家族
土曜日、映画のはじまる一時間前に駅で待ち合わせをした。
智は大はしゃぎで、待ち合わせ場所まで20分で着くのに、1時間前から準備を終えて、玄関の前で「まだー?」と声を挙げていた。
まだ早いよと言っても気にもせずに、お気に入りのリュックをしょってしっかり靴も履いている。
仕方ないので、約束の時間よりも早く家を出ることにした。30分ほど待つのは覚悟しなきゃいけないだろうなと思いながら。
約束の時間の40分前に駅に着き、10分早く来た栄一君を30分待った。
「遅ーい!」
と智はむくれていたから、栄一君は「え? 俺、時間間違えた?」と焦っていた。
「ううん。智、はしゃぎすぎちゃって1時間前から準備して家でたの」
「え? じゃあ、30分以上待ったんじゃないの!?」
「あー、大丈夫。慣れてるから」
子どもというのは、だいたいこんなものだ。保育園に行くのはぐずぐずとぎりぎりまで支度が終わらないのに、遊びに行くときだけは勢い勇んで張り切っている。
並んで歩く私と栄一君の前を小走りで進んで、「行くよー!」と智は声を挙げていた。
どうやら映画を相当楽しみにしていたらしい。
電車に乗って3駅先の駅にある映画館に着くと、定番の飲み物とポップコーンを買い込んで、指定された座席に着いた。辺りは同じような親子連ればかりで、みんなおんなじように映画館で配布される「カメンガメレオン」のカメレオンのお面を額に付けていた。もちろん智も同じように「つけてー!」とねだって、着けさせられた。映画館でたら、外そうね、それ。
映画は1時間30分くらいで終わり、智は終わってもしばらく興奮していた。カメンガメレオンになりきって、主人公の真似をして顔を手で覆うニヒルなポーズを作ってみては、辺りにある電柱だの、ポールだのを悪役に見立てて「えい!」と戦いごっこをしている。
智は相変わらず、カメンガメレオンのお面を外さない。けど、もう諦めた。
私たちはハンバーガーショップで簡単にお昼を済ませると、近くにある大きな公園へ向かった。有料ゾーンには足を踏み入れずに、手前の無料の広場で追いかけっこをしたり、のんびり座ったりしていた。智は遊具も何もないその広場で走り回るだけでも十分だったようで、売店でボールを買ってあげると大はしゃぎで追いかけていた。
栄一君と智がしばらくボールを追いかけているのを、近くのベンチに腰かけて眺めていた。
楽しそうに遊んでいるその姿を見て、このままでいいんじゃないかと、思えた。
栄一君は私だけではなく、智も大事にしてくれる。
今はそれで、十分なんじゃないかな。
しばらく二人が遊んでいる姿を眺めていた。
時折栄一君がこっちを見て、笑いながら手を振る。智も「ママー!」と言いながら手を振ってくる。
それはとても幸せな光景だった。
だから、今はこれで幸せだった。
※ ※ ※ ※
公園でしばらく遊んでから、私たちは家に帰った。
電車に乗って、駅で降りて改札を抜ける。栄一君が送ってくれるというと、
「え! やったー!!」
と智ははしゃいでいた。
「晩御飯食べていく?」
そう聞くと、栄一君が「いいの?」と聞いた。
「いいよ。あ、でも材料ないから買い物していかないと。何か食べたいものある?」
「あー。じゃあ、俺、カレー」
「カレー?」
「そう。カレーって、その家の味が出るっていうじゃん? うちはオーソドックスなルーで作るカレーなんだけど、シンペイんちはすげーんだよ。かあちゃん超気合入ってて。マジ本格派。それから、人んちのカレーってどんなのかなってちょっと気になったりするんだよね。瑞希さんはどんなカレー?」
「うちは智がいるから、甘口なんだけど……。普通にルーで作るカレーだな。あんまり料理に時間かけられないのと、やっぱり食べやすいからね」
「あ、じゃあ、うちの味と似てるかな」
栄一君が嬉しそうに笑った。
「智、カレーでいい?」
そう聞くと、「やったー!」とガッツポーズをしている。男の子って、カレー好きだよね。カレー好きの本能ってどこに刻まれてるんだろう。
カレーの材料を駅ビルの中に入っているスーパーで買い物をして帰ることにした。
入口で向かいの親子とすれ違った時だった。
「あら? 栄一?」
ぱっと声をかけられて、栄一君が振り返る。
「やっぱり、おにいちゃん!」
振り返ると、お母さんと女の子といった二人が栄一君と私たちを見ていた。
女の子が栄一君の足にぱっと駆け寄ってきてしがみついた。
「おにいちゃん!」
女の子はにこにこっと笑って、栄一君の顔を見上げている。
「あら? おともだち――かしら?」
栄一君のお母さんと思わしき人が、私の姿を見てから、智に視線を移した。
「学校の、じゃないわよね?」
私たちを見比べてから、栄一君に向き直ったお母さんの言葉に、栄一君は困ったような表情を浮かべて首の後ろに手を当てる。
「あー、うん。ちょっと」
ごまかすようにそういうと、足に抱きついている小さな女の子の頭を撫でた。
「何? 買い物?」
栄一君がお母さんに向かって言う。
「やあね。そうよ。美羽が今日はお好み焼きがいいっていうから、急きょ材料買いに来たの」
「あのね、今日は美羽が焼くんだよ。お兄ちゃんも一緒にやってくれる?」
女の子が当たり前のように栄一君と手を繋ぎ、にこにこっと笑っている。
智がぎゅっと私の手を繋いだ。
「母さん、今日は飯……」
「美羽が、たまにはお兄ちゃんとごはん食べたいんですって。休みの日ぐらい、早く帰ってきたら?」
栄一君が言いかけた時、栄一君のお母さんが笑いながらそう言って、パンと肩を叩いた。
「栄一君、今日はお母さんと妹さんと返ったら? 智につき合ってくれてありがとう。おかげで、智楽しかったみたいよ」
栄一君に笑いかけてから、お母さんの方を向いてぺこりと頭を下げた。
「すみません、栄一君をお借りして。うちの息子がすっかり栄一君とお友達になって、一緒に映画に行きたいといったものですから、付き合っていただいてしまいました」
少し早口になりながらそう言ってから、智の手をぎゅっと握り返す。
「あら? そうなの?」
栄一君のお母さんの明るい声が響く。
私はお母さんに向かってまた頭を下げた。
「智、帰ろう」
智の顔を見ると、智が一瞬悲しそうな顔をしてから、きゅっと唇をつぐんだ。それからうんと小さく頷くと、「えいいち、バイバイ」と小さく手を振った。
「では、すみません。失礼します。栄一君、今日はありがとう」
栄一君のお母さんに頭を下げて、それから栄一君にお礼を言って、急ぐように店内に入った。智は険しい顔をして黙ってついてきた。
「あ、ちょっと! 瑞希さん、待って!」
栄一君の声がしたから振り返った。慌てて追いかけてこようとする栄一君に、手を振る。そっと来ちゃだめ、と小さく首を横に振った。栄一君は、今にも追いかけてきそうな足を止めて、ぎゅっと拳を作っていた。
今日はお母さんたちと帰った方がよさそうだ。
栄一君のお母さんは、そんな私たちを見て一瞬眉を顰めていた。
誰、この人?
なんで子どものいる女の人と一緒にいるの?
栄一君のお母さんはそういいたそうな顔をしてこちらを見ていた。
それでも直接そう問わなかったのは、息子の友人に対する礼儀なのだろう。
「ねえ、ママ」
智がつないだ手にきゅっと力を込めた。
「えいいちは、あの子ともなかよしなのかな?」
小さく呟く智の言葉に、胸が締め付けられた。
栄一君はきっと、あの美羽ちゃんという妹にも優しいのだろう。美羽ちゃんがいたから、智とも違和感なく遊んでくれていたのだろう。
智にとって栄一君は、特別な存在だった。お母さんとも、保育園の先生とも違う、初めて仲良くしてくれた大人だった。でも、栄一君の方は智は特別じゃない。自分だけが栄一君の特別な存在じゃないことに、気が付いてしまったんだ。
「そうだね。あの子はね、栄一君の妹なんだって。智の一つ年上だね」
智の気持ちに気が付かないふりをして何気ない風を装って話す。智は、そっか、と短く呟いて繋いだ手をそっと離した。
「どうした?」
智は首を横に振る。
「ぼくもいもうととかおとうととかほしいな。あのね、ほいくえんのね、まことくんとみちるちゃんはきょうだいなんだって。まことくんはね、みちるちゃんとなかよしなんだよ。ぼくもいっしょにあそべるおとうととかいたらいいのにっておもうの」
保育園にいる同じクラスのまこと君は二つ年下のみちるちゃんと仲よしだ。ケンカをしても、みちるちゃんが一人で遊んでいると、いつの間にか側にいて一緒に相手をしてあげている。
「えいいちも、なかよしなのかな?」
まこと君とみちるちゃんの間には誰も入れないくらい仲良しなのを、智は知っている。兄妹というものが、あんな風に仲良しだからこそ、栄一君に妹がいたら自分は入れないと思っているのだろう。そんなふうにこらえている智が少しかわいそうだった。
「智には、妹も弟も作ってあげられないんだ。ごめんね」
困ったように耳の後ろを欠くと、智は首を横に振った。
「ん。さとるにはママがいるから……がまんする」
きゅっと口を結んだ智は、前を向いて歩いていた。
その夜、栄一君からは謝りのメールがきた。
一緒に晩御飯を食べられなかったこと。きちんと親に紹介できなかったこと。本当はちゃんとご両親に紹介したいと思っていたけど、なんて言えばいいのか考えあぐねていたらしい。それで、偶然出会ってしまってテンパってしまった――と書かれていた。
謝られても、どうしようもない。
だから、なんて返事を送ればいいのかわからなかった。ただ、智の寂しそうな横顔が頭から離れなくて、栄一君のせいじゃないのに、どうしていいかわからなかった。
返事はたった一言「謝ることじゃないから、気にしないで」としか、返信できなかった。




