意外な素顔
出版社の人と企画したフェアは成功し、前年度よりも児童書コーナーの売り上げが上がり、店長は大喜びをしていた。あれからお店では鈴木さんとは会っていない。あの日は本当にピンチヒッターだったらしく、営業さんも次からは元の人に戻っていた。けど、いつものフェアよりもノベルティが充実していたのはどうやら鈴木さんのおかげらしかった。
「南里さんて、うちの課長と知り合いなんですか?」
フェアが終わって、あいさつに来た田辺さんに突然そう言われて、驚いた。
「子どものつながりで」
「え!? 南里さん、子どもいるんですか?」
田辺さんはあからさまにびっくりして、目をまん丸くして私を見た。しばらく人のことをまじまじと見ていたけど、はっと我に返って「ああ!」と言った。
「鈴木さんて、確か最寄駅ってこの辺でしたね。南里さんも、近所なんですか?」
思い出したように、田辺さんがぽんと手を叩いた。僕はもっと都心よりなんですよ。この変だとちょっと都心に出るのに不便ですよねー、なんて言っている。そうですねー、なんて簡単に相槌を返していたら、田辺さんがそう言えば、と話を元に戻した。
「いや、うちの課長いつもはもっと企画にうるさいんですけど、今回は妙にすんなり通して、作家さんにもフェアのためにサインもらうのに、課長自ら声をかけたりしてね。普段、そんなことしないんですよ。あの人、顔が広いんでいろんな作家さんとお知り合いなんですけど、課長自らフェアのためにサインとかもらってくるのを初めて見たもんでちょっと意外でした。どうしてそこまで熱心なんですか? って聞いたら、書店の人が個人的な知り合いだったっていうから、鈴木さんが仕事に私情挟むなんて珍しいなって、営業部で噂になってるんですよ」
田辺さんは良くも悪くも、営業さんって言った感じの人だ。あんまり特徴がなく、腰の低い話し好きなタイプ。いい人なんだけど―。っていう言葉がぴったり合いそうな、人のよさそうな人。悪い人じゃないんだけど、おしゃべりなんだよね。
で、鈴木さんが今回のフェアでかなり融通してくれたことを知った。だからK出版で出されている本の作者さんのサインだとか、イラストレーターさんの色紙だとかいっぱい持ってきてくれたのか。鈴木さんが掛け合ってくれてたなんて、少し意外だった。
「あー、でも、南里さんだったらわかるなー。ちょっと頑張っちゃう気持ち」
へへへ、と頭を掻きながら田辺さんが言う。
「鈴木さんの奥さん、前に一度拝見しましたけど、南里さんに似てるんですよー」
ちょっと得意げにそう告げる田辺さんは、にこにこと笑顔を浮かべている。それを私に告げて、どうしようというのだろう。
――それでか。それで鈴木さん、妙に人に絡んでくるんだ。
「あ、鈴木さんの奥さんの方がもっと年が上で、綺麗系ですけどね」
田辺さんが付け加える。
どうせ、私は童顔です。ほっといてください……。
仕事が終わって、保育園に迎えに行くと、ちょうど千冬ちゃんをお迎えに来ている鈴木さんと顔を合わせた。
「あれ? 鈴木さん?」
声をかけると、鈴木さんが振り返った。
「珍しいですね、こんな早い時間に」
「今日はたまたま、仕事が定時に終わってね。珍しいよ、5時に退社できるなんて」
ははっと笑う。
「笑い事じゃないですよ、いつもそうしてください」
奥で呆れ声を出しているのは、麻子先生だった。ごもっともです。もっと言ってやった方がいいですよ、先生。千冬ちゃんが「パパ!」と嬉しそうに駆けてくる。その後ろには、智もいた。
「ほら、二人とも走っちゃだめだよ」
麻子先生が二人にメっと怖い顔をしてみせると、二人とも少しだけ項垂れていた。
「せんせー、さよーならー」
靴を履き終った子ども達が二人でちょうどハモるように言うと、すぐに外に出て行こうとする。慌てて先生に軽く挨拶をすると、危ないので智の手を引いた。
「千冬、行くぞ」
鈴木さんが千冬ちゃんに声をかける。千冬ちゃんは嬉しそうに頷くと、笑顔で智とバイバイをした。この間と全然違って、千冬ちゃんは嬉しそうだ。そう言えばこの頃、千冬ちゃんの髪の毛が以前よりも整っているような気がする。もしかしたら少し、千冬ちゃんのことも気遣うようになったのかもしれない。
「そうだ、鈴木さん」
呼びかけると、鈴木さんが足を止めて振り返った。
「フェアのためのサインとか、作家さんに声をかけてくださったそうで。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、鈴木さんが目を丸くしていた。
「……田辺か」
すぐに顔がむうっと怒り顔になる。
「あいつ、余計なことを言いやがって……」
完全苦虫を潰したような顔になっていた。
「鈴木さんて、嫌味な人で二重人格で、結構やな奴かと思ってたんですけど、意外といい人だったんですね」
「……君、かなり失礼なことを言っていると思うんだけど? まあ、いい人っていう評価は否定しないけどね。そういう評価をもらいたくて頑張った部分はあるし」
呆れ顔でこちらを見る鈴木さんは、それから軽く笑って見せた。
「うそ、うそ。鈴木さんて、自分の手柄を自慢するタイプじゃなさそうだし。冗談ですよ。ちょっと意外だったんで驚いただけです」
ふふっと笑って見せると、鈴木さんが口を覆うように手を当てた。
「ふん。褒められてるのか、けなされてるのか。君も割と言うタイプだね」
あれから何となく鈴木さんとは砕けた関係になっていた。鈴木さんも会うと気さくに声をかけてくれるし、口調も柔らかくなっている。朝はほとんど会うことはないけど、休みの日に智と遊びたいという千冬ちゃんをたまにうちまで送ってくることがあった。そんなときは千冬ちゃんをうちで預かって、鈴木さんは自宅で洗濯をしたり家事に専念しているそうだ。この頃千冬ちゃんはパパが前より優しくなったと喜んでいるらしい。
少しずつ、千冬ちゃんとの関係を鈴木さんに見直しているようで、ほっとしていた。
すると、携帯電話が鳴り、着信音を聞いて鈴木さんがコートのポケットを探った。画面を確認してから一瞬顔をしかめ、「失礼」と言って、電話に出た。
私たちから体を背けて話し込んでいた鈴木さんの声はなんて言っているのか聞き取れなかったが、怒り口調だったのは分かった。
「は!? なんだってそんなことになってるんだ!?」
そう怒鳴る鈴木さんの声が聞こえたかと思うと、鈴木さんがはっと千冬ちゃんの顔を見て、私の顔に視線を走らせた。それから電話の向こうの人と何事かをやり取りしてからしばらくして、電話を切った。
「……申し訳ない」
鈴木さんが難しい顔をして携帯を閉じると、私の顔をじっと見つめた。
「……今晩、千冬を預かってもらえないだろうか?」
いらいらとした口調でそう言う鈴木さんの顔を私も見つめる。
「パパ?」
ちょっと不安そうな顔をしている千冬ちゃんが、鈴木さんの手をぎゅっと握る。それから鈴木さんは私の返事も聞かずに千冬ちゃんに向き直った。
「千冬、すまない。お父さん、仕事が入ってしまって……。家で留守番しててくれるか?」
ため息を漏らしながら、鈴木さんが千冬ちゃんの目線に合わせてしゃがむと、肩を掴んで言い聞かせている。千冬ちゃんは、普通にうんと頷くと、「パパ、かえってくる?」と聞いた。
「うん。何時になるかわからないけど、ちゃんと帰るから……」
「じゃあ、いいよ」
千冬ちゃんの返答に、驚いてしまって声を上げた。
「ちょっと待った!」
私の声に、二人は同時に顔をこちらに向ける。そのタイミング、ほんとに親子だねなんて変なところに感心しそうになっていやいやと首を振った。
「鈴木さん! 私がムリって言ったら、千冬ちゃんを一人で留守番させる気なんですか!? しかも、何時に帰ってくるかわからないって!」
そう言うと、鈴木さんの口が少しだけ尖る。まるで怒られている子どもみたいだった。
「仕方ないだろう? 急な仕事が入ったんだ。誰もいなかったら、千冬は一人で留守番するしかないだろう?」
ほかにどうしようもないのは分かる。怒ったような口調の鈴木さんの言葉を聞いて、もしかして――そうしたくないけど、そうせざるを得ない現状に彼自身もいらついているのかもしれない、と思えた。今までの鈴木さんだったら、私にそんなことを聞く間もなく、千冬ちゃんを家に送ったらそのまま仕事に行ってしまっていただろう。罪悪感も抱かずに。
「私が見てます。智と一緒に。心配しないで行ってきてください」
ため息交じりに返事をすると、鈴木さんの目が見開かれた。
「いいのか?」
「……困ったときは頼ってくださいって言いましたよ、私。ちょうど、今日、水曜日ですし」
――あーあ、これでまた栄一君に怒られる……。なんて頭の片隅で不謹慎なことを考えていた。私が水曜日コンビニのバイトが休みだから、栄一君はこの日は予備校の授業を入れないで空けてくれている。平日、長くいられる唯一の日だった。コンビニバイトの帰りは予備校帰りに自習をして、時間を合わせてくれて送ってくれるけど、30分足らずしかないから、この水曜日は二人にとって貴重な時間だった。その日に、予定を入れましたなんて言ったら、栄一君怒るだろうな。
「すまない」
鈴木さんが小さく頭を下げた。思ったより素直にそう言う言葉に、少しびっくりした。
「智、今日は千冬ちゃんとごはん食べよっか?」
私たちより少し前で二人で遊んでいた智と千冬ちゃんに声をかけると、同時に振り返った。
「うん! たべる!」
二人は顔を見合せてうれしそうに笑った。
「――ということなんで、安心していってきてください。とりあえず、うちに連れて帰りますよ」
「助かるよ」
ぽんと肩を叩かれる。ちょっと意外だった。
「はい、行ってらっしゃい」
声をかけたら、鈴木さんはちょっと意外そうに目を瞠った。それからふっと表情を崩すと、私の肩に自分の頭を乗せた。肩にこつんと鈴木さんの額が当たった。その時鈴木さんの整髪料の匂いがして、そのふんわりとしたいい香りに少しドキッとした。
「――ありがとう」
そうつぶやいた鈴木さんの声が、嫌味も何もなく自然な感じだった。そのしぐさがあんまりにも自然だった。
こ、この人慣れてるよな……、こういうこと。
なんだかちょっと照れくさくなりながら、小さく頷くと、鈴木さんが笑顔を浮かべていた。柔らかく目尻を細める鈴木さんの顔は、とても嬉しそうだった。
「じゃあ、仕事が片付いたら家に行く。遅くなっても構わないかい? 疲れてるだろうから寝ていてくれても構わないよ。連絡入れるから」
まるで夫婦みたいな会話を交わしてから鈴木さんは「行ってきます」と言って、片手を挙げて走って駅に向かって行った。千冬ちゃんの「パパ、いってらっしゃい!」って声が聞こえてきた。鈴木さんは千冬ちゃんにも行ってきますと声をかけて、駆け足になる。
なんか、今日の鈴木さんは意外な感じだった。構えたところが無くなって、なんかこれが本当の鈴木さんなのかなって気がしていた。
――そう悪い人じゃなかったのかも……。
いやいやいや、騙されちゃだめだ。
ぶんぶんと首を横に振る。――騙された、なんて言ったら人聞きが悪いけど、素の鈴木さんにドキッとしちゃだめだ。と自分に言い聞かせた。
初対面は最悪だった。待ち伏せしたり、強引に食事に誘ったり。でも、距離がなくなるとこんなに自然な表情をするなんて意外だった。今、そのギャップに戸惑っている。




