エピソード4:織姫様の願い事②
時計は進み、時刻は12時30分を過ぎたところ。
賞を受賞した幾つかの飾りの前で写真を撮影したユカ達は、駆が手配してくれていたお弁当を持って、勾当台公園内の飲食スペースにいた。
公園の市民広場には、日よけの大きなテントの下に長机と椅子が何列も並べられており、その周囲にぐるりと飲食物を売る露店が並んでいる。周囲から漂ってくる美味しそうな香りに浮気しながら、ユカは手元にあるお弁当の蓋を開いた。
縦3列、横3列に間仕切りがなされている正方形のお弁当箱。各スペースに米や煮物、牛タンなどが入っており、デザートは水まんじゅうと果物。勢いで箸をつけようとしたユカの手を、隣に座るセレナが「コラコラ」と苦笑いで制止した。
「一誠さんと駆っちが、お茶を買いに行ってくれとるやろ? 全員揃ってから、ね」
「はーい……」
渋々手の動きを止めたユカは、改めて周囲を見渡し……平日の昼間にも関わらず、人の流れが途切れないほど本当に大勢の人が集まっていることに閉口していた。
彼らは純粋に、祭りを楽しむために来仙している。年に一度の祭りに対して大きな期待を膨らませている人も多いはずだ。
政宗や統治、『仙台支局』に関わる全員で守ろうとしているこのイベントは、絶対に何事もなく終わってもらう。そのために職員の1人として、出来ることをしたい。
ユカが1人で決意を固めていると、人数分のペットボトル飲料を持った一誠と駆が3人のところへ戻ってきた。一誠は瑠璃子にボトルを渡しながら、彼女の隣に腰を下ろすと、懐から取り出したハンカチで額を拭う。
「ふー……やっぱり、動くと蒸し暑かな」
「お疲れ様ー……って、あれ、カメラの原さんはどげんしたと?」
ペットボトルを受け取りながら尋ねる瑠璃子に、一誠は「あぁ」とハンカチを片付けながら返答した。
「別の取材があるからって、地下鉄の駅の所で別れてきた。今日中にデータを千葉君に送るって言ってたから、明日、チェックして欲しいんだと」
「了解。じゃあ食べようかねー。千葉君もお疲れ様ー」
瑠璃子が斜め前の駆に声をかけながら弁当の蓋を開くと、椅子に腰を下ろした駆が軽く会釈をした。そして、手に持っていたペットボトルのお茶2本を、隣にいるセレナへ横流しする。
「ど、どうぞ……」
「ありがとうございます。1本はユカやね」
駆から笑顔でペットボトルを受け取ったセレナは、そのうちの1本をユカに手渡した。
それを受け取ったユカを確認し、瑠璃子が全体の音頭を取る。
「じゃあ、みんなでいただきますかー」
その言葉に全員がそれぞれ胸の前で両手を合わせ、昼食を食べ始める。
ユカは早速割り箸を割ると、イクラが乗っているおこわに箸を入れた。
宮城の郷土料理でもある『はらこ飯』を模したもののようで、口に入れるとイクラのプチプチした食感と、出汁と醤油で炊き込まれたご飯は相性抜群。口の中が幸せになる。
ユカが無言で咀嚼している隣で、セレナは牛タンを箸でつまみ上げ、口に含む。厚さからは想像出来ないほどすぐに噛み切れる柔らかさにセレナは目を見開き、咀嚼してから……隣で彼女と同じく牛タンをつまみ上げた駆に笑顔を向けた。
「これ、すっごく美味しいですね!! 駆っちが選んでくれたとですか?」
「へっ!? あ、えー……まぁ、一応。仙台に初めて来た人は、大抵コレを出すと喜んでくれるんで……」
「分かるなー。食べてみたいものが色々入っとるもん。この可愛い浴衣といい、色々と美味しい思いをさせてくれて、ありがとうございますっ!!」
「あ、こっ……こちらこそ!!」
慌てて頭を下げた駆は、顔を少し赤くして自分の弁当に向き直った。セレナもまた己の昼食に向き直り、チーズ味の笹かまぼこを箸でつまむ。
そんな2人を見ている一誠が、どこか釈然としない表情でお茶を飲んだ。瑠璃子は見えない所でそんな彼の態度に肘鉄を入れつつ……少しだけ、彼のことを探ってみることにする。暇だし。
「千葉君は……政宗君とはどこで知り合ったと?」
「政宗さんと、ですか?」
一瞬、どこまで説明していいのかと、彼の瞳が泳いだ。それを見逃さなかった瑠璃子が笑顔で捕捉を入れる。
「千葉君がどこまで聞いとるか知らんけど……私達は、政宗君の同業者やけんね。支店が違うと思ってもらえればよかよー」
「おい、瑠璃子……」
刹那、一誠が「あまり余計なことを言うな」と言わんばかりに焦った口ぶりで彼女の名前を呼んだ。一方の瑠璃子はそんな彼に「大丈夫だ」と目線で答えた後、笑顔で駆を見つめる。
駆はしばし口ごもった後……お茶を飲んで口の中を掃除した。そして、改めて口を開く。
「俺は元々、石巻の名倉さんとこと知り合いで……里穂や仁義とも長い付き合いなんです。高校で自分の進路を考えている時に、あの災害があって……今まで当たり前に見てきた『情報』が、何一つ、入ってきませんでした」
それは、今まで生きてきた中で初めての経験だった。
新聞、テレビ、ラジオ、インターネット……あらゆる手段で手に入れることが出来ていた『情報』が、今、一番知りたいことが、何一つ分からないという恐怖心。
天気も、友人の安否も、学校の再開時期も、石巻の外がどうなっているのかも……何も、分からない。
電気が使えないため、テレビが映らない。新聞も印刷出来ない。パソコン用のインターネット回線は死滅し、携帯電話で調べようにも、基地局やアンテナが壊滅しているためアクセス出来ない。
唯一の情報源は、手回し式のラジオだった。
そこから聞こえてくる情報も――どこで何十人亡くなった、とか、どこで何十人の安否が不明、とか……全て、どこか現実味がなくて。
避難生活の終わりも見えず、どうすればいいか、何も分からなかった。
「そんな時……避難所に、今の会社が壁新聞を張り出してくれたんです。手書きで、まるで学校の学級新聞みたいでしたけど……役所や給水の情報もあって、自衛隊がどこで頑張ってるとか、そういうことも書いてあって……みんな、代わる代わる読んでました。そこで、この会社に興味を持って……高校卒業してから、契約社員で働いてます」
高校卒業と同時に飛び込んだ、報道の世界。何も知らない状態で、がむしゃらに突き進んできた。
2年目で仕事にも慣れてきた今日このごろ、地元に密着した情報を提供出来るのは楽しいし、人と話すことに抵抗はないけれど……どこか停滞した復興を目の当たりにしているので、伝える以外に何も出来ない自分が、もどかしくなることもある。
それでも……まずは伝えて、現状を知ってもらうことだと肝に銘じ、持ち前の前向きさでここまでやってくることが出来ている。
「去年の夏頃だったかな……名倉さんの家で、政宗さんに会いました。元々、俺の上司と名倉さんが、名倉さんの仕事の関係で長い付き合いだったみたいで、今度からは政宗さんも同じように世話になるだろうってことで、仲介役の仁義から紹介してもらってからですね。俺は名倉さんや政宗さんの詳しい仕事内容は知りませんけど、政宗さん、仕事出来るし女性にもモテるので……本当、凄いなって思ってます」
刹那、無言で弁当を食べていたユカの手が一瞬だけ動きを止めた。すぐに淀みなく手を動かし始めたユカを横目で見やり、鶏肉の照り焼きを食べ終えた瑠璃子が更に目を輝かせる。
「やっぱり、政宗君ってもてるとー?」
この問いかけに、駆は力強く首肯する。
「あの人モテモテですよ。仙台でも石巻でも、色んな女性から政宗さんを紹介してくれって言われますし……本当、なんで彼女作らないんでしょうね。仕事が忙しいからかなぁ……」
1人で首を傾げる駆が、笹かまぼこを箸でつまんだ。セレナは彼の言葉にどこか諦めた顔で息を吐いた後……駆を見つめ、恐る恐る問いかける。
「駆っちも、あの災害で……家とか、被害があったと?」
神妙な面持ちの問いかけに、駆は首を横に振った。
「あ、いや、俺は家も家族も大丈夫だったけど、知り合いは家が流された人もいるから……しばらくは、無事だったことが逆に申し訳なかったかな」
災害後は、命や家財が無事だった人とそうでない人の差が大きくなる。全てを失ったことで強行に走った人物の話を聞いていたセレナは、駆の中にある強い光を見つけて……素直に凄いと思えた。
自分が彼の立場だったら、こんなに真っ直ぐ生きることなんか……出来ないかもしれない。
今でさえ、心の中にある思いを笑顔ではぐらかして、先送りにしているのに。
「そうなんやね……そげな状況で進路を見つけて突き進んどるげな、カッコよかね」
「へっ!? あ、えっと……そ、そう、かな……」
次の瞬間、駆は目を見開いてセレナを見つめた後……気の利いた言葉が浮かばないまま、俯いてしまった。
そんな彼をセレナ越しに横目で見ていたユカは、駆の気持ちが誰に向かっているのかを何となく察して……コレはコレでどうしようかと、混迷する思いのベクトルに人知れず頭を抱えるのだった。
昼食後、その場で簡単なインタビューを終えた駆は、持っていたICレコーダーの録音を止めて、4人へ向けて軽く頭を下げた。
「今日のスケジュールは以上になります。朝からありがとうございました」
彼の言葉で、今日の行程が無事に終わったことを確信した4人もまた、肩の力を抜いて銘々に会釈を返す。
「明日も少し、インタビュー等にお付き合いいただきますが、今日みたいな写真撮影はありません。その浴衣は本日21時までにお店へ返却してもらえれば大丈夫なので、皆さんのスケジュールに合わせて対応いただければと思います。分からないことがあったら、俺の携帯に連絡してください」
荷物を片付ける駆に、スマートフォンで時間を確認したセレナが声をかける。
「お疲れ様でした。駆っちはこれからどげんするとですか? まだお仕事?」
「え、えぇまぁ……夕方まで、七夕まつりで飾りを作っている業者や、賞を取った人たちに話を聞きたいと思ってます。ので、この辺ではウロウロしてるから、何かあったら呼んでください」
駆はこう言って立ち上がると、全員分の弁当のゴミを持った。そして、改めて頭を下げた後、「失礼します」と言い残し、足早にその場を後にする。
すぐに雑踏に紛れて見えなくなった背中を全員で見送りつつ……一誠が腕時計で時間を確認した。
「っと、もう1時半過ぎか……瑠璃子、研修は夕方からやったか?」
「そうやねー。やけんが間に合うように浴衣を返却してから、『仙台支局』に行くつもりやけど……ユカちゃんとセレナちゃんはどげんすると?」
「ユカ、どげんすると?」
「なしてあたしに聞くとね!!」
「だってユカ、仙台に住んどるやんね!! 私、この辺のことなーんも知らんよ!!」
「そ、それは……!!」
事実を突きつけられたユカが口ごもり、視線を盛大にそらした次の瞬間――目線の先の人の流れの流れに、見知った女性の横顔を発見した。
「あれ……櫻子、さん……?」
ボソリと呟いた名前に、福岡組3人もそれぞれ反応する。
「ユカ、櫻子さんって……トーチ君の?」
「う、うん、見間違いじゃなきゃそうやね……折角やけん、ちょっと呼んでくる」
ユカはそう言い残して立ち上がると、彼女が移動した先に検討をつけて先回りをしてみた。
多くの人が行き交う勾当台公園は、浴衣で人を書き分けて進むのが少しだけ大変だったけれど……ユカは目を凝らし、ちょっとまばたきをして視界を切り替えてから、櫻子との『関係縁』を辿って彼女にたどり着いた。
「――櫻子さん!!」
「えっ!?」
露店で列に並んでいた櫻子が、横からかけられた声に全身をビクリと震わせる。そして、自分を見上げているユカに気付き……ホッとした表情で息をついた。
「ユカちゃん……とても可愛らしかったので、一瞬、誰かと思ってしまいました」
「え? あ……」
自分が浴衣姿だったことを自覚したユカが、口をモゴモゴと言わせながら、帽子のつばで顔を隠す。
財布やスマートフォンなどが入るほどの小さなショルダーバックをかけている櫻子は、白い半袖のブラウスに、紺色の膝丈スカートを着用していた。足元は白いフラットシューズで、動きやすさを重視しているように感じる。
長い髪の毛をなびかせている櫻子は、着飾ったユカに目を細めつつ……周囲をキョロキョロと見渡した。
「先ほど、佐藤さんともお会いしたのですけど……ご一緒ではなかったのですね」
「あ、政宗は今回別行動なんです。櫻子さんも仙台に……」
仙台に来てたんですね、と、言いかけたユカは、彼女がどうしてココにいるのかを悟った。
櫻子は今日の夜、『仙台支局』の電話番をしてくれることになっている。それもあって、こんな早い時間から待機してくれているのだろう。
「櫻子さん、夜は『仙台支局』でしたね……本当、ありがとうございます」
「気にしないでください。ユカちゃんは福岡からのお友達と楽しめていますか?」
「はい。あ……それで、もしよければ、櫻子さんに紹介を――」
紹介させて欲しい。
そう言いかけたユカは、自分たちを見つめる強烈な視線があることに気がついて――目の動きを切り替えた。
既に『縁』や『痕』が見える状態にはしてある。そのおかげで早めに気付けたと思うけれど……でも、一体、どこから?
「ユカちゃん……?」
ユカの態度が変わったことで、櫻子がどこか不安そうに声をかけた。ユカは警戒を続けながら、櫻子に聞こえるよう、返答する。
「櫻子さん……一度、この列から一緒に離れてもらってもいいですか? 欲しいものはあとであたしが買いますから、今は――」
今は、一刻も早く、彼女をセレナや瑠璃子、一誠のところへ連れていきたい。
その判断に従うように列を抜けた櫻子と共に、ユカが踵を返した次の瞬間――
「――ちょっと!! ちょっとそこの子!! 絶対気付いてるのに無視しなくていいじゃない!!」
ユカの行く手を、浴衣姿の女性が阻む。
足元に出来た水たまりは……ユカ以外の誰も、気に留めていなかった。
駆の語ったエピソードは、この話を参考にしています。
■東日本大震災直後も記者たちが命がけで取材! 石巻日日新聞が発行した6枚の「壁新聞」とは?(https://news.walkerplus.com/article/24377/)
震災直後って電気も駄目だしスマホも繋がらないので、本当に情報がなくて。ラジオだけが頼りでした。ただ……声だけで事実を淡々と伝え続けるラジオが、少し怖かったこともありました。
誰もが疲弊し、絶望した災害の中で、自分たちも被災者でありながら、人のために走り回ってくれた人たちがいることを知って、もしくは思い出してもらえると嬉しいですね。




