嘘つき
栄一君に会ったのは、彼のお母さんが尋ねてきてから、一週間たった日のことだった。
それまでさりげないフェードアウトを続けていたけど、とうとう栄一君がバイト先にコンビニに姿を現した。
それまでなんだかんだ言って一緒に帰れないと理由をつけていたのをかなり怒っているようだった。
「一週間だけなのに、なんか、すっごい久しぶりのような気がする」
そう言うと、私の腕を掴んだ。
「――何か、あった?」
「……ううん。何も」
「じゃあ、なんで会えないってずっと断り続けてたわけ?」
「……ちょっと、気持ちの整理付けたくて」
仕事が終わってコンビニの駐車場でそんな話をしていたら、ごみ箱の片づけに深夜シフトの男の子が店から出てきた。
ちょうどお客さんの切れ目だったから他に誰もいなかったけど、こんなところで言い争いをしていて他の人に聞かれたら嫌だったから、歩き始めた。
今日は、満月だった。
明るい月が浮かぶ夜空はいつもよりも闇が淡い。月の光がまるで縁取りみたいだった。満月のせいで、星明かりはあまり見えない。
しばらく空を見上げながら、黙って歩いた。
気まずい――。
その気まずい空気を打ち破るかのように、口を開いたのは栄一君の方だった。
「あのさ、『気持ちの整理』って、何?」
……。
その言葉が出るのは予想がついたけど、口を開いていない時と同じように、気まずい。空気なんて打ち破られていなかった。すぐに視線を外すと、俯きながら歩いた。
そこにあった石を軽く蹴ったら、側溝の方へ転がっていった。
「……」
「誰かに何か、言われた?」
そう言われて、足を止める。もしかしたら、栄一君のお母さんから何か聞いているのかもと思って、顔を上げる。目の前の栄一君はやっぱりちょっと怒ったように眉間にしわを寄せていた。
どこをどう見ても、何か聞いている顔ではなかった。
だから、覚悟を決めた。
「私たち、もう会うのやめよう……」
ぽんといきなり夜空に吐き出されたような私の声は、自分でも驚くぐらい震えていた。
いやだ。この台詞を言うときはカッコよく決めようと思ってたのに。
あれからずっと、なんて言おうか頭の中で考えていた。考えて、考えて、どんなセリフにするか悩んだ。
だって私は、一世一代の嘘をつかなきゃいけないから。
嘘をついたらいけません。
うそつきは泥棒の始まり。
それと同時に、ウソも方便って。
結局、どっちだよ? 嘘ついていいの、悪いの?
でも、つかなきゃゃいけない局面てのは人生で何度かあって。今が、その何度目か。
私が嘘を吐くときは、誰かを傷つけるとき……。
「は?」
そう尋ね返す栄一君の声は、いつもよりも低い。
「何言ってんの?」
そう続けて言うと、栄一君は私の腕を掴んだ。引いていた自転車はガードレールの方へ靠れるように倒れた。静かな住宅街に、ガシャリとガードレールと自転車がぶつかる固い音が響く。
「俺、なんかした?」
私の腕を掴んだまま、栄一君は真顔でそう聞いてきた。
黙って首を横に振って返事をすると、掴まれている私の腕に力が込められる。
「だったら! だったら、何でそんなこと突然言い出すんだよ!?」
つい先週、栄一君と映画に行った。あの時は、はしゃぐ智と、それを見て笑っている私たち。楽しかった。本当に、心の底から楽しかった。
こんな時間がずっと続くと思っていたんだから。
栄一君はいつも、私と智のことを考えてくれていた。
まだ高校生の栄一君はいつも、私のことだけじゃなくて、智のことも私の一部として大事にしてくれていた。
そんな栄一君の優しさが、本当に大好きだった――。
他に、いないよ。そんな高校生。
私みたいなのを、本当に大事にしてくれるそんな人、他にいない。
大好きなのに……。
一緒にいたいと思ってるのに。
決心が揺らぎそうだった。
「――突然じゃないの」
大きく息を吸って、気を張ってないと泣いてしまいそうだったから、そう言って勢いをつける。
別れなきゃいけない時が来るなんて、思ってもなかった……。
だから私は、彼に嘘を吐く。
「あのね、私、プロポーズされたの」
努めて明るくそう言って、栄一君の顔を見て微笑んで見せた。
わざと笑顔を作って、幸せそうなふりをする。
「その人、書店に出入りしている出版社の営業の人なんだけど、私より年上の大人の人でね。
出会いは最低だったけど、話してみたら案外いい人で、お互い子持ちのシングル同士ってこともわかってさ。
子どものこととかで、意気投合してね。
何度か、うちに来てもらったりしていたの。
子ども同士も、同じ保育園で仲が良くて。
――ほら、前会えなくなった時があったでしょ? 知り合いの子ども預かるって言った時。
あの時ね、その人の子を預かってたの。で、仕事終わってうちにその子を迎えに来たんだけど。
その時、プロポーズされたの。
智の為にも、父親がいた方がいいんじゃないかって」
見つめていた栄一君の瞼が一瞬震えた。
私はわざと、それに気がつかないふりをする。あくまでも笑顔を作って話を続けた。
「彼は、私を守りたいって言ってくれて。私と子どもを守りたいって。
そのためには家庭的な安らぎが必要で、私は経済的な安定を手に入れられる。
それが、普通の幸せじゃないか? って」
普通の幸せってところを強調した。
それから、彼に背を向けて、追い打ちをかけるように話し続けた。
「そうだよね。それが普通なんだよね。
お父さんがいて、お母さんがいて、子どもがいて。彼となら、そんな普通の幸せが手に入る。
智の為にも、私の為にも、その方がいいんだって思えたの。
――だから、もう会えない」
背中を向けているから、栄一君がどんな顔をしているのかわからない。でも、見なくてよかった。
純粋にショックを受けているかもしれない。
バカにするなって怒っているかもしれない。
どんな顔をしていても、私は後ろめたくてその顔を見るのは辛い。
「なんだよ、それ……」
唸るように、ぽつりと漏れた言葉が聞こえる。
「なんだよ、それ! そんなの、俺じゃダメなのかよ!?
俺だって、考えてたよ。瑞希さんの人生も、智の人生も!
俺はずっと、瑞希さんと一緒にいたいと思ったんだ。
今はまだ学生だけど、高校卒業したら、俺、働ける。そしたら、瑞希さんのこと支えてやれる。
そいつほど頼りにはならないかもしれないけど、俺だって、何とかしてやりたいと思ってるよ!」
そう言われて、肩を掴まれた。そして強引に引き寄せられて背後からすっぽりと腕に抱かれた。
「ねえ、俺じゃダメなのかよ……」
その言葉に、涙が出た。




