第18章 「もう一人の証言者」
1
証言台に立ったのは、
かつてブランド物のコートを羽織り、
丘の上で“標的の動き”を楽しげに語っていた女――
マリオン・Dだった。
戦後、彼女は長く沈黙していた。
南仏の別荘に閉じこもり、
外界との接触を断っていた。
だが、
国際法廷からの召喚状には逆らえなかった。
アミールは傍聴席から、
その姿を見つめていた。
かつての華やかさは消え、
彼女は痩せ、
目の下には深い影が落ちていた。
しかしその影は、
罪の重さではなく、
“自分が追い詰められたことへの不満”のように見えた。
2
裁判官が静かに言った。
「あなたは、サラエボ包囲中に“狙撃ツアー”に参加したとされています。
今日は、その事実について証言していただきます」
マリオンは、
震える声で言葉を紡いだ。
「……私は、ただ夫に連れられて行っただけです。
私は何も知りませんでした。
あれが“娯楽”だなんて、思ってもみませんでした」
アミールは眉をひそめた。
“まただ”
彼は心の中で呟いた。
3
検察官が資料を示した。
「あなたは当時、
“動きの速い標的がスリリングだった”
と発言したと複数の証言があります」
マリオンの顔が強張った。
「それは……
ただの冗談です。
私は本気で言ったわけではありません」
検察官は冷静に言った。
「冗談であっても、
あなたは民間人が撃たれるのを見て笑っていたという証言があります」
マリオンは震えながら言った。
「私は……怖かったんです。
怖かったから、笑うしかなかったんです。
あれは“恐怖の笑い”です」
アミールは胸の奥が冷たくなるのを感じた。
“恐怖の笑い”
その言葉は、
罪を薄めるための方便にしか聞こえなかった。
4
裁判官が問いかけた。
「あなたは、民間人が撃たれるのを見て、何を感じましたか」
マリオンは沈黙した。
その沈黙は、
ロバートのものとは違っていた。
ロバートは“何も感じなかった”。
だがマリオンは――
“感じたくないものを必死に押し込めていた”。
やがて、
彼女は小さく呟いた。
「……私は、あの時……
“自分が安全な場所にいる”ことだけを考えていました。
あの街の人たちのことなんて……
考えたこともありませんでした」
アミールは息を呑んだ。
それは、
罪の告白ではなく、
**“無関心の告白”**だった。
5
検察官がさらに追及した。
「あなたは、戦後長く沈黙していました。
なぜ今になって証言するのですか」
マリオンは、
初めて涙を流した。
だがその涙は、
悲しみではなく、
“自分の人生が崩れたことへの嘆き”に見えた。
「……私は、
もう普通の生活に戻れません。
どこへ行っても、
“あの丘の女”と言われる。
私は……
私の人生を返してほしいんです」
アミールは、
胸の奥で何かが崩れ落ちる音を聞いた。
“人生を返してほしい”
その言葉は、
戦争で家族を失った市民たちの前では、
あまりにも軽かった。
6
裁判官は静かに言った。
「あなたの人生が変わったのは、
あなた自身の選択によるものです。
あなたが何を見て、
何を見なかったか。
その責任は、あなたにあります」
マリオンは顔を覆い、
声を殺して泣いた。
だがその涙は、
誰の心にも届かなかった。
7
法廷を出た後、
アミールはアディスと並んで歩いた。
アディスは静かに言った。
「……あの人、反省してるのかな」
アミールは首を振った。
「反省じゃない。
“自分の人生が壊れたこと”を嘆いているだけだ。
罪を悔いているわけじゃない」
アディスは俯いた。
「じゃあ……
あの人は、何のために証言したの?」
アミールは答えた。
「自分を守るためだ。
人は時に、
“罪を認める”より
“罪を薄める”方を選ぶ。
それが……
戦後の証言の現実なんだ」
アディスはゆっくりと頷いた。
「でも……
記録しなきゃいけないんだよね」
アミールは微笑んだ。
「そうだ。
たとえ醜くても、
たとえ偽善でも、
たとえ歪んでいても。
人間が何をしたか、何を言ったかを記録することが、
未来への唯一の道なんだ。」
二人は歩き続けた。
その背中には、
戦争の影と、
未来への責任が同時に宿っていた。




