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竜崎さんの過去

 私は歩きながら考え込む。あの家での暮らしは思った以上に居心地がいいし、依頼は大変だったけどいろいろと考えさせられるいい経験だったと思う。できればこのまま暮らしていきたいとは思うが、仕事に関してはまだ迷いがある。


 退職までしちゃって大丈夫なのかな……。


「私、月乃庭が凄く好きです。竜崎さんも祐樹さんも雅さんも、それぞれ面白くていい人たちで……同士がいてくれるのは心強いし、一緒に暮らすのも楽しいんです。依頼も大変だったけど、やりがいがあるなって思いました。できれば本格的に入居したいと思っています。ただ、会社を辞めちゃっていいのかな、というのは心配で……というのも、私って急に視えるようになったじゃないですか? もし逆に、ある日突然見えなくなったら、って」


「……確かに。そういう可能性がゼロとは言えないね。だって、大人になってから視えるようになること自体稀なことなんだ。何が起こるかわからない」


 竜崎さんは頷いて納得してくれる。


「そうなんです。視えなくなったら依頼をこなせなくなるし、そうなったらどうしようって考えたりとか」


「なるほどね。じゃあこうしよう。まだ休職期間ではあるよね? その間はどんどん依頼をこなして慣れる。それから仕事に復帰できそうだと思ったら、すればいい。依頼は仕事が休みの時とか、手が空いてる時に手伝う感じでどう?」


「え、いいんですかそれ!? だって、月乃庭の入居条件は依頼をこなすことなのに」


「でも、雅だって個人的な仕事をバンバン受けてるからいつも同行してるわけじゃないし」


「そ、そっか……」

 

 もしそれでいいのなら、私にとっては願ってもない形だ。自分の身の安全は守られ、同士とつながりが持て、でも普通の人間として働くことも出来るなんて。


 私は竜崎さんに力強く言った。


「そ、それがいいです! 復職しても、手が空いてるときは依頼を頑張ります! 私を月乃庭においてください!!」


 どうしてもあそこにいたい。またあのアパートに戻って一人で暮らすなんて、もう考えられない。


 私の言葉を聞いて、竜崎さんが優しく微笑んだ。その綺麗な笑顔に一瞬見惚れてしまい、すぐに自分を戒める。雅さんがいるんだから、見惚れたりしてはダメだ。


「わかった。とりあえずそれで行こう」


「やった……! アパートも解約しちゃいます!」


「そうしよう」


「あ……雅さんに言わずに決めちゃって大丈夫ですか……?」


「小言は多いと思う。でもまあ、知っての通り雅は結構単純だから。それに、花音のことを気に入ってそうな感じもするし大丈夫だよ」


 気に入ってる……? と首を傾げたが、まあおいておこう。私は頷いて改めてお礼を言う。


「あの日、駅のホームで竜崎さんに会えて本当によかったです……ありがとうございます!」


「全然。僕としてもはっきり視える人が入ってやりやすくなったしね」


 正式に月乃庭に入れることにわくわくして胸を躍らせた。これは多分、自分の身の安全が得られるという安心感だけではなく、すっかりあの空気感に慣れてしまったからだ。あの家は明るく穏やかで、住んでる人たちもマイペースで居心地がいい。ルームシェアとなると揉め事などを想像してしまうが、そんなこともほとんどない。


 あそこに住む人たち自体を、自分は好きになっているんだと思う。


 喜びから軽い足取りで歩いていると、突然隣の竜崎さんが口を開いた。


「僕はね、妹を巻き込んだことがあるんだ」


 ぴたりと足を止めて振り返る。竜崎さんはポケットに手を突っ込んだまま、私をじっと見つめていた。夜の色が、竜崎さんを飲み込んでしまいそうだと錯覚する。


 彼の感情を読み取れない瞳が、なぜかやけに私の胸を騒がせた。


 急に何だろう。一体、何の話を?


「……え」


「年が少し離れた妹がいて……妹はみえない人間。僕は可愛がっていたんだけど、僕のせいで霊のいざこざに巻き込んだ」


 竜崎さんが過去の話をしてくれているんだ、と気づくのに少し時間がかかった。祐樹さんと雅さんのことは聞いたけれど、竜崎さんの話は初めてだ。


 ああそうか、私が正式にあの家の一員になると決めたから、彼はついに話す気になってくれたのだ。


 嬉しいと思うより戸惑いの方が大きかった。竜崎さんの様子を見て、そして祐樹さんたちのこともあって、明るい話でないことは明白だったからだ。ドキドキと自分の心臓が速まる。


 彼の心の奥底に一体、何があるというのか。


 竜崎さんはゆっくり歩き出したので、私も黙ってそれに続く。彼は淡々と話を続けた。


「僕は元々、親に気味悪がられててね。霊がみえるってだけじゃなくて、物心ついた頃からあまり子供っぽくなかったらしい。普通の子が好きなおもちゃにも戦隊ものにも興味がなくて、ぼうっとどこかをずっと眺めてる……言葉の発達も遅かったらしいし、親は病院へ連れて行ったり心配してたみたいだよ」


「やっぱりみえるから、でしょうか?」


「かもね。僕にとってはおもちゃより、常に自分の近くにいる黒い塊の方が気になってたのかも。喋り出したら出したで、変な物が見える、なんて言われちゃあ、両親はたまったもんじゃないよ」


 自嘲気味に竜崎さんは少しだけ笑った。


「親は腫物に触るような扱いだった。その後、僕が小学生の時に妹が生まれた。妹はごく普通の子で、よく笑ってよく泣いて、お絵かきやお姫様が好きな子だった。両親は凄く喜んで、僕はいないもののように振舞われた」


 その光景を想像してぐっと胸が痛んだ。いくら竜崎さんが大人っぽくても、小学生ならまだまだ中身は子供。自分より妹を可愛がられて、それを目の当たりにしては傷つかないはずがない。


 竜崎さんはきっといつでも、一生懸命生きていただけなのに……。


「両親は『妹とあまり接するな』が口癖で……」


「え!? ど、どうしてですか」


「悪影響だと思ったんでしょ。変な物が見えるって虚言を言う兄なんて、そばにいてほしくなかったんだよきっと。ただ、僕は小さな妹が可愛くてしょうがなかった。それに、妹もなぜか僕に懐いてくれてて、よく親が見てないところで本を読んであげたことを覚えてるよ。見つかるたびに親に慌てて引きはがされたけどね」


 そう語る竜崎さんの横顔はとても優しかった。本当に妹さんを可愛がっていたんだろうなと感じる。自分が邪険に扱われても、妹を憎んだり嫉妬したりすることがなかったのは、彼の懐の深さを表していると思った。だって、普通なら嫉妬心から妹を嫌いになってもおかしくはない。


「竜崎さんって、面倒見いいですもんね」


「そうかな? 言われたことないけど……ただね。小学生の頃の僕は、霊を見る力はあっても今みたいに消滅させる力はなかった。それどころか、花音みたいに引っ張られそうになることもあったんだ。僕は霊がはっきり見えないから、目が合うっていう概念はないんだけど、波長が合ったり気が弱ってたりするとね」


「あ……そっか、みんな時間を掛けて慣れていったんですもんね……子供の頃なら、まだ対応しきれないこともありますよね……」


「そう。ある時期に親の仕事上引っ越さないといけなくなって、新しいアパートに越したんだ。なんだか嫌な気を感じるアパートだった……でもそんなことを言っても信じてもらえないだろうし、嫌がられるだろうし、僕は黙ってたんだ。その日、僕はいつも通り自分の部屋で一人宿題をしていた。ちなみに住んでたのは四階。そこへ、親の目を盗んで幼い妹が訪ねてきた……」


 どきり、と心臓が鳴った。なんだか嫌な予感がしたからだ。


「僕はこっそり妹を部屋に入れた。少し話すだけのつもりだった。でもその時、僕の部屋のベランダにとんでもない『モノ』が現れた」


 竜崎さんの話では、彼がそれまで見てきた霊たちのどれよりも大きく、そして悪いオーラをまとっていたのだという。幼い彼はただ唖然とするしかなく、逃げるという思考すら出てこないほど圧倒された。


 その黒い影は竜崎さんを手招きした。竜崎さんは幼いながらに、『妹は助けなきゃ』と思って妹の小さな手を強く握った。だがその時、操られていたのは竜崎さんだけではなく妹さんもだったようだ。彼女は竜崎さんの手を振り払って黒い影の元へ歩き出してしまった。


 ハッとした竜崎さんは大声で親を呼んだ。だが、体は全く動かない。妹だけはどんどんベランダへ進んでいく。


 鍵の開け方なんて知らないはずなのに、妹は難なく鍵を開けて戸を開けた。さらに最悪なことに、ベランダには母が家庭菜園に使うための袋詰めされた土が積んであった。


 妹がその土に足を掛けた時、ようやく母親が部屋に飛び込んでくる。母親は竜崎さんを突き飛ばして外へ向かったが、もう遅かった。


 妹はその年からは考えられないほどスムーズにベランダを乗り越え、外へと落下していった。




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