今と未来と
「今日、こうしてお尋ねしたのは、栄一のことなの」
そう切りだされて、もちろんそうだろうと思いながらも、軽く頷いて見せる。
「結論から言うとね、うちの息子と別れてほしいの」
店に栄一君のお母さんが姿を見せた時から、察しはついていた。栄一君にはもちろん内緒で来たのだろう。察しはついていたけれど、いざ目の前で言われると返答に困ってしまい、ええだかいいえだかよくわからない唸り声のようなものを上げてしまっていた。
栄一君のお母さんはきゅっと拳を軽く握ると私に向き直る。
「あなたとのおつきあい自体がいけないとは、思ってないの――」
ぽつりとそう呟くと、考えあぐねたように視線を宙に浮かせながら、言葉を選んでいるようだった。
「――ただね、あなた、瑞希さんにはお子さんが――栄一の妹の美羽と変わらない歳のお子さんがいるのよね?」
「ええ。います」
私の返答に、栄一君のお母さんも軽く頷き返した。
「栄一はまだ高校生なの」
栄一君のお母さんが持っているコーヒーカップが揺れていた。一言言葉にしたらそれを弾みにして、栄一君のお母さんは意を決したように矢継ぎ早に話し出した。
「あの子ね、進路を変えるって言い出したの。
栄一には、幼いころからずっと変わらない夢があって、高校も大学進学に有利なように今の学校を選んだの。私たちは当然、あの子が希望していた進路に進むと思っていたのよ」
そう言うと、少し言葉を切ってまっすぐにこちらを見つめ直す。
「それがね、突然バイトしても勉強に差し障りのない学科を探し始めたの。それまで希望していた学科とはまるで違う、何ランクも下げた学校。
もしも、あの子がそれまでの夢よりももっと他にやりたいことがあったということなら、私たちも納得はできるのよ。
だから、私と主人であの子と何度も話し合ったの。大学に行くのなら、きちんと勉強をするのが第一条件で、バイトはあくまでもおこずかいを稼ぐ程度にしなさい。バイトをすることに重きを置くのなら、学校に通わせることはできない。遊びで大学に行かせるわけじゃないって、お父さんが説得したの。
あの子は、学校に行くことも大切だけど、それ以上に大切にしたいことがあるからって言ってね。それだけは譲らないのよ。それが何か、あの子は口に出すことはなかったんだけど……」
人の出入りの激しいコーヒーショップでは、他人の賑やかな話し声や、隣のサラリーマンがコーヒーカップを置く陶器のぶつかる音が話の合間に、妙に耳についた。隣の音がうるさくて、お母さんの話は理解できませんでしたよ――。そう言って立ち上がりたいほどだった。
この間、将来は航空技師になりたいと言っていた。
聞いたときは、将来の夢だから――と励ましたじゃないか。なれるといいね、なんて簡単に口にしていた。
それを――。
「この間、栄一とあなたとあなたのお子さんが一緒にいるのを見て、確信したのよ。栄一が進路を変えたいと言っているのは、あなたの為なのねって」
あの時、お母さんは訝しそうに私たちを見ていた。それも、無理もない。栄一君のお母さんは、私のせいだと思っている。
「私……そんなこと一言も言ってないのに……」
私のせい?
私に智がいるから、栄一君はそれを助けたいというの? 自分の将来を棒に振って? お金を稼いで? なりたいものをあきらめてまで?
「……そうかもしれないけれど、それでもあの子が考えを変えた原因があなたなのなら、私はやっぱり栄一の言っていることに納得はできないし、あなた達のお付き合いには賛成できないのよ」
栄一君のお母さんにすっぱりといわれ、はっと顔を上げた。
「……あなたにもお子さんがいるのなら、少し母親の気持ちも分かってもらえるかしら? 母親としては、あの子自身が選んだ人ならお付き合いに反対するつもりはなかったの。
口出しするつもりもなかったわ。だけどね、あの子の将来を思うと……やっぱりあとで後悔してほしくないと思うのよ、親としてね」
親としてね、というところに力が込められていた。親だから子どもの心配をして何が悪い。そう、何も悪くない。
私だって智が将来、私の想像もつかないような子を連れてきたら、その子のためにそれまでのすべてをなげうつと言い出したら、ちょっと待って。よく考えて、と言ってしまう。
栄一君のお母さんの話には、正直ショックだった。
ショックだったけど、妙に冷静な自分がどこかにいる。
はじめっから、どこかちぐはぐな私たち。
お母さんになんて返事をしたのか、さっぱりわからなかった。はい、だかなんだか、適当な相槌を打っていたような気がする。
「わかっていただけるかしら?」
そう念を押されても、ただ黙ってコーヒーグラスを見つめるしかできなかった。栄一君のお母さんの軽いため息のような息を吐く音が聞こえて、のろのろと顔を上げる。お母さんは固い笑顔を作って、「ごめんなさいね」と小さく謝った。
「お話は、それだけなの」
そう言うと、栄一君のお母さんは自分の腕時計を見て立ち上がった。私の方に何か一言二言声をかけて、どうしようかためらいながらも外に出て行った。その後ろ姿をぼうっと見つめながら、思い浮かべていたのは栄一君のことだった。
そのまま座っていた椅子に、力が抜けたように座り込むと、机に頬杖をついて俯いた。
栄一君は、航空技師になりたいと言っていた。そのために着々と準備をしてきたんだ。ご両親も栄一君の夢を応援して。
――それに割り込んで、子どものことで栄一君にたかって、夢をあきらめさせようとしている女――それが私だ。
愕然とした。
栄一君の両親からしたら、とんでもない年上女だろう。
子どもがいても、年上でも、お互い好き合っていれば何とかなると思っていた。
好きだけじゃどうにもならない現実問題は、目の前にいともたやすく転がっていたのに、見ないふり、気がついていない振りをしてきた。
彼が今、私のせいで将来の夢を捨てたりしたのなら、彼はきっと将来後悔する。
私は将来、彼にとっての負い目となるんだ。
突然目の前の世界がモノクロになったような、衝撃だった。
私の存在は、栄一君の世界を変えてしまうかもしれないことに、今、気がついた……。




