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改札口の向こう側  作者: maruisu
第二章
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28/42

午後五時の訪問者

 昼間栄一君と図書館に行って、今日は五時前に家に戻った。

 本当に鈴木さんが来たら困るから。まさかね、と思いつつも、あの鈴木さんの強引さからすると、本当に来そうで嫌だ。栄一君には鈴木さんが来ることを知られたくなかった。余計な誤解をされたくないし。


 そしたら午後五時きっかり、インターホンが鳴って、驚いた。

 絶対に鈴木さんだと思って出てみると、案の定だった。来るとは思っていた――けど、本当に来たんだ。智が隣で「誰? 誰?」と聞いて、横でモニターを覗こうとぴょんぴょん飛び跳ねている。


「……ほんとに、来たんですか?」

 呆れた声で鈴木さんに言うと、鈴木さんは笑っていた。

「行くと言ったろう?」

 さも当たり前のようにそう言うと、隣に千冬ちゃんの頭が見えた。

「あ、ちいちゃん!」

 鈴木さんの横に並んでいる頭を見て、智が嬉しそうに反応する。その智の声が千冬ちゃんにも聞こえたようで、千冬ちゃんがにぱっと笑顔を作りながらカメラを見ていた。

「千冬も智君に会えるのを楽しみにしていたんだ。夕食ぐらい、いいだろう?」

 

 鈴木さんにそう言われて、ため息交じりに下に降りた。


「ちいちゃん!」

「さとるくん!」

 ロビーの外に出ると、子ども達は名前を呼びあい駆け寄った。同じくらいの背丈で頭が並び、何やら話していた。


「子どもは素直なもんだ」

 鈴木さんは二人の様子を見ながら、そう笑う。

「あいにく、私は大人なもので素直ではなくて申し訳ないんですけど」

「何か食べたいものある?」

 全くかみ合わない会話をお互い交わして、顔を見合わせた。鈴木さんはこの間のスーツとは違って、Gパンに体のラインが出るようなすっきりとしたTシャツを着ている。髪の毛もラフに流しているだけなので、年よりも若く見える。こうしていると、本当に休日のお父さんって感じだ。


「……おあいにく様ですけど、手ぶらなので行きません。あと、これ返します」

 うちにおいていった五千円を差し出すと、鈴木さんはははっと声を上げて笑った。

「君は本当にカタいね。まあ、それぐらいの方がいいのかな」

 うんうんと一人で納得している様子の鈴木さんに、訳が分からなくて首を傾げる。すると鈴木さんは五千円を押し返した。


「それは、千冬が世話になったお礼だから、返されても困るよ。それに、それを返されたらますます食事に連れて行かないと、こちらが申し訳ない」

「なんか、いいように言いくるめられている気がします」

「俺としては、それがあってもなくても君と食事に行きたいところなんだけどね」

 そう言うと、千冬ちゃんを目で追っている。二人は扉の前で何やら頭を突き合わせて遊んでいた。


「私は両方必要ないと思っているんですけども」

 ため息交じりに呟くと、鈴木さんが私の顔を覗き込んだ。

「子どもと二人の食事も味気ないだろ?」

「私は子どもと二人でも全然落ち着きますけど?」

 言い返すと、鈴木さんがまた声を上げて笑った。


「ほんとに君は、押しがいのある人だね」

 休日のせいか、先日とはうってかわって気さくな感じがする。

「押しがいって……」

 呆れていると、智が「ママ!」と走ってきた。


「ママ! みて!」

 ぱっと手に持っていたのは、カマキリだった。

「なかにいたの! むし!」

 智が言うと、隣に千冬ちゃんも走ってきて、

「むし!」

 と言ってニコリと笑った。

「ねえ、ちいちゃん! あっちにもいるかもよ!」

 智は千冬ちゃんと手を繋いで、ロビーの外に出た。扉の外のマンションの入り口は三段ほどの階段とスロープがついている。スロープのヘリを覗くように二人で仲良く座っていた。


「子ども同士は、仲がいいもんだ」

「お断わりするために降りてきたんです。知り合って間もない方とは食事になんていけませんから」

「知り合って間もないから、食事をして親交を深めるんじゃないのかい?」

「私は親交を深めたいとは思っていません。それに、男性と食事に行くつもりはありませんから。彼氏に悪いので」

 いくらなんでも彼氏がいるって言って断れば、それ以上言ってこないだろうと思って牽制のつもりで言った。

「へえ。彼氏いるの? それはそうと……君、誤解してない?」

 驚いた、と言わんばかりの顔をして、鈴木さんが私を見て笑う。


「誤解……ですか?」


「ああ。もしかして、俺が君のことを口説くと思ってる?」


 いたずらする子どものように意地悪気な笑みを浮かべて人の顔を見てきたから、かなりカチンときて思わず言い返してしまった。

「そんなこと思ってません! ただ、彼氏がいるのに他の人と食事なんかして、変な誤解をされたくないだけです!」


「誰に? 彼に? ばれるわけないだろう、そんなもの」

「そうかもしれないけど、気持ちの問題です」

 話せば話すほど、会話がかみ合わない。すごくいらっとして、むっとして押し黙った。


 しばらく沈黙が続いた。お互い子ども達を目で追って視線を合わせないようにしていた。二人の子供はそんなことはもちろんつゆ知らず、楽しそうにカマキリを捕まえたり放してみたり、ひっくり返したりして遊んでいる。

「……千冬ちゃん、お父さんのお迎えが遅くていつもさみしそうですよ」

 とりあえず、無言のままでいても仕方ないので、話しを振ってみた。子どものこと以外で共通の話題なんて見つからなかった。

「仕方あるまい。君も知ってのとおり、出版社の営業なんて忙しいもんだからね。周りの連中はもっと残業している。俺はね、仕事で他の連中において行かれるのは我慢ならないんだ。これでも、千冬のために我慢している方だよ」

「遅くなると、千冬ちゃんのおふろも入れられないんじゃないですか? 洗濯は? 食事はどうされてるんですか?」

 畳みかけるように問うと、鈴木さんは困ったように肩をすくめた。


「そりゃ、やってやりたいことはあるが、ままならんことも多い。俺一人じゃ、追いつかないことも多い」

「そうでしょうね」

 ため息交じりに答えた。千冬ちゃんの姿を見ていれば、その生活が余裕があるとは思えない。金銭的なことではなく、きっと食事は外食や外で買ったものばかりだろうし、洗濯も週末しかしていないのかもしれない。仕事に追われていれば、こまごましたことに手は回らないだろうし、男の人だからそんなことに気がつく余裕もないだろう。

「うちも一人だから、何でもやらなきゃいけない大変さはなんとなくだけど、分かります。でも、もう少し、千冬ちゃんを気にかけてあげてください」

「女と男は違うさ」

 吐き捨てるような言葉だった。


「千冬はこれからも俺がいないことに慣れて行かなきゃいけない。甘えさせてちゃいつまでも一人でなんてできるようにならんからね」

「三才の子が、親がいないことに慣れるわけないじゃないですか」

 そう呟いてから、胸が痛くなった。私だって智に我慢させていることがたくさんある。それなのに、私が人に説教なんてできるんだろうか。


 鈴木さんは押し黙った。

 しばらく沈黙が続いてから、ふと空を見上げた。

「そりゃね、千冬にも当たり前の生活をさせてあげたいとは思う。あれの母親がいた時は何不自由しない生活をさせてやれたんだが……」

 そっと視線を移した先は、千冬ちゃんの方だった。智と二人で遊びながら笑顔を浮かべている千冬ちゃんの姿を見て、優しそうに微笑んでいた。

 

 その優しい微笑を見たら、何も言えなかった。

 ひとり親でままならない自分に戸惑っているのはきっと鈴木さんも同じだ。


「……ごめんなさい。あの、エラそうなこと言って」

 俯いて、一言言うと鈴木さんは驚いた顔をして私を凝視した。


「突然、どうしたの?」

「……私、近所に両親が住んでて智を預けることができるから、仕事を掛け持ちして何とか生活することが出来てるんです。智と二人の生活を続けるには、両親の手助けがやっぱり必要で、きっと一人じゃ何にも出来なかったと思うんです。鈴木さんは、だれにも頼らないで千冬ちゃんを育ててますよね。生活するためには仕事をしなきゃいけない。そのためには仕事も手抜きなんてできない。やっぱり男性の仕事はシングルファザーだからって融通が利くばかりではないと思うし。そしたら、割り切らないといけないことってきっとたくさん出てくるんですよね。それがいいとは言わないですけど……」


「ほんとに突然、どうしたの?」

 鈴木さんが笑いだした。そして、私を見つめる眼差しからふとキツさが消えたような気がした。ふっと目元が優しく緩む。この人、こんな顔もできるんだ。


「手伝ってくれる方とか、いないんですか?」

「いないよ。俺の両親は遠方に住んでいるし、千冬の母親は出て行ってしまったしね。妻の……元妻か。の、親戚もほとんどいないし、近所に知り合いもいない。何しろ仕事人間だったからね、近所づきあいなんてしたことがない。あれの母親も、社交的なタイプじゃなかったからね。親しい友人も近所にはいなかっただろう」

 それは――大変だろうなと容易に想像できた。仕事ばかりの父親が突然子供と二人の生活になって、知り合いもいなかったら戸惑うことばかりだろう。保育園だってそれまで母親任せにしていたのが急に自分が送り迎えをしないといけないとなれば、分からないことがたくさんあっても無理はない。例えば着替えの確認とか、シーツの取り換えとか、細かいところを親がやらなければいけないことは結構ある。元々手伝いをよくしてくれるお父さんなら別だろうけど、鈴木さんの性格からして、絶対今まで奥さんまかせだったろうなっていうのは想像できる。


「はあ、仕方ないですね」

 わざと大仰にため息をついて見せると、鈴木さんが不思議そうな顔をした。


「私がママ友になってあげます」

 胸を張ってそう言うと、鈴木さんは一瞬目を丸くして私を見たまま、ぷっと突然吹き出した。


「ママ友?」

「そうですよ。困ったことがあれば、言って下さい。コンビニのバイトがない時なら千冬ちゃんを預かることもできます。水曜日だけになっちゃいますけど。鈴木さんの愚痴も聞きます。保育園の何気ない疑問とか、聞きたいこととか相談して下さって構いません。私も鈴木さんをパパ友だと思います。それでどうですか?」

「……どうって」

「人間一人で生きてくのは大変なんです。それは鈴木さんも身に染みてるでしょ。三人寄れば文殊の知恵っていうじゃないですか。一人足りないけど、二人なら文殊程じゃなくても知恵が出ますよ、きっと」

 笑顔で言うと、鈴木さんはまたもや驚いた顔をしている。


「……参ったな……」

 急に真顔になって鈴木さんが口元を押さえた。っと、余計なことを言ってしまったかな? と首をすくめると、鈴木さんは私の顔を見てふっとまた優しく微笑んだ。


「前言撤回。本気で君のことを口説きたくなった。――なんて言ったら、警戒されてしまうかな? まずは友達からってやつだね」

 鈴木さんの顔が今までとは全然違う、優しい顔になったからドキっとした。こんなふうにまっすぐ見られて微笑まれたら、女の人は悪い気はしないだろう。


「な、何言ってるんですか!?」

 慌てて自分の考えを否定すると、思いっきり首を横に振った。

 鈴木さんは面白そうに私を見ると、ふふっと笑う。


「いいね、その反応。今日のところは、これ以上押さないよ。嫌われたら元も子もないからね。これで帰るよ。次は友達として食事に誘うから、その時は誘いに乗ってくれよ」

 そう言うと、千冬ちゃんを呼ぶ。

「千冬、帰るぞ――」

 初めのとげとげした感じは無くなっていて、千冬ちゃんを呼ぶ声も優しい。千冬ちゃんはお父さんの声に反応して、ぱっと顔を上げて振り返った。その顔は満面の笑顔で、立ち上がって一目散にお父さんの所へ駆け寄ってきた。鈴木さんは千冬ちゃんのことを受け止めると、顔を見て微笑んでいる。

 ――どこから見ても、お父さん好きの娘と優しいパパにしか見えなかった。なんだかずっと、初めの印象で鈴木さんのことを誤解していたのかもしれない。


「さとるくんとごはんたべないの?」

 千冬ちゃんが鈴木さんの顔を見上げる。

「また今度な。今日は智君用事があるんだって」

 千冬ちゃんに言い聞かせると、鈴木さんはすぐ横に止めてあった車に乗り込んだ。千冬ちゃんもお父さんに促されて助手席に座ると自分でしっかりとチャイルドシートに座っていた。鈴木さんが手早くベルトを止める。


「ちいちゃん、かえるの?」

 さとるも駆け寄ってきて、私のスカートを掴む。

「うん。また今度だね」

 そう言うと、智が「ちいちゃん、バイバイ」と手を振った。千冬ちゃんもそれに答えるように笑顔で手を振る。鈴木さんが運転席の窓を開けた。


「また今度、連絡するよ」

 まるで当たり前のように言う。て、手慣れてるな……と呆れてしまう位だ。

「そんな彼氏っぽいせりふ言わないでください」

「早くそうなりたいけど?」

「……彼氏います」


「あはは。そうだったね。じゃ、また」

 ほんとに押し切ることもせずに、鈴木さんは帰っていった。

 去っていく車を眺めながら、なんとなくため息をつきたくなっていた。千冬ちゃんに手を振っていた智は、そんな私を不思議そうに見上げた。

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