がわかるわけがないだろう」
「うーん。それもそうよね。しかも天気図を書いて予想したってわけでもなさそうだし」
彼の言葉に、のんきに考える実央を見て、オガミは手元のチョコレートを彼女の口に放り込む。
「んがっ。なんですオガミさん。これ、オガミさんの分の」
「俺はさっき一つ貰ったから、もう一つは実央さんにあげる」
チョコレートの小さなパッケージに入っていたのは五つ。話し合いの結果、実央が三つ、オガミが二つを食べることになっていた。
「これは結構高いやつだから、オガミさんもちゃんと食べるべき!」
と、わける数を決めるときに実央が主張したのだ。
(せっかくわけたのに)
もごもごと口を動かしながら、それでもすでに三つを食べ終えていた実央は、ありがたくシャンパン味のチョコレートを飲み込んだ。
「実央さんって、ほんっとやよいさんの孫って感じ」
「そりゃそうですよ。孫ですもん」
「そうじゃなくて、自分が知ってることで、きちんと状況を判断しようとするところとか」
オガミの言葉の意味が分からずに、実央は小首をかしげる。
「この山の頂上に、鳥居があるの、知ってる?」
「えっ。それってここの山神さまのお社ってことですよね」
実央は窓から見える山を見た。けれどここからは何も見えない。
「小さい社だし、普段人が行かない場所だから」
「えぇ。それでも、この民宿がある以上は挨拶した方がよかったかな」
立ち上がり、窓から体を乗り出した。
小さい頃、祖母からそんな話をきいたことはない。
地域の祭りはあって、幼い実央も参加したことはあったが、それはもう少し麓の村の氏神様の祭りだ。
「大丈夫。実央さんは毎日挨拶してるから」
「へ?」
オガミは実央の後ろに立つと、そう言って笑いながら、一緒に山の頂を覗き込んだ。
咲子を迎えに行き、宿に戻った途端に雨が降ってきた。
「あらまぁ、本当に降ってきた。すごいわね、オガミさん」
思ったよりも本格的に降っている雨に、やよいは宿中の窓を閉めて回る。咲子とオガミも一緒になって閉めると、台所に戻ってくる。
「オガミさん、折り紙する?」
「俺はよく知らないから、咲子ちゃん教えてくれるかな」
和紙でできた千代紙を持ってきた咲子は、うん! と元気に返事をすると、オガミの隣で紙を半分に折り始めた。
「悪いわね、オガミさん。しばらく相手してやってくれる?」
そうしてやよいが夕飯を作っている間、オガミは咲子と折り紙をして過ごす。
台所にかかるゆるやかな湯気の向こうに立つやよいは、野菜を切ったり漬物を取り出したりと慌ただしい。
「オガミさん、家はこの辺なの?」
「この辺といえばこの辺だけど」
「あらやだ! もしかして帰れないのかしら。そうよね、空腹で倒れてたんだから、家に帰れない事情があるのかもしれないわね」
やよいは気付いてしまった! と言わんばかりに言葉を続けると、オガミを見てにっこりと笑う。
「あなたが問題ないなら、しばらくうちで暮らしなさいな」
「それって、やよいさんと一緒に暮らすということ?」
「そうよ。こんなおばちゃんと一緒だなんて、ときめきもないかもしれないけど! うちは夫も先立たれてるし、息子も東京の大学に出てって、男手が足りてないんだよ」
からりと笑うと、咲子に声をかける。
「ねぇ咲子。オガミさんが一緒にいたら、助かるわよねぇ」
やっこさんを折りあげた咲子は、それを立ち上げてまるで人形のように手に持つ。折り紙のやっこさんを左右に揺らせながら、
「嬉しい! オガミさんと一緒に遊べるの、嬉しい」
そう言って笑う。
オガミはそんな二人を見て、頭を下げた。
「ありがとう。俺はこの家の中で、命を繋げる」
「おおげさだねぇ。ほら、夕飯ができるよ。二人とも折り紙をしまって」
からからと笑うと、二人の前にご飯とキノコ汁、そして猪と里芋の炒めものを大皿に乗せて並べたのだった。
***
オガミが民宿ひとよに住むようになって半年。
宿にはまばらではあるが、宿泊客がやってきていた。
「いやぁ、昨日の雪はびっくりしましたね」
「ここいらだと、四月の今時分はようやく雪も降らなくなるんですけどねぇ。名残の雪ですわ」
玄関でやよいと話すのは、一泊した客だ。温泉を楽しみに、小さなこの宿にやってきたという。
「飯もうまかったです。新聞広告で見たときは、どうだろうかと思ったけど、来てよかった」
「それはよかった。うちの料理長は、腕がよくて」
オガミがこの宿に住まうようになり、気付いたことがあった。
それは、やよいがあまり料理上手ではないということ。
試しにオガミが作ってみたら、随分と美味しくできあがったのでやよいはこれ幸いと、オガミを料理長というポジションに押し込めてしまった。
「私、料理ってそんなに得意じゃないのよねぇ。食べられればなんでもありがたかった反動かしら」
「まぁ俺も、どうせなら、美味しく食べてもらいたいと思うし」
なんて言って、オガミもすんなりとそれを受け入れる。
「山の恵みの生かし方は、俺が一番わかる」
「あらまぁ、うちの料理長はずいぶんと大きくでたものね! でもほんと、オガミさんが作ると、なんでも美味しくなっちゃうの」
やよいは以降、料理はすべてオガミに任せていた。それに、彼はひょいと山に入っては、不思議と山で採れるものを持って戻ってくる。畑仕事をさせてみても、やよいが一人で作っているときよりも、ずっと収穫量が上がった。
「オガミさんは、山の神に愛されてるのねぇ」
そう言って笑うやよいに、オガミは口の端を上げる。




