彼の力を、初めて見る
私は足を止め、がくがくと全身を震わせていた。
その光景を想像すると、あまりに恐ろしく、同時に目の前でそれを見ていた竜崎さんの心を考えると悲しくてならなかった。
「両親は僕を責めて……言いつけを破って妹を部屋に入れた挙句、ベランダに出ることを止めなかったんだから仕方ない」
「でも! 竜崎さんは悪くないですよ! 元はと言えば、竜崎さんの話を聞かなかったし、小さな子がいるのにベランダに物を置いておくのもよくないし、竜崎さんはむしろ幼いのに妹さんを守ろうとして……!」
「けどあのアパートがおかしいって言わなかったのは僕だし、部屋に入れたのも僕。恐ろしいものがいるって分かってたのにすぐに逃げなかったのも僕だ。もしかしたら、みえる僕が引き寄せたのかもしれない」
竜崎さんは悲しそうにそう呟いた。その苦しそうな声を聞いて何も言えなくなる。きっと何を言っても、彼は一生自分を責め続けるんだろうとわかったからだ。自分のせいで妹さんが亡くなってしまったのだ、と……。
彼はゆっくり夜空を見上げた。
「親は僕を叔父の家に預けて、それから一度も会うことはなかった。叔父は僕の理解者だったから優しく接してくれて、僕の唯一の家族だと思ってる。彼がいなかったら路頭に迷っていたし、もっとすさんでいたと思うから。叔父のもとで育って、叔父たちが仕事で海外へ行くことになったからあの家をルームシェアとして使うことになった。これが、僕がここに来るまでの流れ」
私は返事が出来なかった。あまりに悲しく、自分では想像つかない世界だったから。
竜崎さんだけではなく、雅さんも、祐樹さんもみんな辛い環境で生きてきた。それでも道を踏み外すこともなく、こんなに優しい人たちに育っていることは奇跡だと思った。同時に、自分はなんて恵まれていたんだろうとも思う。
人と違うものが視えてしまうということは、そんなにいけないことなんだろうか?
でも少なくとも、親なら向き合って信じてあげてほしかったと思うのは、綺麗ごとなのだろうか。
「暗い話になったね。ごめん」
「……いいえ。私、自分は恵まれた環境に育ってきたと再確認しました。そんな私が竜崎さんたちに言えることは何もないです。ただ、一つだけ……こんなにいろんな人生を歩んできながら、まっすぐ前を向いて優しい竜崎さんたちは凄いです!」
それだけは力強く言った。竜崎さんは少し驚いたように目を丸くする。
「祐樹さんも雅さんも、みんな凄いです。そして、月乃庭があってよかったと思います。みんなの居場所なんですもんね」
私が笑ってそう言うと、彼も優しく微笑んでくれた。暗い中で、竜崎さんの優しい笑みがぼんやりと見える。それが嬉しくてでも切なくて、私は涙が零れそうになるのをぐっとこらえる。
誰のせいでもないのに、視えてしまうことで自責の念を持って生きている。でもきっと妹さんは竜崎さんを恨んでいないはずなのに。懐いていたって言ってたし、きっと優しい大好きなお兄ちゃんだったんだろう。自分を責めてる竜崎さんを、少女は悲しく思っているかもしれない。
……少女?
ふと、脳裏にあの女の子が浮かんだ。それは竜崎さんと初めて会ったあのホームで、彼の脚にしがみついていた小さな子だ。その後も、いろんなところで出没している。もしかして彼女は竜崎さんにまとわりついているのだろうか。
竜崎さんは霊を、ぼんやりとした影としてしか認識できない。だから、あの子の姿がはっきり視えるわけじゃない。もしかして、それで気づかずに……?
その考えがよぎった時、ふっと視線を感じて振り返る。五メートルほど離れた電柱の後ろに、小さな影を見つけたからだ。相手は動くことなく、こちらの様子を窺っているように見える。
……もしかしていつも、こんな風に竜崎さんを見ていたの……?
ずっとずっと、自分を責める兄を見続けていたんだろうか。
「あ、それで花音……」
「竜崎さん! 妹さん、ずっと竜崎さんのそばにいるんじゃないでしょうか!?」
彼に詰め寄って勢いよくそう言うと、竜崎さんはきょとんとした。
「え? ……そんなはずないよ。だって……」
「竜崎さんと一緒にいるとき、何度か小さな女の子を見たんです。竜崎さんには黒い影だから、妹さんって気付かなかったのかも……? 駅のホームで、それから私のアパートに来た時、えっとあとは……私が車から飛び出しちゃった時も、同じ女の子が私たちを見守っていたんです!」
私の勢いに、竜崎さんはただ驚いたように固まっている。私は振り返り、電柱の影を見つめた。
ああやって竜崎さんの周りをうろついて、自分の存在を見つけてほしかったのかもしれない。大好きなお兄ちゃんが自分のせいで悲しんでいることに、心を痛めているのかも。
こんなに長い間、二人はすれ違っていたのだ。
「……あそこに、いるの?」
竜崎さんが私の視線の先を見つめたので、頷いた。彼はじっと電柱を見つめた後、ゆっくり歩き出す。私もそっとその後ろを追った。
誰もいない住宅街に足音が響く。近づいてみると、やはりそこには見慣れた少女が立っていた。私たちをじっと見上げている。竜崎さんと症状は見つめ合うようにしてしばらくそのまま過ごした。彼にとっては黒い塊にしか見えないんだろう、今だけ私の能力を貸してあげたいと思った。
「五、六歳くらいの女の子です……あなたを見ています。竜崎さん、声を掛けてあげてください……」
鼻声でそう言った。竜崎さんはしばらく見つめた後、その子に向かってすっと手を伸ばす。私は黙ってその光景を見つめていると、突然大きな声が響き渡った。
「ぎゃああああ!」
耳をつんざくような悲鳴だった。だがこの声は私たちにだけ聞こえているようで、近所の人たちが騒ぎ出す様子はなかった。私は唖然とし、何が起こったのか分からずにいる。
竜崎さんは少女の頭をわしづかみにし、冷たい目で見下ろしていた。少女は叫びながら逃げようと手足をばたつかせるが、凄い力で竜崎さんが掴んでいるからか、まるで逃げ出せそうにない。
「りゅ、竜崎さん!? な、なにを……!」
「ふうん。確かに子供の霊みたいだね……でもこれ、なかなか怖い相手だよ」
「待ってください、妹さんが……!」
「これは僕の妹じゃないよ。そして、付きまとわれていたのは僕じゃなくて君だ、花音」
私はわけがわからずぽかんと口を開けた。その間も、少女は必死にもがいている。目を見開き唾をまき散らし、凄い形相だ。
「花音は言ったね。駅のホームで、花音のアパートで、車で……それ全部、花音が霊に引きずられて危なかった時だ。それさ、こいつが原因なんじゃない?」
「え? ……え?」
混乱で頭がおかしくなりそうだ。私はてっきり、竜崎さんの妹さんが彼のそばにいるのだと思い込んでいた。でも竜崎さんは違うと言う。この子は私が目的だったのだと。
「駅のホームで横たわってた女性の霊は凄く弱い相手だった。花音のベッドの中にいたのも小さな赤ちゃんで力も弱い。そんな相手に随分引きずられやすいなあと思ってたけど、こいつが手を加えて花音がああなるように仕向けていたのかも。車の中では浅山さんが必死に止めていたけど敵わなかったから、直接こいつが花音にちょっかい掛けてたのかな」
「え、じゃ、じゃあ私が危ない目に遭ってたのは全部、この子が原因ってことですか……?」
「もしかすると、花音が視えるようになったのもこいつのせいかも。変なのに好かれちゃったね」
そう言った竜崎さんは冷たい笑みを浮かべ少女を見た。彼女は未だに叫んで暴れている。その顔はどんどん崩れて、少女と言うより醜い怪物のようだった。目玉が零れそうに飛び出ており、口はやけに大きく開かれ、そこから長い舌が垂れている。
あまりに恐ろしく、私は数歩後退した。
「今、どんな感じ?」
「さっきまでは普通の少女だったんですが、今は凄い形相で……に、人間には見えないぐらいで」
「これあれだね、かなり厄介なタイプだ。大人しい顔をして普通の霊を装ってるんだよ。でも、中身はとんでもない悪意の塊。こういうのって、近くにいるだけじゃ僕も見抜けないんだよね……」
竜崎さんがそう言った時、少女が竜崎さんの手を摑んで睨みつけた。ものすごい力のようで、竜崎さんの皮膚に長い爪が食い込み血が滲みだす。竜崎さんが少しだけ眉を動かした。
「りゅ、竜崎さん……!」
「腕が鳴るなあ。今回、僕の出番がなくてちょっと残念だったから、丁度良かったかも」
竜崎さんの手の甲からどんどん血が出てくる。私はひっと声を漏らして震えるしか出来ないが、竜崎さんはまるで怯えることなく、むしろにやりと笑って見せた。
もう片方の手で少女の首元を掴み、そのまま宙に持ち上げると、少女は足をばたつかせながら必死に抵抗する。私は目の前で何が起こっているのか理解が追い付かず、瞬きをする余裕もなく二人を見ていた。
少女がきっと私を睨む。もはやとっくに少女ではなくなっている化け物の恐ろしさに卒倒しそうになる。
「よっぽど花音を気に入ってるんだね……でもお前の相手は僕だよ」
竜崎さんが余裕たっぷりの声で言うと、突然少女の黒髪が意思を持った生き物のように伸びた。そしてそれが竜崎さんの顔を覆って、彼の姿が見えなくなる。
「竜崎さん!」
私は叫んで駆け寄り彼を助けようとするが、何かに弾かれたように体が吹き飛んで地面に転がる。体に痛みを覚えるがすぐに起き上がり、再び彼の元へ駆けよろうとした時、くぐもった声がした。
「花音、大丈夫だから待ってて」
竜崎さんの声に足を止める。
すると、少女の声が一気に苦しそうな物に変わる。彼女の顔は苦痛に歪み、掠れた悲鳴が喉から少し漏れてくるぐらいになった。その首元を握る竜崎さんの指は土気色に変化した少女の首にしっかり食い込んでいる。ものすごい力のようで、竜崎さんの手の甲に浮かぶ血管が彼の力強さを物語っていた。
髪の毛が一気に力を無くし、地面に垂れて竜崎さんの顔が見えるようになる。彼は先ほどと全く変わらず余裕のある表情で、少女をじっとみていた。
「か……は……あ……あ……」
少女は全身をだらりと脱力させて目がうつろになっている。そんな少女に容赦なく、竜崎さんはさらに力を入れたように見えた。
すると首に食い込む指から、黒い何かが溢れだしてきた。それは血に似ていたが、血とはまた違う禍々しい、腐ったような嫌なにおいがした。私はぐっと鼻を両手で抑える。どくどくと流れ出るそれは竜崎さんの手も汚していくが、彼はそれでも力を弱めなかった。
ついに少女の目や口からも黒い物が流れてくる。あまりの光景に私は目を逸らすことすら出来ず、ただ黙って見ているしか出来なかった。
竜崎さんが小さく呟く。
「消えろ」
途端、竜崎さんが握る少女の首が一瞬で千切れた。黒い液体がそこら中に飛び散り、私の頬にもかかったのがわかったが、ぽかんとして逃げる余裕すらなかった。
とんでもない終わりがあった直後、不思議とそこには何も残っていなかった。黒い液体も、嫌な臭いも、全て綺麗さっぱり消えていたのだ。
竜崎さんはぱっぱっと両手を払い、ふうと息を吐く。




