エピソード3.5:その手に持てる花は何本?
事務所内に手土産を持って入ってきたなるみは、慣れた動作で持っていたものを応接用のテーブルに置いた。
なるみは襟元にレースのあしらわれた白いブラウスと、グレーのパンツスタイル。足元は黒いハイヒールを着用しており、その立ち姿は相変わらず凛としている。
荷物を置いた彼女は、肩にかけているカバンを持ち直して、施錠して戻ってきたユカを見下ろた。そして、肩の上で切りそろえた髪を耳にかけながら、笑顔で軽く会釈をする。
「こんばんは、山本さん。具合はどう?」
「こんばんは。先日はありがとうございました。おかげさまでもう大丈夫です」
なるみとは先日、送ってもらってから会う機会がなかった。ユカが帽子のつばを直して会釈を返すと、なるみはキョロキョロと周囲を見渡して、首をかしげる。
「支倉さん、は……向こうにいるかしら。流石に部外者の私がそちら側に行くわけにはいかないし、仕事を邪魔するのは本意じゃないから……今日は帰るわね」
「え!? ちょ、ちょーっと待っててくださいね!!」
ユカは慌てて彼女を引き止めると、すぐさま衝立の向こうに移動して、必死にサンドイッチを詰め込んでいる瑞希を凝視した。
「は、支倉さん……そげん無理に食べんでも……」
「ふ、ふいまへん……んっ、お、お待たせしましたっ!!」
最後の一口を根性で飲み込んだ瑞希が椅子を蹴るように立ち上がると、転びそうになりながら、慌ててなるみの元へ移動していった。
その背中を見送るユカの肩を、セレナがちょんちょんと叩く。そして、耳元でヒソヒソと問いかけた。
「ユカ、誰が来とると?」
「江合なるみさん。支倉さんが今働いとる会社の社長さんで……政宗の元カノなんだって」
「ムネリンの元カノ!?」
刹那、セレナが出した大声が部屋の中に響き渡り……間近で聞いていたユカが耳を抑える。
「ちょっ、レナ!! そげん驚かんでもよかっちゃなかと!?」
「ご、ごめん……でも、流石に驚くよ……!!」
セレナが申し訳なさそうに顔の前で両手を合わせた。ユカはそんな彼女にため息をついた後……無言で、衝立の向こうを右手の親指で指差す。
さぁ、行こうぜ……と、表情で語りかけながら。
「初めまして、橋下セレナです。ユカの福岡時代の同僚で……七夕まつりに遊びに来ましたっ!!」
ユカと共になるみと瑞希がいるところまで出ていったセレナは、先程の動揺をおくびにも出さず、人懐っこい笑顔で元気自己紹介をする。この切替は何度見ても凄い。
ペコリと頭を下げたセレナを見下ろして、なるみもまた「初めまして」と頭を下げた。
「江合なるみです。宮城県へようこそ。ゆっくり楽しんでね」
「はい、ありがとうございます。土曜日までいられるので、じっくり楽しみたいと思います」
2人が笑顔で談笑している様子を見ながら……ユカは一体この場をどう処理すればいいのかと、慣れないことに頭を働かせてオーバーヒートしそうになっていた。
チラリと、自分の真向かいにいる瑞希を見やるが……オロオロしているだけなので、最初から戦力外である。
このまま何もしなければ、なるみは瑞希の顔をみたから、と、気を遣ってすぐに帰るだろう。それはそれでいいのかもしれないけど……折角来てくれたお客様に、お茶の1つも出さないまま帰らせてしまうなんて、政宗や統治に知られたら少し白い目で見られそうな気がしたから。
とはいえ、どうしたものかと思案すると……応接用の机の上に、なるみからの手土産が置いてあることに気がついた。
これ幸いにとユカは1人で呼吸を整え、世間話をしているなるみとセレナの間に割って入る。
「江合さん、その箱……何ですか? 冷蔵庫に入れたほうがいいですか?」
「え? あ……これは、差し入れに買ってきたの。バームクーヘンなんだけど……」
「バームクーヘン!!」
魅惑の響きに、ユカが即座に目を輝かせる。そして、この場にいる人数を改めて数えた後……胸を張ってこう言った。
「丸いものは四等分すると平等に食べられますね!! 皆で食べませんか?」
この提案に、なるみは軽く目を見開いて……周囲を見渡した。
「山本さん……支倉さんもだけど、仕事中なんじゃないの?」
「電話が鳴ったら出ればいいだけなので大丈夫です!!」
「四等分したら、政宗君と統治君の分がなくなるけど……」
「バレなきゃ大丈夫です!! あ、でも……江合さんはお忙しいですか?」
「私? 私はもう、今日は何もないけど……」
いきなり積極的になるユカに、なるみはしばし呆気に取られる。そんな彼女へ、セレナが苦笑いで捕捉した。
「ユカ……甘いものが大好きなんです。福岡でもしょっちゅう間食してました」
「あら、そうなの」
「折角ですし、なるみさんにお時間があれば、もう少しお話させてもらえませんか?」
こう言って自分を見つめるセレナに、なるみは「分かったわ」と首を縦に動かす。
かくして、急遽……女子会が開催されることになった。
ユカと瑞希がコーヒーを用意している間に、セレナとなるみが事務所内にあったフォークでバームクーヘンを切り分け、紙皿へ移動させていく。
「すっごいフワフワしてますね……有名なお菓子なんですか?」
一人分を切り分けたセレナがなるみに問いかけると、彼女はセレナに紙皿を渡しながら返答した。
「橋下さんは、『萩の月』って知ってる?」
「あ、知ってます。黄色くてフワフワしたやつですよね。前にムネリンが買ってきてくれました」
「それを作っているのが、菓匠三全っていうところなんだけど……最近はずんだシェイクも全国区になったわね。これはそこが作ってるバームクーヘンなの」
「へぇー、そうなんですか」
「私も仕事柄、色々な手土産を持っていくけど……急に必要になった時は、駅ですぐに買えるから便利なの。味も甘すぎないから、色んな人に勧めやすいし……気に入ってもらえるといいな」
なるみはそう言って、衝立の向こうを見つめた。
彼女の視線の先に誰がいるのかを察したセレナもまた、肩をすくめて……少しだけ声を潜める。
「あの……なるみさん、ユカはやっぱり、具合が悪かったんですか?」
「え?」
「ごめんなさい。さっき……具合はどうって聞こえてきたので……」
セレナの言葉に、なるみはしばし考えた後……。
「先週、山本さんが具合が悪そうにしていたところに偶然居合わせて、家まで送ったことがあるの。それ以来会ってなかったから聞いてみたんだけど……山本さん、体が弱いの?」
なるみは先程、セレナが言った「やっぱり」が気になった。なるみ自身もユカの詳しいことは知らないし、あえて深入りしないようにしているけれど……外見が幼い彼女が一人前に働いていて、それを周囲が容認していることは、今でも信じがたいことがある。
なるみ自身も、7月に仁義と石巻で仕事をしているユカを見ているけれど……あの時のようにしっかり立っているかと思えば、先日のように倒れそうになっていたり、かと思えば、先程のようにバームクーヘン1つですっかり心を許してくれたように見えたり。
色々な表情を持った、不思議な女性だと思う。だからこそ――
なるみの言葉に、セレナもまた、言葉を選びながら返答する。
「ユカは……そうですね、以前はちょっと弱いこともあったみたいですけど、最近はずっと元気だったんです。4月から仙台に赴任して、その疲れがきてるんだろうとは思うんですけど……だから、元気な顔を見て安心しました」
こう言って笑顔を向けるセレナを、なるみがじっと見つめた。そして、何だろうと首をかしげる彼女に……小声で、こんな提案をする。
「橋下さん、お姉さんのワガママに……ちょっとだけ、付き合ってくれないかしら?」
その後、4人分のコーヒーを持ってきたユカと瑞希は、切り分けられたバームクーヘンがのった紙皿の横にそれを置いた。そして、なるみの隣に瑞希、セレナの隣にユカが腰を下ろし、さて、と、全員で顔を見合わせる。空気を察したなるみが早々に口を開いた。
「じゃあ、年長者の私が音頭を取ろうかしら。菓匠三全の『仙臺バウム』、山本さんや橋下さんのお口に合うと嬉しいわ。召し上がれ」
なるみの言葉に、フォークを持ったユカがピクリと反応する。
「菓匠三全って……あの、萩の月のですか?」
「そう。割と色々なお菓子を作ってるのよ。政宗君にねだると買ってくれるんじゃないかしら」
そう言ってニコリと笑うなるみを、ユカは「そうですね」と一言で受け流し……改めてフォークを握り直した。
4分の1に切り分けられたそれは、木の年輪のように一層一層がしっかりと主張しており、薄い黄色と相まってとても柔らかく、しっとりと甘そうに見える。
フォークで端を縦に切り取り、それを刺して口元に運んだ。次の瞬間、柔らかな風味と優しい甘さが広がった。生地のパサツキも、甘さからくるドギツさもない。丁度よいという言葉がしっくりくる食感と味に、ユカは無言で口を動かす。
そして、静かに嚥下した後……無言で二口目を切り出した。
セレナもまた、一口目を口に運んで……幸せそうに頬をほころばせる。
「んー、本当だ、すっごく柔らかくて美味しいです!! 見た目よりずっと甘くないから、いくらでも食べられちゃう……ムフフ、コレは家族に買って帰りたくなりますね」
「気に入ってもらえて嬉しいわ。支倉さんはどうかしら。食べたことあった?」
「へっ!? い、いいえ、初めて食べたんですけど……美味しい、です……」
そう言ってフォークを口に運ぶ瑞希に、なるみは目を細めて……コーヒーをブラックのまま一口すすった。
「……ん、美味しい。政宗君、相変わらずここのコーヒーが好きみたいね」
刹那、ユカがフォークをくわえたままピクリと反応する。それを横目で確認したセレナは、意識して声のトーンとテンションを上げた。
「えっ!! ムネリン、好きなコーヒーとかあるんですか?」
「そうなの。ネルソンコーヒーって言って、中心部から少し車で住宅地の方へ抜けたところにあるお店なんだけど、私と一緒に行ってから、好きになったみたいね」
「なるみさんと……あ、そっか、ムネリンはなるみさんの元彼なんですよね」
刹那、何も知らなかった瑞希がコーヒーを吹き出しそうになって1人でむせ返った。ユカはそんな彼女を心の底から憐れみながら……静かにバームクーヘンを減らしていく。
「ムネリンって、お酒なら何でも好きじゃないですか。そっか、コーヒーにはこだわりがあったのか……」
「橋下さん、政宗君とは親しいの? 彼があだ名で呼ばれてるなんて珍しいわね」
「あ、はい。私、ムネリンのことが好きで」
刹那、ようやく回復した瑞希が再び激しく咳き込んだ。ユカはそんな彼女に心の底から謝罪しつつ……淡々とバームクーヘンを減らしていく。
「あら、そうだったのね。確かに……彼、女性に対してすっごく優しい人だから」
「そうなんです。2年前に一度、九州で仕事をする機会があって……その時にフォローしてもらったりして、一目惚れしちゃったんですよ」
「2年前……」
刹那、なるみの目が少しだけ細くなった。しかしそれも一瞬のこと。彼女はすぐに調子を取り戻し、セレナとの話を続ける。
「ここまで公言出来るなんて、羨ましいわ。彼は橋下さんの気持ちを知っているの?」
「聞いてくださいよなるみさん、ムネリンには何度となく伝えてるんですけど、ぜんっぜん通じてなくて!! 今は付き合ってる人もいないみたいなのに……やっぱ、トーチ君には叶わないんですかねぇ……」
「そ、そうねぇ……確かにあの2人は親友だけど、政宗君、私と付き合ってる時も、心の中に他の誰かがいるようなことがあったの。私は結局、その『誰か』には成り代わることが出来なかった……だから、上手く行かなかったのよね」
なるみはそう言って、手元のコーヒーをすすった。そして、先程から一言も発しないユカを見やり、少し意地悪に問いかける。
「山本さんは……政宗君と橋下さんが付き合うのは、いいの?」
「え?」
言葉の意味が分からず、ユカはコーヒーカップを持ったまま顔を上げてなるみを凝視した。見つめられた彼女は言葉を言い換え、再度、問いかける。
「橋下さんと山本さんは親友だし、政宗君と山本さんも仲が良いわよね。今まで3人で成立していた関係で、二人だけ特別な関係になることで……疎外感は感じないのかしら、って思って」
「疎外感、ですか……」
なるみの言葉に、ユカは手元のコーヒーを両手で包んで……少しだけ、考えてみる。
もしも、もしも――セレナと政宗が付き合うことになったら、とても嬉しいと思う。
親友の思いが成就して、今まで1人で頑張ってきた政宗にも、心の支えが出来るのだ。
それは、とても……とても、嬉しいこと。
自分には、一切関係がないけれど……きっと、嬉しいに違いない。
そのはずなのに。
心が……少しだけ、ほんの少しだけ、モヤモヤする。
だってあの時、彼は、心から自分のことを――
「……っ」
いつも、そこから先に至ることが出来ない。頭に鈍痛を感じたユカが、かすかに顔をしかめた。
また、まただ。結局あたしは、何も分からない。
分からないまま……モヤモヤして。そんな自分が嫌になるだけだ。
「ユカ……?」
隣にいるセレナが心配そうにこちらを覗き込む。ユカは我に返って、フォークを握り直した。
駄目だ、今ここで彼女たちに余計な心配をかけるわけにはいかない。
ユカは必死に言葉を手繰り寄せ、今の自分とズレない言葉を探し始める。
「あたしは……」
疎外感を、感じるだろうか。
多少は感じるかもしれない。けれど、それは仕方ないことだ。
だって、自分は政宗のことを特別に思っていないから。
それに――仮に政宗がユカを好きになったとしても、それは、彼の意思ではない。
しょうがないことなのだから。
そのことに思い至ったら……自然と、言葉が出てきた。
「あたしは……政宗とセレナがお互いを必要として、2人の意思で決めたことなら、それでいいと思います。疎外感は感じるかもしれませんけど……でもきっと、セレナも政宗も、あたしに対しては変わらないと思いますから」
政宗には、彼自身が自分の意志で選んだ人と、幸せになってほしい。
何にも縛られず、何も気にすることなく、心から好きな人と。
そう言ってコーヒーを飲むユカを、セレナとなるみは静かに見つめた後……顔を見合わせ、苦笑いを交換するのだった。
菓匠三全は『萩の月』や『ずんだシェイク』だけじゃないんです!! バームクーヘンめっちゃ美味しかったです!!(https://www.sanzen.co.jp/product/baum/index.html)
霧原のところにもなるみが手土産持って来てくれないかなぁ……。(来ません)
あと、ネルソンコーヒー(http://www.nelsoncoffee.com/)のオリジナルブレンドのコーヒー飲みたい。(飲みたい)




