重荷
今まで智を産んだことを後悔したことはなかった。
智はかわいかったし、私が産みたくて産んだんだ。
高卒のシングルマザーの私が就ける仕事なんて限られていたし、今のバイトがあるだけでもありがたい。
両親は子育てに協力してくれるし、恵まれていた。
だから、後悔することなんてなかった。
――だけど。
「私と智のせいで栄一君の人生を変えてしまうかもしれないなんて、つき合わない方がよかったのかな?
好きにならない方がよかったのかな?
智がいなかったら、私、彼と普通に付き合って、今頃笑ってたよね!!
その方が、幸せだったのかな!?」
言葉にしたら、胸の奥がドロドロと黒い塊になったように、どんどん毒を吐き出していた。
夜の公園で、泣きながら携帯に向かって話している私の姿を見て、近づいてくる足音の主がぎょっとしているのが見えて、顔を背ける。
鈴木さんは黙って私が毒を吐き終るのを待ってから、ゆっくりと一言言った。
「君は、智君がいない方がよかったと、思ったのか?
そうじゃないよな?」
怒るでもなく、叱るでもなく、淡々とした口調でそう問いかけられた。
「俺はね、カミさんが出て行って、千冬と残されて正直大変だった。何で一緒に出て行かなかったんだって、何度も思ったよ。
言う事は聞かない、すぐに泣く、何を食わせればいいのかわからない。育児なんてどうすりゃいいんだ? 家事なんて、何すりゃいいんだ?
――ってな、本当に大変だった。
だが、千冬がいてくれたから何とかなったところもある。俺のことだ。千冬がいなかったらさっさと他の女のところに転がり込んでいただろうな。
カミさんの悪口言って、あっちが悪いってことしか考えなかった。
千冬はさ、まだいなくなった母親のことが好きだから、あいつの前じゃカミさんの悪口は言えない。千冬がいるから他の女のところに行くわけにもいかない。
そうしていろいろやっているうちに、カミさんの苦労がだんだんわかったんだよ。
初めは金を稼いでくる旦那がいて、何が不満なんだって悪態ついてた。いい家住んで、ちゃんと給料渡して、何が不満だってね。
だけど、千冬と暮らしみて、カミさんは夫がいたって一人だったんだなと、改めてわかったんだ。
家にいるだけで何もしない夫。しかも何か聞いても、『母親は君だろ』って返ってきていたら、何も聞けない、頼れるわけもない。
それなのに、家事がおろそかになると嫌味も言うしな。やってられなかっただろうなと、今ならわかるんだ。
これは千冬と二人になって初めて分かったことだ。
千冬がいてくれたからこそ、分かったことだ。
そうしたら、千冬の存在が俺にとってとても必要で大事なものだと思えたんだ。
君にとっても、智君はそうだろう?
智君がいるからこそ、手に入れた幸せがいっぱいあるはずだ。それを捨ててまで、その彼氏と付き合いたいと思うのか?
俺が断言するよ。智君がいない人生なんて、君にとって考えられるわけないだろう?
大丈夫だ。君にとっては、智君と生きていくのが一番の幸せだ」
鈴木さんはゆっくりと私を諭すように言った。まるで小さな子をあやすように、泣きやむ魔法をかけるように、優しく呟く。
「男はね、いくつでも好きな人に対しては頼ってもらいたいものなんだ。
だから、その高校生の彼氏も、君に何かしてあげたかったんだろう?」
それは、わかる。
栄一君にしたら、少しでも私が楽になるように、私を支えたいと思ったんだろう。
「若いうちは、どうしても独りよがりになるからな。自分がいいと思ったことを、抑えられないんだ」
電話の向こうで鈴木さんが少し笑っている。
「いいじゃないか。君のことを一生懸命考えている。
若いうちは暴走するもんだ。相手を思いやるのもまだまだ難しい年頃だ」
「そうやってひとつづつ覚えていくんだよ。だから、君が気に病むことはない。――だけどね」
一息おいて、鈴木さんは続けた。
「お互いが負担になるならやめた方がいい。
君は彼氏の将来にとって、自分たちの存在が重荷になると考えている。
彼は彼で、君たちのために何かしてあげたいと思うことによって、将来を棒に振ろうとしている。
確かに、好きな女性のために生きるのは、結果的には彼にとって幸せかもしれないね。
だけど、彼の可能性の一つは確かに潰れる。それは将来彼にとって重荷になるかもしれない。
君はこんなはずじゃなかったと嘆く彼氏でも受け入れられるか?」
栄一君に限って、私たちのせいとは口に出していう事はないと思う。でも、心の中でそう考えていたらそれは口に出さなくても同じことだ。
彼が夢をあきらめた時、絶対に後悔する。
私は、後悔している栄一君を見たくはない……。
「……」
言葉が出てこなかった。
結論はもう、一つしかない。
私が取れる結論はもう、たった一つだ。




