エピソード4:織姫様の願い事①
翌日――仙台七夕まつりも2日目、8月7日。
朝からどんよりと雲が立ち込めており、雨がギリギリ降ってこないような……そんな曇り空の下。時刻は朝の10時過ぎ。
仙台市中心部、クリスロード商店街の一角にある呉服店から出てきたセレナとユカは、互いに着付けが終わった浴衣を見て……はにかんだ笑みを交換する。
セレナは普段おろしている髪の毛をアップにまとめ、大きなリボンの髪留めでアクセントをつけていた。着用している浴衣はターコイズブルー。ところどころに淡い花の模様が施されており、まるで水に花が浮かんでいるような涼しさがある。
一方のユカは、いつものキャスケットから2本の三つ編みが伸びている。浴衣の色は白で、赤やオレンジの花が細かくあしらわれたデザイン。緑色の帯や足元の草履は慣れないが、流石にこの格好で足元をスニーカーにするわけにはいかない。
どこかぎこちなく歩いてくるユカを、セレナが満面の笑みで出迎えた。
「ユカ、似合っとるよー!! ねぇねぇ、写真撮ってよか?」
「な、なしてあたしだけで撮ると!? それに、今から散々撮影されるけんよかやんね!!」
気恥ずかしくなって逃げるユカをセレナが追いかけていると、既に着付けを終え、店の脇にあるベンチに座っていた瑠璃子と一誠が立ち上がる。
瑠璃子の浴衣は黒のチェック柄に紫色の金魚の模様が薄くあしらわれており、帯は鮮やかな赤という出で立ち。頭には飾り紐をつけている。
一誠は砂色の男性用の浴衣に黒い帯、足元は草履という出で立ちで、懐に先程もらったうちわをさしていた。
その姿を見たセレナは更に目を輝かせ、手に持っていたスマートフォンを2人に向けて構えてみせる。
「一誠さん、瑠璃子さんも!! すっごく似合ってます!! 写真撮って福岡に送らんと!!」
「そげん慌てんでよかよー。でも確かに、今が一番綺麗な状態かもしれんねぇ……」
瑠璃子がそう言って頬に手を当てつつ、キョロキョロと周囲を見渡した。
「ここで待っとればよかとやんね? ユカちゃん、何か連絡は入っとる?」
瑠璃子の問いかけに、ユカはフルフルと首を横に振る。
昨日もらった資料によると、ユカ達4人は提携しているこの呉服店に9時45分に来店して、浴衣への着替えやヘアメイクを終えて待っていて欲しい、ということだった。
ここでは七夕まつりの期間中、観光客に向けて浴衣の着付けや貸出、ヘアメイクなどを行っている。既に予約は一杯らしく、朝のこの時間帯でも、ユカ達以外に数名の女性が、楽しそうな表情で着付けをしてもらっていたのだ。
4人の予約時間と着付けにかかるおおよその時間は、駆達も把握しているはず。だからここで待っていればいいけれど……見知らぬ土地で人を待つというのは、少しだけ不安にもなる。
瑠璃子が昨日もらった名刺を見つめていると、ユカが「あ。」と、何かを思い出したように口を開いた。
「でも、政宗からは千葉さんは時間どおりに出たって連絡が入ってました」
「政宗くんから?」
「はい。千葉さん、いつもは石巻っていう……電車で1時間くらいかかるところに住んでるんですけど、この祭りの期間は仙台での仕事しかないからって、政宗の部屋に泊まってるそうですよ」
「そうなんやね。じゃあ、もう少し待って――」
瑠璃子がそう言って、駅の方を見た次の瞬間――4人を見つけて足を速める駆と、首からカメラをぶら下げた男性が近づいてくる様子が目に入る。
先行して近づいてきた駆が4人の前に立つと、少し息を切らせながら頭を下げた。今日の彼は白いワイシャツに迷彩色の長ズボン、足元はバッシュという、動きやすさを重視した服装。首からは新聞社と自分の名前、顔写真が入った取材許可証をぶら下げている。
「おはようございます、お待たせしてスイマセン……!!」
焦りながら4人を見回すと、セレナが代表して明るく声を掛ける。
「駆っち、おはようございますっ!! 着付けも今終わったところやけん、気にせんでよかですよ」
「か、かけっ……!?」
唐突に下の名前で呼ばれた駆は、笑顔のセレナを見つめて……硬直した。
不自然に目が泳ぎ、顔が下から赤くなっていく。瑠璃子と一誠は彼の様子とその視線の先を目で追った後、夫婦で見つめ合って……同じように口角をあげる。
「あらあら……これは面白いことになりそうやねー」
「余計なことするなよ、瑠璃子」
「分かってますー。若い人達の邪魔はせんけんねー」
一誠からやんわり釘を差された瑠璃子がしたり顔で言葉を返したところで、カメラを持った男性が駆に追いつき、彼の隣に並ぶ。
年齢は瑠璃子や一誠と同じくらい。短髪に垂れ目が印象的で、身長は165センチ程度、恰幅が良い体型をしている。白い半袖のポロシャツとベージュのチノパンにグレーのスニーカーという出で立ちで、カメラ以外には駆と同じ取材許可証と、ショルダーバックをたすき掛けにかけていた。
彼が4人に向けて軽く頭を下げたところで、駆が「紹介します」と彼に手を向ける。
「今日、カメラマンとして同行する、原です。何か分からないことがあったら、どっちかに聞いてください」
「初めまして、原です。今日は宜しくお願いします」
落ち着いた口調と共に改めて頭を下げた彼に、4人がそれぞれ銘々に「お願いします」と言葉を返す。その隙に腕時計で時間を確認した駆は、全員に向けて声をかけた。
「それじゃあ……人がもっと多くなる前に移動します。移動した先で写真を撮影していきますので、宜しくお願いします」
少し時は進み、時刻は11時30分を過ぎた頃。
『東日本良縁協会仙台支局』の事務所には、統治と心愛、そして、今日は11時から臨時で仕事をしている華蓮の姿があった。
ツインテールを揺らしながら室内をウロウロしている心愛は、白いシャツワンピースに濃い青のレギンス、足元は黒いスニーカー。動きやすさと発汗性を重視した服装である。
「森君もジンも……まだ来ないのかしら」
ブツブツ呟きながら扉の方を見る心愛に、自席に座ってパソコンを操作していた統治が怪訝そうな目線を向けた。今日の彼は白いワイシャツの上からグレーのカーディガンを羽織り、足元は黒いズボンとスニーカー。今日も15時から外に出なければならないので、心愛と同じく動きやすさを重視した服装になっている。
一方、事務仕事を淡々とこなしている華蓮は、本日も肩の上で切りそろえた短いウィッグを着用しており、白いアンサンブルに青いジーンズ素材のサルエルパンツ、足元はデッキシューズという出で立ち。眼鏡とも相まって、遠目に見ても近くから見ても……仕事が出来る女性に見える。
暇を持て余した心愛はユカのせいに腰を下ろすと、無言で机上の書類に記載された数値をパソコンで打ち込んでいく華蓮の横顔を見つめた。そして、意を決して口を開く。
「そういえば……片倉さんは、七夕まつりに遊びに来たこと、ありますか?」
「七夕まつり、ですか?」
手を止めた華蓮が、問いかけた心愛を見つめた。
黒髪に映える大きな瞳。彼女のこんな顔を見ていると……かつて死別した『彼女』のことを思い出してしまう。
そういえば、今日は――8月7日だ。
「ねぇ、蓮、明日なんだけど、仙台の七夕まつりに行かない?」
8月7日の夕方、名波家の離れになっている、古い木造の平屋。クーラーなどないこの家の中、扇風機がある居間で、蓮は黙々と宿題をこなしていた。
そこへ仕事から帰ってきた華が顔を出し、明るい声で蓮に声をかける。部屋着の白いワンピースがよく似合う彼女の声を受けて、蓮は勉強をしていた手を止めて彼女を見上げ、少しだけ顔をしかめた。
姉と出かけることは、嫌いではない。ただ、仙台の七夕まつりは、全国から大勢の人が集まってくる、年に一度の一大イベントだ。蓮もテレビや新聞でその様子を見て、飾りよりも人混みを見に行くようなものだという認識を持っている。
現に先日、近くの夏祭りに半ば無理やり引っ張り出されただけで……蓮は、凄まじく疲れてしまったのだから。
人混みは、嫌いだ。
自分を見失いそうになるから。
小さい頃は、華が手を握ってくれた。だから、迷子になることもなかった。
でも、小学校高学年ともなると……誰か知り合いに見られたら気恥ずかしい、そんな感情が先行してしまう。
それに……聞きたくない声が、もっと、聞えるようになってきたから。
「どうして華さんは、あんなのを気にかけているんだろうか」
「彼女は優しい人だから、放っておけないんだよ」
「華が『縁故』として生きていけないから、『縁故』の才能がない蓮に同情してるんじゃない?」
「名杙から捨てられたなんて汚らわしい、さっさと結婚して出ていってくれればいいのに」
「せめて2人とも、『縁故』として使えればいいんだけどねぇ……それも無理なんだろう?」
「本当、どこまで役立たずなんだか。親があんなのでも金を入れている分だけ、華がマシってだけだ」
そんな声がわざとらしく聞えるたびに、蓮は耳を塞ぎ、閉じこもった。
誰も、自分たちのことを理解してくれない。
味方なんか、誰も、いない。
そんな時、華はそんな蓮の心のドアをたまにノックしつつ……彼が扉から出てくるのを、根気強く待ってくれるのだ。
そう、華はいつだって、蓮に手を差し伸べてくれたのに。
蓮は少し考えた後、静かに、その答えを口にする。
「……僕はいいよ。人も多いし。姉さんは自分の友達と行ってくれば?」
そう言って、視線を再び手元の課題に戻した。
これもまた、蓮の本心だった。あんなに人が多いところに行きたくない、知り合いと会ったら恥ずかしい。そして……華と一緒にお祭りに行って、浮かれているなんてことがこの家の人間に知られたら、何を言われるか分からない。
今回は彼女の手を取らず、自分が我慢することで、華を、守ったつもりだった。
蓮の言葉を受けた華は、一度、息をついてから……。
「うん、分かった。いきなり言い出してゴメンね」
そう言った華の表情を、蓮は見ていない。
どんな顔をすればいいか、分からなかったから。
だって、しょうがないじゃないか。
蓮と一緒にいるだけで、華は、謂われのない誹謗中傷を受けてしまうのだから。
ただでさえ立場が弱い彼女を、更に周囲が追い詰めてしまう。
でも、彼女は誰も傷つけない。雑草ばかりの環境で一輪だけ咲き続ける花のように、凛々しく立ち続けている。
周囲からどんな扱いを受けても、決して、表情を変えることもなく。
蓮はその背中に守られ、彼女に手をとられ、ここまで生きることが出来た。
このままではダメだと訴える蓮が、時間の経過とともに強くなっていくのが分かる。
いつまでも彼女に頼っていてはいけない、このままでは……蓮はいつまでも、華と共に並び立てないじゃないか。
姉さんを、守れないじゃないか、と。
今は、しょうがない。
しょうがないんだと言い聞かせ、蓮は目の前の課題に集中する。
邪魔にならないようにと部屋を出ていった華の足音が遠ざかっていくのを、何となく、聞き流しながら。
その後、蓮は……華と一緒に七夕まつりへ行くことはなかった。
行くことが、出来なくなってしまったから。
どれだけ短冊に書いても、二度と叶わない願い事になってしまったのだから。
そこから蓮は、七夕が、七夕まつりが……以前よりもずっと、嫌いになった。
「――さん、片倉さん?」
心愛に名前を呼ばれ、慌てて思考を『彼女』に戻す。そして、自分を見つめて答えを待っている心愛に視線を向けると……少し躊躇いながらこう答えた。
「七夕まつり、行ったことなかったですか?」
「いえ……その……」
心愛の反応に、華蓮はどう答えようかと思案しつつ……彼女に対して誤魔化しても意味がないので、正直に答えることにした。
理由は分からない。ただ……彼女にならば、話せる気がしたから。
「姉さんに……何度か、連れてきてもらったことがあります」
「そうだったんですか……華さんって、優しい人ですね」
好意的に受け止められ、可愛らしくはにかむ心愛にどう答えればいいか分からなくなった華蓮は、少しだけ目を逸らして気持ちを整えてから……自分の話を続けないために、心愛へ話をふることにした。
「名く……心愛さんは、毎年いらっしゃってるんですか?」
その問いかけに、心愛はしばし考えた後……どこか恥ずかしそうに返答する。
「毎年ってわけじゃないんですけど……今年は、心愛が学校で作った飾りもあるので、後でちゃんと見に行こうと思ってます」
「学校で、飾りを?」
「そうなんです。生徒会活動の一環で、周囲の中学校の生徒会の子達と一緒に作ったんです。表彰もされたんですよ」
仙台市中心部には、いくつかの商店街があり、そこに店を構えている店舗が、大きな吹き流しを展示している。そして、祭り初日の8月6日、各商店街ごとに審査が実施され、金・銀・銅の3賞が決定し、飾りの横にプレートが掲げられるのだ。
賞を取るような飾りは、他とは違う工夫が施されていたり、一際豪華絢爛だったり……と、特に人目を引くものばかり。写真を撮影している人が多く立ち止まっていたら、賞を取った飾りが近くにあるかもしれない。
「今日のお仕事が終わってから、生徒会の皆で行ってみることになってるんです。部活が終わったりっぴーも誘ってるんですけど……あ、あの……か、片倉さんも一緒にどうですか?」
「え? ぼ……私も、ですか?」
素に戻ろうとした自分を慌てて律し、華蓮として何とか声を作る。まさか誘われるとは思っていなかったこともあり、返答に困っていると……心愛がどこか残念そうに目を伏せた。
「ごめんなさい、いきなり言われても困りますよね……」
「あ、いえあの……えっと……私がいると、迷惑になりませんか……?」
「迷惑? どうしてですか?」
「え? いや、その……名倉さんみたいに、場を盛り上げられるわけじゃないですし……」
萎縮して俯いた華蓮を、心愛はしばし見つめた後……肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「気にしすぎですよ」
彼女ははっきりとそう言うと、踏ん切りがつかない華蓮の背中を押そうと奮闘する。
「一応、片倉さんとしてだったら、阿部会長や島田君とは面識もありますし……よければ前向きに考えてください。また夕方に聞きますからねっ」
こう言って右手の人差指を立てる心愛に、華蓮は返す言葉が思い浮かばず……息をついて、首を縦に動かすしかない。
自分に差し伸べられた手を、正当な理由なく払いのけるようなことは……したくないと、思ったから。
「……分かりました」
華蓮が頷いたことを確認した心愛が、両手を腰にあてて満足そうに頷いた次の瞬間――扉が開き、仁義と環が入ってきた。
時計は進み、昼の12時を過ぎた頃。
1件、外での打ち合わせを終えた政宗は、つけていたネクタイを外しながら空を見上げた。
曇り空の隙間から時折日が差しているものの、雲の色は重ための灰色。いつ、通り雨が降ってもおかしくない。
七夕まつりの期間中は、仙台駅や商店街の中のみならず、周囲でも多くの吹き流しが高く掲げられ、風になびいている。企業ロゴの入ったカラフルな吹き流しの下を移動しながら、政宗はカバンの中に外したネクタイを突っ込み、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。
タイミングよく赤信号になり、横断歩道の前で立ち止まる。この隙に届いているメッセージを確認することにした。
ユカからは「午前中は異常なし」という短文の下に、画像が1枚届いている。
何かと思ってスクロールしてみると、浴衣を着付けてもらったユカとセレナのツーショット写真に遭遇した。普段の2人とは違う、この時期らしい清楚な姿に、思わず目を奪われて……一度、ため息をつく。
自分が好きな人と、自分を好きな人。
いっそ自分が、セレナのことをユカよりも好きになることが出来れば……。
「――何を考えてるんだ、俺は……」
セレナに対してとても失礼なことを思ってしまった気がして、政宗は慌ててかぶりをふると、「お疲れさま。こっちのことは大丈夫だから、祭りを楽しんでくれ」と返しておいた。他の人に対しては「可愛い」とか「似合っている」とか平気で付け加えられるのだが……それが出来ないのも、また今の彼らしいところでもある。
引き続き、統治から届いていたメッセージを確認しようとしたところで、歩行者用の信号が青に変わった。とりあえず向こう側についてからにしようと決めて顔を上げ、他の人と同じように、足を一歩前に踏み出す。
次の瞬間――何人もの人が歩いてくる向こう側から、『明らかに何か違う気配』が近づいてくることに気付いた。
慌ててまばたきをして視界を切り替える。
この感じは、確か、昨日の夜にも――
政宗は意識を集中して、前から近づいてくる『彼女』を見据える。
同時にスマートフォンのアプリを機動しながら、すれ違いざまに写真を撮影した。
信号が青から赤に変わり、車が一斉に動き始める。
渡りきったところで振り返ってみるが、もう、先程の彼女は見えなくなっていた。
まるで散歩をするかのように徘徊している『彼女』。単純に祭りを懐かしみ、雰囲気を楽しんでいるだけならば、いずれ自発的に消えてしまう気もするが……。
「……今のところ、無害……だよな。とはいえ、統治には知らせておくか……」
画面の中にいるのは、星のかんざしが印象的な浴衣の女性。撮影できた写真を確認しながら、政宗が対応を思案していると……。
「――佐藤さん?」
正面から声をかけられ、ビクリと反応して顔を上げる。
顔を上げた先にいたのは――帽子をかぶって荷物を持った、透名櫻子だった。




