二人の未来
「なにソレ!? プロポーズ? やるね、鈴木氏」
お弁当を食べながら、伊藤ちゃんが言う。
本屋のスタッフルームと言えば聞こえがいいけど、狭い本屋なので本に埋もれた倉庫の片隅のようなところで食事をとっている私たちは久しぶりに二人揃っての休憩だった。
ぼけっとしている私を捕まえて、伊藤ちゃんが「何かあったの?」と興味津々の様子で近づいてきた。で、話をしたら、伊藤ちゃんの目が丸くなった。
「はあー、まったく世の中って不公平よねー。×……は付いてないか、子持ち女がモテるとはね。若いっていいわねー」
「伊藤さん? あなたと私は、たった3つほどしか変わらないけど?」
白けて返すと、伊藤ちゃんは持っていたフォークを目の前に掲げながら、「その三つが大きいんじゃないの!?」と力説した。
えーっと、なんか、すいません――。
「――でもさ、いいんじゃないの? いい物件だよね、鈴木氏。自分で言ってたとおり」
伊藤ちゃんが椅子に座り直して呟いた。
「営業で来たの知ってるけどさ、確かにいい男だったし。仕事は出来そうだよね。なんてったって天下のK出版でしょ? 30代前半で課長でしょ? 正に出世コースじゃないの」
そこまで言うと、持っていたフォークを置いて、バンと机を叩いた。
「稼ぎもいい、顔もいい。お互い子持ち同士で苦労も分かってる。いい話じゃないの――?」
なんで食いつかないの!? とでも言いたげな伊藤ちゃんの様子に一瞬たじろいでしまう。いや、まさにね、そうなんだけど。でも、それだけでっていうのはあまりにも打算的過ぎる気がするんだけど……。
「うーん、まあ、条件だけ見るとね。だけど……」
「栄一?」
間髪入れずに伊藤ちゃんに言われて、食べていたパンを持ったまま頷いた。
すると伊藤ちゃんはため息を一つ、吐いた。それもかなりデカい。
「あのさあ、悪いこと言わないよ。栄一とは別れなよ」
はっきりズバッと言われた。
「あのね、栄一はまだ高校生だよ? 横見りゃ女子高生が余るほどいるんだよ? 同級生の女の子でも、後輩でもさ。『センパーイ』なんて、スカートひらひらさせて近づいてくる16歳がいたらさ、そりゃ栄一だってグッとくるんじゃないの? 何が悲しくて、年上子持ち女と付き合わなきゃならんのだよ? 彼は」
フォークを振り振りしながら、淡々と話す伊藤ちゃんに悪意はないとわかっているけど、言葉に詰まってしまう。
「あいつはさー、正直、あんたに振られたって次がわんさか出てくるよ。モテないはずないもん。年上女に振られた傷は、可愛い女子高生が癒してくれるから心配しなさんな。いや、もしかしたら失恋したのをばねに大学受験に奮闘して、いい大学入ってから初々しい女子大生と付き合うんじゃない? いいねー、サークルとかでさ、新しい出会いとかねー」
言葉に詰まったまま何も返せなかった。確かにさ、伊藤ちゃんの言うとおりだよ。若い方がいいんじゃないの? って確かに思う。つうか自分だったらって思うと……きつい。
好きな相手が子持ち。しかもこんな底辺労働者みたいなね。きれいなお姉さんじゃないし、全然。化粧もできない、流行の服も買えない、子どもがいたらネイルの一本もできやしない。智がいることを恥ずかしいことだとは思わないけど、智がいることにかまけて何もしてない自分はやっぱり、恥ずかしい。
「……そうだよね」
今までだってずっと我慢させてた。智のこととか、仕事のこととか、ゴメンで済ませてすっぽかしたことだってある。栄一君は仕方ないよっていつも笑ってたけど、嫌な気にならないはずがない。もしももっと年の近い子だったら、そんな思いさせずに済んでたのに。
なのに、いつも栄一君が待っててくれることに甘えてた。
「それにさ……。栄一だってさ、今は高校生で近い年の子ばっかりしかいないから、少し年上のお姉さんにあこがれてたかもしれないけど、大学に入ったらさ、瑞希と同じ年でもっと生活臭のしないお嬢さんみたいな年上のお姉さんがたくさんいるんだよ? その時、栄一が心変わりしないとは限らないんだよ? それで、また一人――智と二人か。に戻ったら、瑞希どうすんの? その時には、鈴木さんも他の人捕まえてるかもしれないよ? 今時さ、バツイチ再婚なんて珍しくないんだし」
確かにね、栄一君よりも鈴木さんの方が次を見つけるのは早い気がするよ……、確かにね。
「今はまだ、単に楽しい男女交際で済ましてるけどさ、あんたたち。栄一が大学に行ってる間の4年、待ってられるの? 四年後、あんたは27になっても今とおんなじような生活してるの? 四年って言ったら、智は小学校に入ってるんだよ?」
小学生の母親がシングルマザーで、そのお母さん大学生の男と付き合ってるって、どんだけ……って感じだよ。
伊藤ちゃんの言葉に、涙が出てきた。
「ちょ、瑞希?」
伊藤ちゃんが慌ててる。それでも首を横に振る私を見て、今度は小さくため息を吐いた。
「ごめ、伊藤ちゃん……」
「別にね、あんたに意地悪してるわけじゃないんだけどね……」
「分かってる。わかってるんだけど……ちょっと伊藤ちゃんが言うシチュエーションを想像したら、悲しくなっただけ……」
伊藤ちゃんは間違ったこと言ってない。
「私はさ、瑞希には幸せになってほしいのよ。正直に言えばね、鈴木氏の方がやっぱりあんたを幸せにできると思うのよ。いろんな面でね。そりゃさ、栄一と別れるのは辛いと思うよ。だけどさ、それでもいろんなことを考えたら、分かれて辛いのは今だけなんじゃないかって思えんの」
お弁当箱をしまいながら、伊藤ちゃんが淡々と言う。
「うん……本当はさ、分かってるんだ」
ぽつりとつぶやく。
「瑞希……」
「まだ高校生の彼氏とさ、自分の人生がどこをどうやったって交わるはずなんてないってことぐらいさ」
これから自分のなりたいものを見つけて、その夢をかなえる栄一君のお荷物になるのは分かっている。
「だけどさ、だからじゃあこっちの安心安全物件にします――なんて、コロッと変えるのは栄一君にとっても鈴木さんにとっても、失礼な話じゃない?」
「最低限、鈴木氏のことを嫌いってことはないんだ。栄一に振られたら、鈴木氏に縋っちゃおうかなくらいの気持ちは、あるわけ?」
そう聞かれて、言葉を詰まらせた。
……栄一君に振られたら――。
ああそうか。そんなこと、今まで考えたことなかった。だけど、付き合っている以上いつか来る別れを、私が切りだすとは限らないんだ……。
そう思うと、急に胸が締め付けられた。さっき伊藤ちゃんが言った言葉を反芻する。彼の回りにはたくさんの同じ年の女の子がいて……。そうだ。栄一君だっていつ心変わりするかなんてわからないのに……。
「……そんなこと、考えたことなかった」
「一度、考えてみたら? 鈴木氏のこと真剣に。それからでも、遅くないんじゃない?」
伊藤ちゃんに言われて、私は空っぽの頭で小さく頷いていた。




