Ch12
「おはよう」
ガラガラ声のマイクがジェーンに笑いかけた。
「凄い声! 大丈夫?」
「うん。まだ声はかれてるけど、もう大丈夫」
あまりにひどい声に圧倒され、ジェーンは気負う事もなくマイクと話す事ができた。
「そう、良かった。暫く学校に来なかったから、心配してたんだ……」
「ありがとう」
聞きたい事が沢山あった筈なのに、何を聞いたら良いのか判らない。でもこんな風に普通に会話が出来ればそれはそれでいい気もする。ジェーン達はお互いに見つめあうとニコニコと笑いあった
「これ、ありがとう。凄く面白かった」
マイクはこの前借りていった本をジェーンに手渡した。
「もう全部読んだの?」
「風邪引いて寝込んでた間、暇で……」
「え~!学校休んで、ずーッと本読んでたの! 心配してたのに!」
「ごめん、ごめん、でも本当に風邪引いてたんだ。この声で判るだろ?」
マイクはわざとらしくゴホゴホと咳をしてみせた。
ジェーンはマイクを軽く睨むふりをしてみせてから、「また、本借りに来る?」
と軽い調子で、聞いてみた。マイクは一瞬考える様な顔をしたが、
「ああ」と笑顔で頷いた。
「そうだ、来週の火曜日、ママの誕生日なんだけど、夜ご飯食べにこない? 別に、誕生日だからって特別な事は何もしないんだけど……」
ジェーンは勢いに任せてマイクを誘ってみた。
「俺が行ってもいいのかな?」
「もちろん! マイクが来たら、ママも喜ぶと思う」
「そっか、じゃあお邪魔しようかな……」
マイクはジェーンの表情を伺いながら、控えめに答えた。
「是非来て! 約束だよ」
ジェーンはマイクの小指に無理やり自分の小指を絡めると、マイクの瞳をジッと見つめた。マイクは照れたように笑うと、
「じゃあ、また後で」と1時間目のクラスへと向かった。
ジェーンはマイクと普通に話せた事がとても嬉しかった。この調子で、仲良くできたら、きっと母も喜ぶだろう。
(そうだ、誕生日プレゼントを考えないと)授業中に、ジェーンは母へのプレゼントをあれこれ考えていた。今年は初めて3人で祝う誕生日、ジェーンは何か特別な物をプレゼントしたかった。
(フォトフレームはどうだろう? 誕生日の日に3人で写真を撮って、それを入れるフォトフレーム)ジェーンは自分のアイデアに満足した様に微笑んだ。居間の雰囲気に合わせて、アンティークのフレームにしよう。
ジェーンは学校が終わるとすぐに、ミッドタウン北西部にあるアンティークショップへ向かった。前からずーっと気になってはいたのだが、一度も入った事が無いそのアンティークショップには特別なフォトフレームがありそうな気がした。
ジェーンは店の中に入ると、所狭しと並べられた骨董品にぶつからない様、鞄を前に抱えて、慎重に店の奥へと進んだ。薄暗い店内には、陶器のお人形や古い絵画、シルバーのボタンや勲章、時計にお皿、ありとあらゆる物が並んでいた。ジェーンはキョロキョロとフォトフレームが無いか、辺りを見回した。
「いらっしゃい」
その時奥からお店の骨董品にはそぐわない若い張りのある声が聞こえた。振り向いたジェーンの前に、プラチナブロンドの髪に、美しい銀色の瞳……モールで見た美しい青年が佇んでいた。
「あ! この前会いましたよね?」
言葉を発した瞬間に彼の瞳が一瞬ギラッと光った。
「あの、1週間ぐらい前に、ミッドタウンモールで……」
ジェーンは何でも口に出してしまう自分を呪いながら消え入りそうな声で呟いた。
「ああ、口紅の女の子だよね。初めての口紅って感じが凄く可愛かった」
さっきとは打って変った優しい表情で青年が答えた。
あんな一瞬だったのに、覚えていくれた! 可愛いと言われたジェーンは顔に血が昇るのを感じてうつむいた。
その時だった、彼の良く磨かれた黒い革靴を見た瞬間に、デジャブのような感覚がこみ上げてきた。恐る恐る顔を上げ、彼の銀色の瞳を覗き込んだジェーンは、大柄なシルバーアイズのギラギラ光った目や、霧のように消えてしまったシルバーアイズ、そして彼の冷たい眼差しをフラッシュバックで思い出した。
ジェーンは恐怖に引きつった顔をしたのだろう、ハンスは(確かハンス様と呼ばれていた)ジェーンをジッと見ると、
「どうしたんだい?」と微笑んだ。でも彼の銀色の瞳は笑っていなかった。
ジェーンは反射的に細い通路を一歩下がった。
「パリーン」
その時、後ろにあった棚にぶつかり、壷が床に落ちて大きな音をたてた。
「あ!!」
ジェーンはとっさに床に散った欠片を拾おうとした。
「いた!」
ハンスはジェーンの横にひざまずくと、ジェーンの手をそっと握って指を口に含んだ。
ジェーンは驚いて手を引っ込めた。
「おかしいな、思い出してしまったんだね。思い出す人はめったにいないんだけどなぁ」
ハンスは不思議な物を見るような目つきでジェーンを見つめた。
「うーん、どうしようかな……君は僕の秘密を知ってしまったからな……でも人間を殺すのは法律で禁止されているし……」
ハンスは悪戯めいた笑みを浮かべた。
「とりあえず、暫く、僕の目の付く場所に居てもらおうか、そうだな、その壷の代金の代わりに、この店で働いてもらおうかな?」
「あの、幾らですか? すぐ、弁償します」
ジェーンはあわてて鞄から財布を引っ張り出した。
「お嬢さんのお小遣いでは払えない金額だと思うよ。これ、実は結構高いんだ」
ハンスはニコリと笑うと立ち上がり、奥からほうきとちりとりを出してきてジェーンに手渡した。
「はい、今日から宜しくね」
「……」
ジェーンはハンスの銀色の瞳を絶望的な気持ちで見つめた。これから毎日このお店に通って、この、優しいのだか、恐ろしいのだか、判らないシルバーアイズの元で働く事になったのだ。
ジェーンは黙々と割れた破片を集めると、袋にまとめた。
「終わりました」
「ありがとう、そうしたら、他にやることは特に無いから、お茶でもしようか。こっちにおいで」
手招きされるがままに、ジェーンはハンスの後に続いた。店の奥の扉を開くと、そこは別世界だった。煌びやかな装飾の、どこかのお城の一室のような造りの豪華な部屋。重厚なソファーに勧められて座ると、ジェーンは辺りを見渡した。天井からは大きなシャンデリアが掛かり、壁にはハンスの大きな肖像画が掛かっている。ジェーンは骨董品屋との大きなギャップにあんぐりと口をあけて、ぼんやりしてしまった。
そんなジェーンにハンスはお茶を淹れてくれた。テーブルの上には白地の上品なティポットとカップ、小さな銀製の器には、紫色の小さなスミレの砂糖漬けが並べられていた。
紅茶からはバラの甘い香りがした。
何だか、ジェーンは自分がこの部屋にそぐわない気がして、凄く居心地が悪く、早く帰りたいと考えていた。その反面、この美しい豪華な部屋に溶け込みながらも、圧倒的な存在感を漂わせる、ハンスから目が離せずにいた。
「自己紹介がまだだったね。僕の名前はハンス・ヴァーサ・アヴ・マグヌスソン」
「私はジェーン・スペンサーです」
彼の長い由緒のありそうな名前の後に、短い自分の名前がなんだかとても貧相に思えた。といっても、祖母に言わせると、スペンサー家は由緒ある貴族の出らしいが。
「ジェーン・スペンサー」
ハンスはゆっくりとジェーンの名前を復唱した。自分の名前とは思えない様な甘やかな響きに、ジェーンはうっとりしてしまった。
『コンコン』
その時ノックの音が響いた。
「ハンス様」
「なんだい? ナディア」
「使いの者が帰ってまいりました」
ナディアと呼ばれた女性が入って来た時に、ジェーンは思わず息を止めてしまった。女のジェーンが息を飲むほど彼女は美しかった。ハンスとも、ジェーンの母とも違う美しさ。引き締まった長い手足。褐色の肌。細かいウェーブの漆黒の髪。そしてその髪に縁取られた美しい細面の顔、特に力強い眼差しが印象的だった。野生のパンサーのような、美しいしなやかで無駄の無い動き。ジェーンは暫く息をするのも忘れて彼女に見とれた。
「そうか、私の書斎に通してくれ」
ハンスの目が一瞬ギラリと光った様に見えたが、ジェーンに向き直った時には、先程と変わらぬ笑みを浮かべていた。
「ジェーン、お茶を飲み終わったら帰っていいよ。また明日同じ時間で待っているね」
ハンスはヒラヒラと優雅に手を振ると、部屋を出て行った。
ドアが閉まる直前に、ジェーンは女性がジェーンを鋭い目で睨んだ気がしたが、一瞬の出来事だったので、いまいち良く判らなかった。ジェーンは睨まれる様な事をしでかしただろうか? 自分の様な場違いな人間がこの部屋に立ち入っただけでも、十分睨まれる正当な理由な気もするが……
ジェーンはお茶に手も付けずに立ち上がると、アンティークショップに続く扉を開けた。
古い物特有の匂いが鼻をかすめた。薄暗い店内は、先程までジェーンが居た部屋と続いているとは考えられない程平凡な佇まいだった。まだぼんやりとしていたジェーンは足元に積んであった本を蹴飛ばしてしまった。
「やだ!」
ジェーンは急いで、本を手に取った。その本は美女と野獣の本だった。散らばった他の本も拾い集めると、違う表紙ではあるものの、全て美女と野獣だった。パラパラとめくってみると、美しいバラの庭園に囲まれたお城に佇む、孤独な野獣の挿絵が目に入った。
「どんな話だっけ?」ジェーンは首を傾げると、本を開いた。
その話は、美しい王子が、目で見える美しさのみに囚われ、みすぼらしい魔女をないがしろにして呪いをかけられ、醜い野獣の姿に変えられる話で、21歳の誕生日までに本物の愛を見つけないと人間の姿に戻れないというものだった。その後美しい娘と心を通わせ、人間の姿に戻りハッピーエンド、ジェーンは美しい挿絵をうっとりと眺めた。
こんなに沢山集めているぐらいだから、ハンスはこの話が好きなのだろうか? ハンスが御伽噺を読んでいる所を想像して、ジェーンはクスリと笑った。でも良く考えてみると、美しいハンスがさっきのソファーに座り、憂わしげな瞳でこの古い本をめくっている姿は悪くないかもしれない。ジェーンは変な想像をした自分に頭を振ると、本を元に戻し、店を後にした。
自分の部屋に戻り、ドサッとベットに寝転ぶと、なんだか全てが夢だった様な気がした。古いアンティークショップに続くゴージャスな部屋。美しい装飾、そして何よりも、美しいハンス……
男の人に美しいなんて、失礼な気もするが、それ以外に彼を表す言葉は見つからなかった。無条件でひれ伏したくなるような、神々しいまでの美しさ……もちろんシルバーアイズは、普通の人間より美しいが、それにはやはり個人差があり、彼の様に美しい人は早々居ない。きっと彼は、元々美しい人間だったのだろう。元が良ければ、それ以上の美しさを得られるのは当たり前の事だ。
ジェーンはぼんやりと天井を見つめると、ハンスの笑顔を思い出していた。彼は始終微笑みを絶やさなかったが、時折見せた鋭い目の光が印象に残っていた。
そして、ジェーンは昨日の出来事を思い起こした。大柄のシルバーアイズに向けた、ハンスの冷たい視線、冷たい口調。あの時も思ったが、同じ人とは思えない様な豹変ぶりだった。ジェーンは急に、寒気がして、肩を震わせた。
あの時の事は、あっという間の出来事で、しかも、さっきまで忘れていたのだから、きちんと考える暇も無かったのだが、霧のように消えてしまったシルバーアイズは、どうなってしまったのだろう? いくらシルバーアイズが瞬時に移動できるとはいえ、あの場を去ったようには思えない。だって霧のように黒いもやになって消えてしまったのだから。
(私が……殺してしまったのだろうか?) そもそも、シルバーアイズは死んだ人間なのだから、殺したと言うのは適切な表現ではないかもしれないが、彼は確かに消滅した様に見えた。
(なんであのシルバーアイズはあんなにあっけなく消滅してしまったのだろう?)ジェーンは考え込んだ。まさか唐辛子スプレーが致命傷を与えたとは考えられない。昔からバンパイアが嫌うとされているにんにくでさえも、嗅覚に優れたシルバーアイズがその匂いを嫌うだけであって、ダメージを与えられるわけでは無いのだ。
それにあの大きなシルバーアイズはハンスの事を知っていた。しかもハンスを恐れ敬っているようだった。ハンスはエクストリームズと関係しているのだろうか? そういえば初めてハンスを見たモールにもエクストリームズとレジスタンスの小競り合いがあった。
考えれば考えるほど、謎が深まる。ジェーンは大きなため息をつくと、ごろりと寝返りを打った。




