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後悔が重くのしかかっていた。
捜査本部に呼びもどされ、大勢の前で叱責をうけていた。
「このバカ野郎が! おまえのせいで、張り込みが台無しじゃねえか!」
捜査一課の西野という主任の怒鳴り声が、さきほどから鼓膜を痛めつけていた。この人も《赤》だ。
管理官も、怒りを封じ込めた表情で睨んでいる。
「なにか弁解はあるか!?」
「い、いえ……」
言い返したいことはあったが、そんな空気ではない。
新署の同僚たちも、冷めた眼をしている。迷惑なことをしてくれたと考えているのだろう。雅樹の失敗は、新署の失敗につながるのだ。
ただ一人、辻森だけが心配そうな顔をしていたが、擁護をしてくれるような様子はなかった。こればかりは仕方がない。所轄の人間が、本部に楯突くことはできないのだ。いかにベテランといえども。
署長も刑事組対課長も、苦々しい面持ちで事態をみつめていた。だれも助け船を出してくれる人はいない……。
「なんだ、しけた顔だな」
場違いな声が響いた。
「ど、堂島さん……」
救急車が到着した混乱にまぎれて、堂島の姿は消えていた。いったいこれまで、どこに行っていたのか……。
「ばあさんは、どうなった?」
「あ、はい……軽い貧血だったみたいです」
いっしょに病院まで行って、それは確認している。それからすぐに署へもどったら、こんな集団リンチのようなめにあってしまった……。
「無事でよかったじゃないか」
そんな人間味のあることを口にしているのが、うさん臭かった。
「は、はい……」
「というわけだから、こいつはもらっていくぞ」
堂島は、意外なことを口にした。
「あ? まだ終わってねえんだよ!」
西野が怖い声で牽制する。
「聞こえなかったのか? ばあさんは無事だったんだ。それでいいだろ?」
「なに言ってんだ? いいわけねえだろ!」
堂島と西野は、同じぐらいの年齢だった。どちらも三十代前半。だが、階級がちがう。西野は警部補で、堂島は巡査だ。
本来なら釣り合っていないはずの睨み合いが、対等……いや、あきらかに堂島が凌駕しようとしていた。
「市民の無事以外に、なにか重要なことがあるのか?」
堂島の身体が、一瞬にして大きくなったような錯覚をおぼえた。
「な、なに言って……」
西野が、その迫力に負けて後ずさりする。
「救急車を呼んでなければ、ばあさんは死んでたかもしれない」
「そ、それがなんだっていうんだ!」
自身を叱咤するように、西野が反論した。
「こっちは殺人のホシを追ってんだ!」
「それがどうした」
「おまえ、それでも警察官か!?」
「その言葉、そっくりそのまま、おまえに返す」
凶悪犯を追いつめる刑事としての常識と、理想としての警察官のありようを激突させている。
《赤》である堂島が、警察官の理想像を主張していることに、いささか違和感はあったが、雅樹の心情としては堂島の言動のほうがしっくりきている。
「老人を見殺しにするようなやつは、警察官といえるのか?」
「死んでねえだろ! ただの貧血だろ!」
ドンッ!
雅樹は眼を見張った。
あろうことか、堂島が西野を蹴り飛ばしたのだ。
雅樹もそうだし、まわりの人間だれしも、あまりの事態に唖然としてしまった。
「ど、堂島さん……」
「な、なにやってんだ、おまえは!」
ようやく同僚たちが、とめようと動いた。
だがそれよりも早く、堂島は倒れた西野の顔面を足で踏みつけた。
「おれは、おまえのようなやつが大っ嫌いなんだよ」
ぐりぐりと靴底をこすりつける。
「や、やめるんだ、堂島!」
しかしどういうわけか、堂島の身体を直接触ろうとする人間がいなかった。言葉だけでは、この男をとめることはできないだろう。
「おまえ、こんなことして、ただですむと思ってるのか!?」
管理官も立ち上がって、言葉だけで牽制している。
「おい、だれかとめろ!」
が、だれも堂島に触れようとしなかった。
雅樹は思わず、みなの顔を順番に見てしまった。堂島のことを知っている同僚たちは、とにかく視線を合わせないようにしている。知らない人間も、及び腰になっているようだ。
堂島が、いわくつきの人物だからだろうか?
「おい、なにやってるんだ! なんで、だれもとめないんだ!」
「で、ですが……」
一人の捜査一課員が言いよどんだ。
「バ、バカな! あんな噂を信じるというのか!?」
なんだろう? 雅樹は思った。
堂島には、なにがあるというのだ。かかわるな、と忠告はうけているが、具体的にどうしてなのかは聞いていない。
「……噂?」
呆然とつぶやいてしまったからか、先輩刑事が耳打ちしてくれた。
「あいつは、どうしようもない悪党なんだ……」
「なにがあるんですか?」
「やつは、人の弱みにつけこむ天才だ」
「弱み?」
「ああ。警視庁の上層部は、こぞってゆすられてるって話だ」
上層部をゆする?
下層の警察官にとって、まさしく神をも恐れぬ暴挙といえる。
「あくまでも、噂だがな……」
とってつけたように、先輩刑事はそう締めくくった。
その先輩のとなりにいた辻森に視線を移した。その表情を見るかぎり、噂は有名なものらしい。
「おい、おまえら、なにをうだうだと……とにかく、この非常識な男をなんとかしろ!」
そこでようやく堂島は、踏んづけていた足をどけた。
「管理官、あんたの顔だって、いつでも踏んづけられる」
軽やかに堂島は言った。
「き、きさま!」
とてつもないほどの形相で、管理官は吠え猛った。
堂島の表情は、あくまでも不謹慎にニヤついていた。
大騒動になったが、しかしそれが雅樹にとっては幸いした。
翌日、出勤したら、雅樹の問題はなかったことになっていた。というより堂島の暴走のおかげで、だれの頭からも忘れられていた。
つまり張り込みを妨害してしまったことへの罰則は、なにもなし。
では堂島への処分はというと……それもないようだった。捜査本部では、管理官が「苦虫を噛み潰したような」の例文になりそうな顔で座っていた。
「ヤバいことしてたみたいだな……」
だれかの囁き声がした。
「西野も、終わりか……」
すでに署内は、その話題でもちきりだった。
捜査一課の西野と暴力団関係者が密会しているところを、ゴシップ雑誌にスクープされたらしい──と。
発売されるまえに上層部はいろいろと火消しにはしっていて、西野は謹慎になってしまったのだと。その噂が本当だとしたら、本日中に依願退職もあるのかもしれない……。
仕掛けたのは、堂島だろうか?
恐ろしくて確認することもできない。それは雅樹だけでなく、みなが同じ気持ちのようだった。
さわらぬ神に──さわらぬ悪魔に、なんとやらだ。
「あの……」
前の席に座っていた辻森に、話しかけた。
「ん?」
「そもそも、どうやって容疑者があがったんですか?」
なるだけ、堂島のことは考えないようにした。
「あー、よくわからん。おれたち所轄組は、なにも聞かされてないんだ」
新たな目撃者がみつかったのか、もしくは前科からそう判断したのだろうか?
「ま、おれらは命令に従う駒だからな」
ベテランの辻森が口にすると、哀愁を感じてしまう。
「だけどよ、昨日のおまえは、よくやったと思うぞ」
「は、はあ……」
そのことには、ふれられたくなかった。
「まっすぐな警察官でいろよ」
「は、はい……」
捜査会議がはじまる直前になって、ようやく堂島が顔を出した。
堂島を眼にして、管理官の形相がより一層、激しいものになっていた。が、当の堂島は涼しい顔のままだった。
その対比が、みなの疑惑の信憑性を上げているようだった。
「まだ被疑者はみつからないのか!?」
会議のはじまりを宣言するまえに、管理官は苦々しく声を放った。それですら西野のことにふれないよう、ごまかしているのかと思えた。
「はい……女のところには現れませんでした」
報告したのは、西野の後任で急遽主任になった東野という捜査一課員だ。西から東にかわっただけなので、覚えやすくはある。
東野は、堂島を睨んだ。おまえのせいだ、と言っているようなものだ。本当は雅樹の責任なのだが、それすらも昨日の騒動で堂島のせいになってしまったようだ。
雅樹は心が痛むと同時に、よかった、と素直に思った。
「それは残念だったな」
火に油をそそぐように、堂島が発言した。
捜査員の憎悪を一身にうけている。
(あれ……?)
そこで雅樹は、ふと考えた。
堂島のおかげで、自分が非難されなくなった……それは、偶然だろうか?
あんな大きな騒動をおこしたのは、まさか……。
「どうした?」
空いていたとなりの席に腰をおろした堂島のことをジッとみつめてしまったから、気味悪がられてしまった。
「あ、いえ……」
急いで視線をそらした。
捜査会議がはじまった。
「だれかのせいでマル被の行方はわからないが、とにかく張り込みを続けて、あらわれしだい身柄を確保しろ!」
管理官が士気を高めているところで、携帯の着信音が水を差した。
「おい!」
会議中に消音していなかったことに、怒鳴り声が飛んだ。
みなが、だれのだ~?、と見回していた。
すると、優雅な動作で堂島が携帯を取り出していた。
みなが、おまえか~!、と睨んでいた。
「どうも、どうも……ほうほう、そうですか。ご報告ありがとうございます」
どんな電話かわからないが、ちゃんと礼をのべていることに驚きがあった。
というか、会議中に平気で電話をしている無神経なところに気をつかったほうがいいはずだ。
「おい! 会議中に堂々と話すんじゃねえ!」
通話を終えると同時に、東野が文句を言った。管理官も、ますます険しい顔になっていた。
堂島のほうは、あいかわらず人を食った様子を崩さない。
「いや、ほら、あんたらがさがしてる容疑者がね」
「被疑者がなんだ?」
だが堂島は、なかなか続きを言おうとしない。
「なんなんだ、おい!」
「このさきを聞きたいか?」
「あ?」
「聞きたいなら、お願いしますと言え」
東野に傲然と言い放った。
「きさま! だれが聞きたいか!」
「あ、そう」
堂島は、本当に黙ってしまった。
「……」
「おい!」
みなの視線は、なぜだか堂島からそらすことができなくなっていた。
「……なんの電話だったんだ?」
「あ?」
「だから、いまなんの電話だったんだ!」
半ギレ状態で、東野が問いつめた。
気になってしまったのだろう。それほどまでに、堂島は思わせぶりなのだ。
「知りたいか? だったら、お願いしてみろ。教えてください、ってな」
「な、なんだと!?」
さすがに雅樹は、空気を読んだ。
「堂島さん……そんなことを言わずに教えてください。お願いします」
かわりに雅樹が頭をさげた。本当に電話の内容も知りたかった。
「そうだなぁ……そこまで頼まれたら、教えてやろう」
ここまで期待させて、なんでもない内容だったら、雅樹もムカついていただろう。
「いやぁ、女性から情報提供してもらったんだよ」
「女性? 情報提供?」
雅樹をふくめて、みながポカンと口をあけてしまった。
「だ、だれですか?」
「だから、昨日おまえらが張り込みしてたアパートに住んでる女性にきまってんじゃねえか」
容疑者が立ち寄ると推理されていた部屋の住人ということらしい。
「はあ!?」
みなが、なに言ってんだ、という顔をしていた。
「おまえ、女にしゃべったのか!?」
「それがなにか?」
しれっと、堂島は認めた。
「おい! なんてことしてくれたんだ! 女は共犯の可能性もあんだぞ! いまごろマル被に連絡をしてるかもしれない!」
「いや、だから、その女から容疑者の情報をもらったんだよ」
「なんだと!?」
堂島は、あいからわず余裕の笑みをたたえていた。
昨日の騒動のあと、堂島の姿が消えていた。あのとき、この男は容疑者の女の部屋に向かったのだ。
「これから会うそうだ」
「なに!? どこで会うというんだ!?」
「新宿駅だってよ」
「それ、本当だろうな!?」
「おれが嘘を言って、なんになる?」
「女が嘘を言っているかもしれない」
「女にだって理由はない。わざわざ、おれに連絡する必要なんかないだろ?」
「そのすきに、男を逃がすつもりかもしれない!」
「信じないのなら、それもいい」
ますます堂島の笑みが深くなった。捜査本部をもてあそんでいるのだ。
「管理官!」
携帯電話を耳に当てた捜一の係長が声をあげた。
「張り込んでる捜査員からです。女が動き出しました」
「新宿駅に向かうんだろうなぁ」
堂島が、囁くように篭絡を続けた。
「すぐに向かえ!」
管理官は決意したようだ。
捜査本部があわただしく動き出したなか、堂島がニヤつきながら雅樹のことを見ていた。
「な、なんですか?」
「昨日のことを覚えてるか?」
昨日はいろいろあったから、なんについてのことなのか考えがまとまらない。
「二人目の被害者についてだ」
「あ」
二人目の被害者・小野拓海について、明日までに調べておけと言われていたのだ。が、昨夜はそれどころではなかったので、調べていない。
「すみません……」
「そんなことだろうと思った。いくぞ」
「え? どこへですか?」
「被害者について調べにいく」
「は、はあ……」
雅樹は、本部からどんどんと人が出ていく光景を見回した。
「あの……いいんですか?」
「あ? なにがだ?」
「新宿駅には……」
「ああ、そっちはどうでもいい」
その情報を自分でもってきたというのに、堂島は執着していないようだ。
「あいつらが追ってる男は、犯人じゃない」
「え?」
「だからあいつらには、まちがった方向に進んでてもらう」
そんなことでいいのだろうか?
表情に出ていたのか、堂島は続けた。
「おまえも手柄が欲しいだろ?」
「あ、いえ……そんなことは」
欲しかったが、そう答えておいた。
「まあいい。とにかく行くぞ」
どこへ向かうのかもわからずに、雅樹は堂島のあとについていく。
「あの……堂島さんは、手柄が欲しいんですか?」
思い切って質問してしまった。やめておけばよかったと、後悔がはしった。
堂島が出世を気にしているとは思えなかったし、そもそも事件を真剣に解決しようという警察官としてあたりまえの信念さえあるのかも疑わしい。なにかべつの利益につながるようなものがあるのではないだろうか……。
「欲しいといえば、欲しいかなぁ」
堂島の答えは、とても適当なものだった。




