Ch11
CH11
ジェーンは手持ち無沙汰にロッカーを開けたり閉めたりしながら、マイクが登校してくるのを待った。しかし、いくら待ってもマイクは現れなかった。ジェーンはマイクの友達のスティーブを見つけると、駆け寄った。
「マイクは今日学校休み?」
「ああ、そうみたい」
話しをした事も無いジェーンに突然聞かれて、スティーブは一瞬驚いた顔をした。
「マイクの家の場所教えてもらえる?」
ジェーンの問いにスティーブは更に困惑した顔をした。
「え、えーっと、サウス地区のパターソン通りなんだけど、えっと、1階が確かタバコとか売ってる雑貨屋さんになってて、その3階」
「ありがとう」
パターソン通り、雑貨屋、3階、ジェーンはぶつぶつ呟きながら立ち去ろうとした。
「あの、でも、最近サウス地区はエクストリームズが出没して危ないから、女の子が一人で行かないほうが良いと思うよ」
「そっか、判った、ありがとう」
ジェーンはスティーブの忠告に頷くと、明日マイクが来るのを待つしかないなと思った。
――しかし、その次の日も、マイクは学校に現れなかった。
「私、やっぱり、マイクの家に行ってみようかな」
ジェーンはどうしてもマイクと話しをしたかったので、その日会いに行くつもりでいた。
「スティーブは危ないって言ったんでしょ? 明日まで待ってみたら? 今日は私もついて行けないし」
リアは放課後バスケットボールの練習試合で、他のハイスクールに行く事になっていた。
「大丈夫よ。明るいうちに行くし、唐辛子スプレーも持ってるから」
ジェーンは唐辛子スプレーをポケットから取り出すと、リアに見せた。実は今日マイクが学校を休んでいたら、マイクの家に行ってみようと思って、一応持ってきていたのだ。もしエクストリームズに襲われても、五感の鋭いシルバーアイズには唐辛子で多少のダメージを与えられる可能性がある。それほどたいした効果はないかもしれないが、少なくとも、逃げる時間ぐらいは稼げるだろう。
「本当に大丈夫かな~?」
不安げなリアをよそに、ジェーンは意気揚々と校門を出た。実はサウス地区に行くのは初めてなのだが、マイクの家の場所は昨日地図で調べてあったので、特に問題なさそうだった。むしろ始めて向かうサウス地区に、遠足にでも行くつもりでわくわくしていた。――しかし、暫くしてジェーンは直に後悔した。奥に進むにつれて、なんだか殺伐とした雰囲気になってきたのだ。路地の奥にはゴミが捨ててあり、家も辛うじて立っている様な古い建物ばかりだった。
ジェーンの気持ちが沈むのと共に、天気まで悪くなってきた。ぶ厚い雲が空を覆い、今にも雨が降りそうだ。
格差社会については学校で勉強した事があり、貧富の差についてはよく理解していたつもりだったが、ジェーンは自分の認識の甘さを目の当たりにした。
その時、薄暗い路地の階段に座った少年と目が合った。ガリガリにやせ細り、ぶかぶかのシャツを着ている。お金の為に自分や子供の血を売る母親の話は聞いていたが、それはほんの一握りの人々で、新聞や雑誌が大げさに書き立てているだけだろうと考えていた自分に腹が立った。その少年はジェーンの方を見て怯えた顔をしたかと思うと、建物の中に入ってしまった。ジェーン溜息を吐くと空を見上げた。(雨も降りそうだし、やはり今日は帰ろう)
クルリと踵を返したその時だった。ジェーンの前に二つの大きな影が揺れた。
「これは、これは、何だか毛色の違う兎が紛れ込んでるようだぞ」
ニヤニヤと長身でがっしりした体つきのシルバーアイズがジェーンを見下ろしていた。
「処女の血の匂いだ」
もう一人のシルバーアイズが鼻をヒクヒクさせた。
ジェーンは後ずさりながらポケットの唐辛子スプレーをギュッと握った。
「少し血を貰うだけだ、殺しはしないから安心しな」
シルバーアイズの顔がジェーンに近づいてきた。(今しかない!)ジェーンは必死で唐辛子スプレーを噴射した。
その瞬間、何が起こったのか、ジェーンには理解が出来なかった。目の前に立ち塞がっていたシルバーアイズがサーッと黒い霧のように消えたのだ。
「こいつ!」
もう一人のシルバーアイズがジェーンの胸ぐらを掴んで持ち上げた。
ああ、もう終わりだ、そう思ったとたんに、ジェーンは地面にドサッと落とされた。
「何をしているんだ」
よく通るりんとした声が路地に響いた。穏やかだが、有無を言わせない強い口調だった。
「ハ、ハンス様。こいつがダンを……」
ジェーンはハンスと呼ばれた人を仰ぎ見た。そこに立っていたのはこの前モールで見た美しいシルバーアイズだった。
「もう一度聞こう、何をしていたのだ」
鋭い視線を浴びせられ、大柄なシルバーアイズはすくみ上がった。
「あの、その、ダンがこの娘の血を飲もうとしたんです、でも殺すつもりは無いって本人も言ってて……でもこいつがダンの目に何かを吹きかけたら、ダンが……」
大柄なシルバーアイズはしどろもどろに言い訳をした。
『忘れろ』
ハンス様と呼ばれた青年が一言呟くと、大柄なシルバーアイズはきょとんとして辺りを見渡し、訳が判らないという顔をした。
『去れ』
また一言短く呟くと、大柄なシルバーアイズは背を向けあっという間に視界から消えた。ジェーンはその一部始終をぼんやりと見つめていた。
「申し訳無い事をした」
ハンスはジェーンに手を差し出した。おずおずとその手を握ったジェーンをスッと立ち上がらせると、その青年は神々しい笑顔をジェーンに向けた。
ジェーンがその微笑にボーっとしていると、「君の様な女の子が、こんな所で何をしていたのかな?」と優しい口調で尋ねた。さっきの冷たい声は夢だったのかと思うほど、彼の眼差しも、口調も別人のようだった。
「人を訪ねに行こうとしてたんです」
ジェーンは呟いた。
『そうか、でもサウス地区は危ないから、もう帰るんだよね? 君はシルバーアイズにも、僕にも会わなかった……』
ハンスはジェーンの目をジッと見て微笑むと、サッと身を翻らせ去ってしまった。
「あれ? 私何してたんだっけ?」
ジェーンは自分で自分の出した声にビックリしてしまった。
そうだ、家に帰ろう。雨も降りそうだし、サウス地区はやっぱりなんだかおっかないし……ジェーンは急いで家への道を戻った。
「それで結局マイクに会わずに帰ってきたの?」
「うん。なんだか自分が場違いな気がして。私達って、本当に恵まれてるんだね。サウス地区に行って実感した……」
ジェーンは電話越しにため息を漏らした。
「まあ、でも無事で良かった。凄い胸騒ぎがして、心配してたんだ」
「えーリアは心配性なんだから、大丈夫よ! スプレーも持ってたし」
ジェーンはそう言うと、無意識にポケットに手を入れた。
「あれ、」
「何、どうしたの? 大丈夫?」
急に大きな声を出したジェーンに、リアは心配そうな声を上げた。
「スプレー無くしちゃったみたい。学校出る時はちゃんとポケットに入れた筈なのに」
「もう、何よ、ビックリさせないでよ。鞄にでも入ってるんじゃないの?」
「えー、でも絶対にポケットに入れてたのに……」
「はい、はい、まあ、使わずに済んで良かったじゃない。使おうとしても、ポケットに無ければしょうがないけど」
リアはくすくす笑うと、「あ、ママが呼んでる、ごめん、また来週学校でね!」と電話を一方的に切った。ジェーンは、受話器を置くと、鞄の中を見た。スプレーは入ってなかった。どこかで落としてしまったのだろうか?
ジェーンは扉の影から一部始終を見ていた少年が、ジェーンのスプレーを拾い上げた事を知らなかった。




