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蛾道  作者: てんの翔
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 まず向かったのは、事件現場だった。

 捜査の基本中の基本ではあるが、あれほど大口を叩き、いろいろと噂される刑事だから、もっと突飛な捜査を期待していた。

「ここが現場です」

 高田馬場駅に近い場所だ。雑居ビル群の路地だった。住所でいえば新宿区百人町一丁目。以前は戸塚署の管轄だったが、いまでは新署の担当になる。

「通り魔だよな?」

「そうです。ここは一人目の犠牲者が出た現場です。ここから通りに出て、次々に襲いかかっています」

 フードをかぶった人物が防犯カメラには映りこんでいたが、途中で服を脱いだのか、たどることはできていない。人の多さが最先端の捜査を難しくしてしまったようだ。

 それにくわえて、都心のわりに映像が不足していた。たまたまカメラが故障中だったり、整備中だったりと不運も重なったのだ。

「通り魔なら、最初から通りでやればいい」

 堂島は言った。たしかにそうかもしれないが、通り魔の気持ちなどわからない。

「どこいくんですか?」

 てっきり事件が続いていく通りのほうに足を向けるのかと思えば、そうではなく、さらに路地の奥へ進んでいく。

「ここらヘンで待ってれば、いずれ来るさ」

 路地の途中で、堂島は立ち止まった。

「ここに、なにがあるんですか?」

「表から見れば、評判の中華料理屋だ」

「え?」

 そんなことを教えられても……。

 雅樹は、わけもわからず視線を周囲に向けていたら、だれかが近寄ってきた。

「お、シゲさん」

 その人物に堂島は親しげに話しかけていた。

 一見してすぐにわかった。ホームレスだ。悪臭がひどく、身なりも汚い。

「ダンナじゃねえか。またあくどく賄賂でも集めてんのか?」

 年齢は六十歳前後だろうか。むこうのほうも、堂島のことをよく知っているようだ。

「なあ、事件知ってるだろ?」

「通り魔が三人殺したってやつか?」

「現場の路地は、あんたの通り道だろ?」

「そうだな」

「知ってることはないか?」

「ほれ」

 ホームレスは、手を差し出した。

 迷うことなく堂島は、千円札を手のひらにのせた。

「犯人を見たってやつの話だと、ぶつぶつなにかを言ってたらしいぞ」

「ぶつぶつ? なんて言ってたんだ?」

「ほれ」

 また千円を渡した。

「許さない、許さない、って繰り返してたそうだ」

「そうか、ありがとう」

 最後にもう千円を渡して、堂島は歩きはじめた。雅樹も遅れないよう、あとに続いた。

「次はどこへ?」

「最初の被害者について知ってることを教えろ」

 とてもではないが、人に教えを乞うような態度ではなかった。

「最初の被害者──路地で死亡したのは、大竹信二さん」

 年齢は二四歳。職業は、不詳。

「なんでわからないんだ?」

 会議でなに聞いてたんですか?──そう言いたいのをこらえた。

「マル害は、行方不明だったんです」

「なんだ、それ?」

「三年前に両親から捜索願が出ています」

「失踪理由は?」

「さあ……」

 通り魔だから、被害者の事情については捜査対象外となっている。

「両親から話を聞きたい」

「実家は北海道です」

 さすがに直接会いに行くわけにはいかないだろう。昨日まで両親が上京していたことを知っている。息子の遺体を確認するためだ。堂島が初動から真剣に捜査をしていれば、会えたというのに。

 雅樹は、遠慮がちに、そしてオブラートに包んでそのことを伝えた。

「電話でもいい」

「わかりました。とりあえず署にもどりますか?」

 こうして、あっさりと現場の捜索を切り上げることになった。

 署につくと、なにやら慌ただしくなっていた。捜査本部から次々と人が飛び出してくる。

「なにがあったんですか?」

「マル被があがったんだ!」

 先輩刑事は興奮ぎみに答えてくれた。

「……だそうです」

 その先輩が立ち去ってから、雅樹は堂島の様子をさぐった。ふーん、と興味のなさそうな反応が返ってきた。

「容疑者ですよ?」

「よかったじゃないか」

 どう考えても皮肉にしか聞こえなかった。

「どうしますか?」

 被害者の親に電話をすることだ。

「やってくれ」

 容疑者が出たのに腑に落ちなかったが、へたに逆らって、眼をつけられたくはなかった。

 捜査書類から被害者の実家の番号をさがしてかけてみた。

「もしもし、警視庁新宿署の村瀬といいます」

 面倒なので、『新』をはぶいて名乗った。

「あ」

 自己紹介をしたところで、携帯をひったくられた。

「単刀直入にお聞きします。息子さん、人から恨まれてませんでしたか?」

 雅樹は唖然とした。

「言葉には気をつけてください……」

 耳元で注意してみたが、堂島の表情に反省の色はなかった。

「よく思い出してください。犯人を検挙するためには必要なことです」

 電話に出たのは母親だった。恨まれていなかったかを訊くということは、だれかに恨みを買うような酷いことをしたのですか、と問いただしているようなものだ。母親の心情を思うと、かわいそうになった。

「本当は、あるでしょう? だれにだって、あるものです。それを非難するわけではない」

 堂島は、しつこく食い下がっている。あきれを通り越して、怒りすらおぼえはじめた。

「事件を解決したくないんですか? 息子さんは、無念のまま成仏もできませんよ」

 デリカシーのかけらもなかった。

「堂島さん!」

 さすがに、たしなめようとした。

 が、手で簡単に制されてしまった。

「──そうですか、そうですか」

 どうやら、なにかしらの証言を引き出せたようだ。

「その話をもっと詳しく──」

 堂島の口元には、陰謀めいた笑みが浮いていた。

「ほう、ほう、それで?」

 かれこれ、十分近く話し込んでいた。聞きたいことが聞けたのか、堂島は通話を終えた。

「……なんの話を?」

「大竹信二は、行方不明当時はいわゆるニートだったらしいがな、高校卒業後は消防士をめざしていたそうだ」

「消防ですか?」

 それには少し驚いた。消防隊員は、過酷な訓練を乗り越えなければなることができない。たとえ挫折したのだとしても、そういう人間が停職もつかず、ニートになるとは想像できなかった。

「しかも、東京でな」

「上京して?」

 警察官でも、生まれた地元ではなく、東京で採用試験をうける者はいる。雅樹の同期にも、数人いたはずだ。

「ハイパーレスキュー隊にあこがれていたって」

 東京消防庁の消防救助機動部隊のことだ。東日本大震災の原発事故では、日本の危機を救ってくれたといってもいい活躍をしている。雅樹は、まだ幼い少年だったが、それでも鮮明な記憶として残っている。

「なれなかったんですよね?」

「消防官採用試験は突破したらしいが、消防学校でいろいろあったそうだ」

「いろいろ?」

「いじめだよ。マル害は高卒だったからな。だいたい、そういうところは大学を出たやつが幅をきかせるもんさ。警察学校でも同じだったろ?」

「警察学校では、ほとんど交流はなかったですよ」

「おまえは、高卒か?」

「そうですけど……」

 学歴をバカにされたような気がした。

「堂島さんは?」

「出てる」

 大学を、ということだろう。

 警察学校では、高卒と大卒のカリキュラムはちがう。在校期間もちがうから、クラスも別々になる。寮でみかけることぐらいはあったが、すくなくとも雅樹の期では交流といえるものはなかった。

「大学出のインテリは、こぞって見下してたぞ」

 そのインテリのなかに自身もふくまれるというのに、堂島は無遠慮に言った。

 それにしても大学を出ているのに、いまだ巡査というのはやはりおかしい。普通は、すぐにでも巡査部長への試験を受けているはずだ。なかにはこだわりをもって試験をうけない人もいるだろうが、はたして堂島になにか理由はあるのだろうか?

 怖くて質問はできなかった。

「……そういえば消防学校は、大卒も高卒も半年間だったと思います」

 べつのことを口にした。ちょうどその知識を思い出したからだ。

 消防学校では、大卒者と高卒者が同じように学ぶ。だからこそ、高卒だからとカーストのような階級が存在したというのだろうか?

「で、どうなったんですか?」

 雅樹は答えを聞くまえに、脳内で予想をたてていた。

 いじめにあって、消防士を断念したのだろう。その後、ニートとなって、行方不明になったという流れではないだろうか。

「いじめがあったと告発したそうなんだ」

「告発ですか?」

「結果、いじめをやっていた側も退学することになった」

 そこで、犯人の目撃証言を思い出した。

 許せない──そうつぶやいていたのなら、無差別の通り魔ではなく、怨恨の線が出てきたということになる。

「犯人は、その告発された人ですかね?」

 素朴に雅樹は質問した。

 堂島が、せせら笑った。そんなに見当違いな推理だろうか……。

「子供のころでもいい、いじめられた経験はあるか?」

「いえ、おかげさまで……」

 からかわれたことぐらいはあるが、追い詰められるようなめにはあったことがない。

「なら、いじめたことは?」

「ないです」

 これもやはり、気弱な同級生をからかったことぐらいはあるが、いじめという酷いものではない……はずだ。

「だからわからないんだな。いじめなんて、一人じゃなにもできないやつがやるものなんだ」

 大胆な決めつけだと思った。

「そんな人間が、復讐のために殺人なんか犯さない」

「……そうでしょうか? 消防士になるという夢を断たれたんですから、凶行に出ることだって」

 雅樹の言葉は、堂島には響いていなかった。

「すでになっていたのならべつだが、まだ正式になったわけでもない。そこまで思い入れのある職業なら、問題なんておこすようなことはしない」

 つまり、復讐するほど消防士に夢をもっているような人間なら、いじめなんて問題はおこさないだろう──そういうことが言いたいようだ。

「じゃあ、その話は、事件とは関係ないんですか?」

「そんなことはない」

 雅樹は憮然とした。

 いったい、この人はなにを主張したいんだ……。

「二人目の被害者は?」

「はい?」

「だから、二人目の被害者だよ」

 話が急に飛んだ。

「え、えーと、小野拓海さん……年齢は、二九歳。職業は、IT系の会社員です」

「一人目の被害者との共通点は?」

「いえ、ありません」

 そもそもこれは通り魔事件なのだから、被害者同士にはなんのつながりもないはずだ。あるとすれば、同じ時刻、同じ場所にいたとうことしか。

「じゃあ、明日までにそれを調べておけ」

 横柄な口調で、堂島は言った。

「……」

 わざと表情に不満な気持ちを出してみたが、堂島は意に介していなかった。

「おい、人手がたりないから、おまえもこい!」

 そんなとき、先輩刑事に声をかけられた。

「なにがあったんですか?」

「張り込みだ。マル被があがったんだが、自宅ではなく、女の家にいるらしい」

 さきほど大挙して出動したのは、自宅へ向かった組だろう。が、その後、女の家にいることがわかって、新たに人員を派遣するようだ。

「マル被の自宅は青梅だから、向かった連中はまだもどれないんだ」

 なるほど、それで捜査本部に入っていない人員も、応援に駆り出されているのだ。

 雅樹は、堂島の顔をうかがった。こういう要請に従うとは思えなかった。

「いいよ、行けよ」

「いいんですか?」

「ああ。明日、いま言ったことを調べてくれればいい」

 そう言ってくれたので、先輩たちについていった。正直、悪魔から解放されたような安堵感があった。

 同乗させてもらった覆面パトカーのとなりの席には、普段からたいへんお世話になっている辻森がいた。

 すでに五十代のベテランだ。雅樹と同年代の息子がいるそうで、良い意味でかわいがってもらっている。

「あいつはどうだ?」

「堂島さんですか?」

「お世辞にも誉められたやつじゃないが、警察官としては優秀だ」

 運転席と助手席の同僚たちは、この話題には入りたくなさそうだった。

「優秀……なんですか?」

「じゃないのかな。まあ、おれもよくは知らないんだが」

 新署の歴史はまだ短いから、どんなにベテランであろうと、かつて同じ署にいたとかでなければ、雅樹と立場は同じだ。

「いろいろと噂は知ってる。苦労すると思うが、いまは頑張ってくらいつくしかないな」

 励ましなのか、慰めなのかわからない言葉だった。

「うちのも、もっと頑張ってもらいたいんだがな」

「息子さんは、救命士でしたよね?」

「あ、ああ……」

「たいへんな仕事ですよね」

「おれたちだって、そうだろうがよ」

 辻森は笑いながら言った。家では良き父親なのだろうな、と感想をもった。

 現場につくと、雅樹はあたえられた持ち場についた。

「え?」

 思わず、戸惑いの声をもらしてしまった。

「……どうして、いるんですか?」

 女が住むというアパートを見渡せる路地の角に隠れていたのだが、警察署で別れたはずの堂島の姿があった。

「いや、おもしろそうだから」

 警察官にあるまじき態度だった。怒ってやりたいところだが、そんなことをして恨みをかったら、それこそなにをされるかわからない。署の幹部すら、及び腰になるほどの悪漢なのだ。できるかぎり関わり合うのは避けるべきだろう。

『マル被の人相は茶髪、やせ型。年齢は二三歳』

 インカムから指示が飛んでいる。

『いいか、みつけてもなにもするな。女の部屋に入れるんだ』

 あくまでも踏み込むのは、正規の捜査員が到着してからなのだ。

「ん?」

 雅樹が監視している前方から、だれかが歩いてくる。

 一瞬、容疑者かと思ったが、人相がまるでちがった。というより、男でもなかった。穏やかな雰囲気の老婦人だ。まだ距離はあったが、そのまま進めば問題のアパートを通過することになる。これからすぐに逮捕劇があるわけではないから、危険ということはない。しかし、はやくこの一帯を通りすぎてもらいたいと願う自分がいた。

 と──、老婆がつまずいてしまった。両手を地面につけて、どうにか起き上がろうとするが、うまくいかない。

「あ、あの……高齢者が転んでしまいました」

『あ!?』

 報告を入れたら、怒ったような声が返ってきた。

「ですから──」

『そんなのどうでもいいだろ! いいか、ヘタに動くなよ!』

 老婦人は、まだ立ち上がることができない。

 雅樹は、命令に従いつづけるか、老人に手を貸すか、迷いに迷った。

「行っちゃっていいんじゃない?」

「え?」

 堂島が囁いた。

「で、でも……」

「おまえがあの老人を助けたところで、この張り込みに支障が出るとはかぎらんだろ」

 そのとおりだ。

 だが指揮系統が崩れることを、管理官をはじめとする捜査一課の人員は許さないだろう。

 つまるところ、組織とはそういうものだ。

「あのさー、おまえはなんのために警察官になったんだ?」

「はい?」

「上の命令を聞くためか?」

 それはちがう。困っている人を助けるためだ。

 ……とはいっても、現実はそう簡単ではない。警察内には警察内の秩序があり、それを乱すことは許されない。

「で、でも……ここを動くわけにはいきません」

「ふーん、あのばあさん、死んじゃうかもな」

「不吉なこと言わないでください……」

 まだ立ち上がれない。かといって、べつのだれかが通りかかる様子もない。

 そうだ。通行人をよそおえばいいのだ。そして、おばあさんに手を貸して立たせる。それが難しければ、おんぶして、あの場所から移動させる。この一帯から離れれば、救急車を呼んだって問題ないだろう。

 行きかけた足が、やはり動かなかった。命令を無視して勝手な行動をとってしまえば、あとでどんな問題に発展するかわからない。

「……」

「あーあ、あのばあさん、気の毒にな」

「だったら……堂島さんが助けてあげればいいじゃないですか」

 雅樹は言ってしまった。責任転嫁しているのは、よくわかっていた。

「おれはほら、そういう人間じゃないから」

 そのふざけた言い訳を耳にして、罪悪感がうすれた。

「あのばあさんを助けたら、きっとおまえは立派な警察官になれるのに」

 根拠のない言葉なのはわかっていたが、ここでなにもしない警察官は、はたして警察官として意味があるだろうか?

 ダメだ。堂島にまどわされている。この男は楽しんでいるのだ。この人こそ、立派とは正反対の警察官だ。

「……」

 わかっている。他人を悪者にすることで、自分を正当化しているだけだ。

 雅樹は吸い寄せられるように、いまだ立ち上がることのできない老婦人のもとに駆けていった。

「大丈夫ですか?」

「ど、どうしちゃったんでしょう……」

 老婆も、自身の不調に困惑しているようだった。もしかしたら、命にかかわる状況かもしれない。この場から移動させている場合ではない。

 雅樹は、すぐに救急車を呼んだ。

『おい、なにやってんだ!?』

「救急車を呼びました」

『なにやってんだ! 張り込みが台無しじゃねえか!』

 インカムの声は激昂していた。

「でも、このままほってはおけません!」

『そこから移動して、そこで呼べ!』

「できません!」

 雅樹は、つっぱねた。

 これはもう、警察官がどうのという問題ではない。人間としての問題だ。

 上の指示だからといって、人命を軽視することはできない。

 すぐにサイレンの音が聞こえてきた。

 路地に救急車が入ってきて、隊員が老婦人のもとに駆け寄った。もうこうなっては、張り込みどころではない。

 気がついたときには、堂島の姿はなくなっていた。


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