四 倒産と会社員 02
「カブの葉と油揚げだ」
「ということは、今日の漬物はカブですですね」
「正解。カブと昆布の漬物だな」
大きなバットを冷蔵庫から出してきたオガミの手元を、実央は覗き込む。
晒の上に味噌が乗っている。その下には――
「お肉ですか?」
「うん。豚肉だね。これは味噌漬けにしてたんだ」
バットの上に塗られた味噌の上に晒があり、その上に厚みのある豚肉。それを挟むようにして再び晒が重なり、その上に味噌が塗られていた。それをラップで覆っている。
「こうしておくと、肉から味噌をこそぎ落とす必要がないでしょ。焦げにくくなるけど、味はしみ込んでいて扱いやすいんだ」
そういえば昔、味噌漬けの豚肉を買ってきて、フライパンで焦がしたな、と実央は思い出した。
味噌漬けになった豚肉は、どことなく柔らかそうに見える。それを炭火にかけ、じっくりと加熱していく。
徐々に身が縮み、ぽたりと脂が垂れる。じゅ、と音を立てて炭火が赤く燃えた。
「あとは付け合わせ。こっちはアスパラガスとみょうが」
「みょうがって不思議な形してますよね」
「これ、蕾の部分だって知ってるか?」
オガミの言葉に、実央は思わず彼の顔とみょうがを交互に見てしまう。
「じきに黄色い花が、ここから咲いてくる」
みょうがの尖った部分を指で触れて、オガミは笑った。
「その花を味噌汁に入れると、それもうまいんだ」
「へぇ。スーパーじゃ見たことないかも」
「一瞬の花だからな。市場には出回らない。ここだけの楽しみさ」
ここだけの楽しみ。
それはとても素敵な響きだった。
包丁の音に水を流す音、フライパンで炒める音が重なっていく。それはまるで、オーケストラの生演奏のようだ。
「そろそろ完成ですか」
白米の炊けた香りがしてから十分。今から呼びに行けばちょうど炊けてから十五分程度だろう。
「慣れてきたな」
「さすがにひと月ちょっと経ちますからね」
笑い、一輪挿しを手に隆を呼びに階段を上がった。
***
目の前に置かれる料理に、隆は目を何度も瞬かせる。
よくわからない民宿の夕飯なんて期待をしていなかったというのが、正直なところだ。それが、まったく思いもしないほど美味しそうな皿が並んでいる。
「なんだかすごく、すっきりした香りがしますが」
「今日のご飯は、山椒の実の炊き込みご飯なんです。その香りは山椒の香りですね」
山椒の実、と隆は口の中で繰り返した。
今までの人生で『山椒の実』なんてものに、出会ったことはなかったのだ。初めて知るその存在が、つやつやの白米の中に埋め込まれている。
「山椒の実ってことは、山椒についてる実ってことなんですよね」
「はい。これは今時分に採れるもので、秋に採れる実を乾燥させて挽くと、鰻とかにかける粉山椒になるんです」
「へぇ。初めて知った」
「実は私も、ここで働くようになって知ったんですよ」
オガミに教えてもらったことを、実央は嬉々として隆に伝えた。
本日の主菜は味噌漬けの豚肉をじっくりと焼いたものに、添えられえているのはアスパラ、みょうがのおかか炒め。焼き目の付いた味噌が、これまた良い香りを放っている。
「ご飯とお味噌汁はお代わりをしていただけます」
そう告げれば、炊き込みご飯が食べ放題、と隆は再び口の中で繰り返す。
(食べ放題ってわけじゃないけど)
確かにお代わり自由なので食べ放題ではあるが、若干ニュアンスが違う気がする。そんな気がした。
「いただきます」
最初にご飯を口に入れた隆は、鼻からすっと抜ける山椒の香りに、すぐに二口目を進めた。味噌汁で口の中を潤すと、揚げたてと思しきがんもどきに手を付ける。
さほど大きくない一塊を一気に口の中に入れて噛むと、じゅわりと豆腐と椎茸の味が広がった。それに複数の野菜の味が加わる。ごま油の香りとカリカリとした外側の食感が、がんもどきといえば煮たものという認識を変えてくれた。
「うめぇ」
小さく漏れた言葉に、台所から覗き込んでいた実央の口元が緩む。
「オガミさん、オガミさん。お客様が思わず言葉を漏らしましたよ」
丸椅子に座ってほうじ茶を飲んでいたオガミは、そんな実央を見て眉を上げて笑った。
「嬉しいね。やっぱり、美味しいって言ってもらえるのは、料理人冥利に尽きるから」
「そういえばオガミさんって、いつから料理人してるんですか」
「ここで働くようになったときからだよ」
それはつまり、それまでは未経験だったということか。
「料理が好きだったとか?」
「うーん。どうだろう。それまで料理なんてすることもなかったからなぁ」
「お母さんが作ってくれてたんですか?」
「いや、勝手に用意されてた」
オガミの言葉に、実央は目を丸くする。
(もしかしてオガミさんって、ものすごいお坊ちゃまだったってこと?)
そう考えれば、確かにちょっと浮世離れしたような気配を感じることもあった。給料がなくても気にならないというのも、本当のお金持ちというのはそういうものなのかもしれない。
「それって――」
「すみませーん! ご飯お代わりいただけますか」
「あっ、はい! 今すぐ伺います」
隆から声がかかると、実央は慌てて食堂に向かう。そんな彼女を、オガミはゆるりと笑って見ていた。
お茶碗と汁椀を持ってきた実央に、いつもよりも多めによそったそれらを戻す。実央から受け取った隆は顔をほころばせた。
「みょうがって焼いたの初めて食べたんですが、旨いもんですね」
副菜にはがんもどきの他に、トマトと小松菜のじゃこ和え、それにゴボウの甘酢煮が添えられていた。
「どれが一番お気に召されましたか」
「そうだなぁ。がんもどきかな。煮込んだがんもどきって得意じゃなかったんだけど、これはパサパサしてなくていいね」
隆はどこか安堵したような表情で、食事の続きをとる。
実央が再び台所に戻ると、オガミが冷蔵庫からプリンを取り出していた。それと一緒に手にしているのは生クリームだ。ホイップしたそれを、スプーンですくっている。
「オガミさん! 生クリームって、そうやってつけるんじゃなくて」
慌てた実央が声をかけると、オガミはきょとんとした顔を浮かべた。
「え、違った?」
どうやらオガミは生クリームをデコレーションしたことがないらしい。
実央は近くにある清潔なビニール袋に生クリームを詰め込むと、端をハサミで切り取った。オガミのこの様子では、生クリームを絞り出す口金などないだろう。
「これ、こうやって」
生クリームの入っていたボウルの底に、袋の後ろから押し出してリボン状にクリームを重ねていく。実央も別に得意なわけではないが、それでも高校生の頃にはお菓子を作ったこともあった。その頃の記憶を思い出しながら、オガミに見本を見せる。
「へぇ。なるほどね」
実央の手元をじっくりと見たオガミは、彼女から絞り袋を受け取ると、同じようにボウルの底に出していく。初めてとは思えない上手さに、実央は思わず苦笑いを浮かべた。
「オガミさん、初めてなのに上手なのはさすがだなぁ」
少しだけ悔しい。
「じゃぁ本番だ」
オガミも褒められたのが嬉しいのか。いつもよりも少し声が上ずっている。
プリンの端に生クリームをデコレーションし、中央にも少しだけ置く。その上に、今朝届いたばかりのサクランボを一つ乗せた。
「うわ、かわいい!」
「美央さんが食べる分にも、乗せてあげるね」
「オガミさんの分は?」
「実央さんが俺の分のデコレーションをしてくれるかな」
少しだけ考えたあと、オガミはそう言って実央に笑いかける。初めて甘えられたような気がして、実央は思わずぴょんと飛び上がった。
「どうしたの? 何か足元にいた?」
「不吉なこと言わないで!」
虫がいたかのように言われ、想像して体が震える。
他の虫はともかく、黒くて生命力の強いあのGの付く虫だけは苦手だ。
「まずはお客様に出してきて。紅茶がいるかも確認してね」
完成したプリンをトレイに乗せると、実央はそれを手に隆のもとへ向かう。彼はちょうど食べ終わったところのようで、両手を合わせていた。
「女将さん、美味しかったです」
「それは良かった! こちらデザートです」
隆の前にある食事膳のトレイをワゴンに乗せると、実央は代わりにプリンの乗ったトレイを置く。
「あわせて紅茶をお持ちしますが、いかがでしょう」
「できればほうじ茶か何か、日本茶の方が嬉しくて」
すぐに熱々のほうじ茶を用意する。
隆はスプーンを手にしてから、再びそれをトレイに置いた。どうしたものかと思えば、サクランボを口に運ぶ。
「缶詰じゃない、生のサクランボはやっぱりいいなぁ」
はりんと音がしそうなほど、実をふっくらと張りつめたサクランボに、隆は頬を緩める。
「サクランボ、お好きなんですか?」
「はい。出身が南の方なので、あんまりサクランボを食べることがなくて。口にするサクランボは缶詰のものばかりだったんです」
学生のときに初めて山形で食べたサクランボに、感動したという。
「あぁ、プリンもかための、懐かしいやつだ」
目を細め隆は幸せそうな表情を浮かべる。
「何も考えられないって思ってたけど、旨い飯を食って、甘いものを口にすると、人間って元気になるんですね」
彼はそう言うと、立ち上がった。
「そうだ。さっきの花もありがとうございます。明日の朝、滝に行ってみたいので場所を教えてください」
「ええ、明朝ご案内しますね」
少し休憩したら風呂に向かうという隆を見送り、実央は食器を台所へと運んでいった。
台所で待っていたオガミが、二人分の夕飯をカウンターに置く。
炭火で焼いた豚肉の味噌焼きが、香ばしい。
「山椒の実って、外側固くないですか」
炊き込みご飯を口にしながら、実央が元の形状を思い出してオガミに問う。
「下処理で茹でて柔らかくしてるんだよ」
「へぇ。やっぱり下処理って大事なんですね」
「何事も下処理が全てだよ。実央さんの仕事だって、そうだったでしょ」
言われてみれば、デザインに入る前のヒアリングやラフ、素材の準備で完成のクオリティがかなり変わっていた。
「それに、今日の生クリームみたいに」
「生クリーム? オガミさんでも知らないことってあるんだなって思いました」
「ああいう前段階の知識だって、下処理みたいなものだからさ」
オガミの言葉に、実央は小首をかしげる。
「例えば、実央さんは女将の仕事を調べてた」
「えっ、なんで知ってるんですか?!」
思わずガタンと丸椅子から立ち上がると、オガミはふふっと笑った。




