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大勢の捜査員のなかで、一人だけ、あからさまに態度の悪い人物がいた。
例えるなら、そう。ひらひらと自由に舞う蝶といったところだろうか。働き蟻をバカにする、軽やかな蝶。
だが蝶に例えたといっても、女性ではないし、線の細い美男子というわけでもない。端正な顔立ちはしているが、むしろ粗野な雰囲気をもつ男性だった。まじめな印象は薄い。いや、このシチュエーションでなければ、そうは思わないのかもしれないが……。
「おい、おまえらなにやってんだ! もう五日だぞ! なんの手がかりもみつけられねえのか!? 恥ずかしく思えよ!」
管理官の叱咤が、容赦なく捜査本部内を跳弾のように飛び回る。
この世には、力を弱い者に向ける人間と、強者に向ける人間の二種類がいる。弱者を従わせるか、その弱者を守るために強者に挑むのか──正義と悪の問題ではない。普通に考えれば、前者が正義で後者が悪になってしまうが、犯罪という観念ではそうはならないことも多いのだ。
弱者に力を向けても、それは秩序を生み、立派な会社経営者になっていることもある。強者に力を向けるあまり、強い相手と喧嘩しまくって、ついには殺人を犯してしまうこともあるだろう。
不変の正義と悪もあるとは思う。だが、ほとんどは立場や状況によって、正義という概念は変わってしまうものなのだ。だから、そういう区別はしないようにしている。あくまでも、力の向け方の問題なのだ。
雅樹には、その人がどちらに力を向けるのかを見抜く能力がそなわっていた。子供のころから日々のなかで培われていった処世術のようなものだ。
この管理官は《赤》だ。弱者を従わせるために力を向ける人種。
ちなみに、その逆は《青》だ。
かなりの確度があると、雅樹は自信をもっている。ただし、環境で人は変わるものだ。小学生のときに《青》と判定した同級生がいた。少しイジメられていたことから、その同級生は空手を習いはじめたのだが、中学生になるころには《赤》に変わっていた。空手がその同級生を力の信奉者にしてしまったのだ。
逆もある。《赤》だった乱暴者が、成長するにつれ、《青》へと変化した。それだけを聞くと、そのときの見た目や表立った性格で判断していると思われるだろう。そうではない。一見おとなしそうな人間が《赤》のときもある。もしくは、不良なのに《青》だったことも。
おとなしそうな《赤》は、その後、幼い少女を襲おうとして警察沙汰をおこした。《青》の不良は、カツアゲされかけていた少年を助けて、警察から表彰されていた。
この見抜く能力は、雅樹にとって、たった一つの取り柄のようなものだ。
「……」
あの態度の悪い捜査員も、まぎれもなく《赤》だった。
ほかにも捜査員のなかには、何人か《赤》がまぎれている。しかし、それがイコール悪というわけではない。それだけが救いだ。警察官は本来、弱者のために力をつかうべきなのに……。
「役に立たねえなら、やめちまえ! おまえらのかわりなんて、いくらでもいるんだぞ!」
パワハラ確定のセリフだった。
新宿区で発生した通り魔殺人事件の特別捜査本部だ。三人が死亡した重大凶悪事件だった。
広い会議室には、警視庁本部から派遣された管理官および捜査一課員がずらっと並び、隙間を埋めるように、所轄であるこの警察署の刑事課員が、申し訳なさそうに肩を狭くしている。
新宿には、ドラマや小説でも有名な『新宿署』が存在しているが、ここは犯罪の急増をうけて昨年新設されたばかりの『新新宿署』というところだ。
本来は、もっとちゃんとした名称をつけようとしていたらしいが、仮称で呼んでいたものがそのまま採用されたらしい。手続き上のミスで、その名に決まったという噂もあった。
新宿区には、新宿署、四谷署、戸塚署、牛込署の四つがこれまでにあった。これ以上、べつの名称をつけると混乱するから、わかりやすく『新』をつけたのが由来だとする説も有名なところだ。
元祖である新宿署の職員からは、まぎらわしいと評判が悪い。その反面、ここの職員は自分をふくめて、都内でも有数の重要所轄署である新宿署勤務と思われるので、それほど嫌がる人間はいない。
「おい、そこ! ちゃんと聞いてるのか!?」
怒鳴り声が襲いかかってきた。
「さっきから、ぼうっとしてるヤツだな! 名前は!?」
「む、村瀬です! 村瀬雅樹です!」
「おい、村瀬! やる気がないなら、はずれてもらってもいいんだぞ。どうする!?」
「も、申し訳ありませんでした!」
雅樹は、立ち上がって平謝りした。
とにかく、居心地の悪い捜査本部だった。雅樹は、地域課から念願の刑事課へ半年前に配属されたばかりだった。これまでに応援でべつの署に立った特別捜査本部に一日だけ入ったことはあるが、そのときはここまでギスギスしていなかった。
原因は、あの管理官にある。先輩たちが噂していた。自身の出世にしか興味がなく、所轄の人間をゴミをあつかいしている。一課の部下たちも、それにならって所轄を見下している、と。
むかしはそういう刑事ドラマのような軋轢が多かったそうだが、最近のコンプライアンス社会においては、いかに警察組織がガラパゴス化されているとはいえ、思いのほか意識改革は進んでいる。
なにかあれば、セクハラ・パワハラ・モラハラと訴えられる時代だ。ある意味、こういう横柄な上司は貴重な存在といえた。
「ったく、もういい! 席につけ」
わき汗をびっしょりかきながら、雅樹は座ろうとした。
最初、なんの音なのかわからなかった。
「くくく」
「ん?」
「はははは!」
それは、場に似つかわしくない笑い声だった。
声の主は、あの態度の悪い男性だった。
「な、なんだ、おまえは!?」
さすがの横暴管理官も、男の態度に怒りよりも戸惑いをおぼえたようだ。
「所属と階級を言え!」
しかし男の態度はかわらず、眼光はあくまでも挑戦的だ。
「堂島航兵。ここの刑事課所属、階級は巡査だ」
雅樹はその名前を聞いて、ようやく思い出した。
同じ刑事課──正確には刑事組織犯罪対策課──だが、これまでに接点はなく、会ったことすらなかった。大所帯の警察本部ならそういうこともめずらしくないようだが、所轄署でそれは本来ならありえない。
──『堂』には近づくな。
先輩から、そう忠告をうけたことがあった。
『堂』の意味もわからなかったし、とにかく近づいてはいけないものがある、と認識したにすぎなかった。厄介なものにかかわりたくもなかったので、先輩たちにあらためて質問するようなこともしなかった。
あれが、そのトラブルメーカーらしい。
それにしても……そんないわくつきの人物が、まだ巡査という事実に戸惑いがあった。階級でいえば、雅樹と同じだ。警察組織のなかでは最下層の存在……。
年齢的には、巡査部長、もしくは警部補であってもおかしくはない。見た目よりも実際には若いのかもしれないが、雅樹には三十歳を少し過ぎたぐらいに思えた。なによりも、物事を達観したような貫禄が滲み出ている。
「で、なにがそんなにおかしいんだ?」
階級が巡査であると聞いて余裕をとりもどしたのか、管理官が言った。
「あんたの無能ぶりを、おれたちのせいにすんじゃねえよ」
「なんだと!?」
二段階、管理官の声のトーンが上がった。
「あんたと部下が、無能なだけだろ」
管理官だけでなく、一課の刑事もいっせいにいきりたった。
「なんだと、きさま!?」
「ははは!」
激しい抗議と怒りの声に、堂島は豪快に笑った。
「遠慮するな。おれの力を貸してやるよ」
傍若無人な態度をとっていても、首脳陣側に席をおいているうちの署長や刑事課長は困り顔になりながらも、堂島にはなにも言えないでいた。
「なんなんだ、こいつは!?」
管理官は、火が出るように声を荒げた。署長や課長を睨みつけている。
「おたくらは、署員の管理もできないのか!?」
「……申し訳ありません」
署長は平謝りするばかりだった。その態度は、雅樹とかわりがない。管理官の階級は警視であり、署長の階級も同じだったはずだ。
だが本庁の管理官と、できてまもない警察署の署長では見るからにランクがちがっていた。管理官のほうは、まだ上をめざし、署長のほうは、ここでもいいと退官への準備をしているような黄昏感がある。
双方とも叩き上げだが、管理官のほうが若い。つまり、出世もはやかったということだ。
「なんで、こんなやつが捜査本部に入ってんだ!?」
「そ、それは……とても優秀でして……」
「優秀?」
小馬鹿にしたような表情が返ってきた。
「どれほど優秀だというんだ?」
「は、はい……これまでに何件もの難事件を解決した実績が……」
署長の声は消え入りそうだった。そう言うわりに、具体例をなにも出さないところをみると、本当のことなのかどうか……。
疑問が生じた。
なぜ署長たちは、この堂島という男を弁護しているのだろう。それこそ率先して、署長たちが注意しなければならないのではないだろうか?
雅樹は思わず、周囲にいる先輩たちに眼を向けてしまった。そのいずれもが、視線をそらした。なにかあるのだ、この堂島という男は……。
「おもしろい。では、堂島巡査。おまえがなにか重要な証拠をつかんでこい。生意気なことを言うのは、それからだ」
管理官は、そう切って捨てた。
「いいだろう。あんたや、捜一には荷が重いだろうしな」
「なんだと!?」
部屋が険悪な色に染まっても、堂島は意に介していないようだった。涼やかな顔で、微笑している。
「では、勝手にやらせてもらいますよ」
堂島が立ち上がった。
「まて! まさか一人で動くつもりじゃないだろうな?」
「悪いか?」
「捜査の基本も知らんのか? 単独捜査など認められるわけがないだろう!」
管理官は一喝した。
「わかった。だれかをつれてけばいいんだな?」
そう言って堂島が、室内を見回した。
ふいに眼が合った。
「彼にしよう」
堂島が、不吉なことを言い出した。
一応、左右を見回すが、どう考えても雅樹に対しての言葉だった。
「おまえだ」
念のため、ぼくですか?、という意味で、人差し指で自身の顔をさす。
「そうだ」
無情な宣告だった。
「わかった。そいつをつけろ」
先輩、同僚たちのヒソヒソ話が聞こえてくる。
ご愁傷様。
「よろしくな」
「は、はい……」
こうして雅樹は不幸にも、堂島という男と捜査をすることになってしまった。




