意外なつながり2
六時になってお店を出る。智迎えに行かなくっちゃ。帰りに電車で栄一君に会ったら、栄一君に昨日のことを話して……。なんて考えていたら、
「南里さん」
と声をかけられて、振り返った。
裏口の横に立っていたのは、鈴木さんだった。
「あれ? 鈴木さん――他にもお仕事って……」
驚いて足を止めると、鈴木さんが吸っていた煙草を地面に放る。そのまま足で揉み消すと、私の横に立った。
「あれは、切り上げるための口実。一応、今日は直帰ってことになってるからあんまり長くしたくなかったんだ。ところで、君はこれから保育園へ迎えに行くのか?」
「ええ――。うちは6時半までお願いしているんで」
六時半が基本普通預かりの最終の時間だ。それ以降は時間外保育になって、時間外でも7時半までにお迎えに行かなければならないことになっている。
「今日は、鈴木さんもお迎えに行くんですよね?」
「まあ。うちも一応六時半までなんでね」
守ったことはなさそうだけど……って言いたかった言葉は飲み込んで、鈴木さんの言葉に軽く頷いた。
「ところで君」
鈴木さんに言われて、顔を上げる。
「これから時間があるか? あるのならば昨日の礼がしたいんだが。もちろん智君――だっけ? 君の息子も一緒で構わない。私も千冬を置いていくわけにはいかないしな。どうだろうか?」
見上げた鈴木さんは、確かに自分に自信がありそうな壮年の男性だった。仕事が順調で、会社での出世が自分のステータスと言わんばかりの。そして、それが納得できるくらい外見もスマートだ。営業をしているだけあって小奇麗な格好をしているし、清潔感溢れる外見をしている。顔つきも精悍で、テレビドラマで出てきそうなやり手の男の人って感じだった。その分、昨日の千冬ちゃんの格好を思い出して、胸が痛んだ。自分の格好を気を付けるくらい、千冬ちゃんの外見は気にならないのだろうか。
「いえ、すみませんケド、私これから他の仕事があるんで」
私の言葉に、鈴木さんは意外そうな顔をして「ふうん」と呟いた。
「これから?」
そう尋ね返す声色は明らかに疑っているようだ。
「はい。私、コンビニでもバイトしてるんで。毎週水曜日はコンビニの方は休みを入れてるんです。昨日はたまたま、書店の方が忙しくて残業したんで帰りがいつもより遅かったんです」
すると鈴木さんはしばらく何かを考えているかのように地面に視線を移すと、胸ポケットから名刺をさっと取り出した。それをすっと私の方に差し出したので、私はついそれを手に取ってしまった。
「君も、休みぐらいはあるんだろう? いつが休み?」
「完全オフなのは、土日ですけど?」
鈴木さんの質問の意味が分からないまま答えると、鈴木さんは軽く頷く。
「次の土曜日、夕方頃迎えに行く。俺の連絡先はそこに書いてあるから。じゃ」
そう言うと、スタスタと歩き出す。
「え? 鈴木さん?!」
目の前の人の言っていることの意味が分からなくて、名刺と後ろ姿を交互に見ながら呼び止めたけど、鈴木さんは足を止める様子すらなかった。
「いいです! お礼なんていらないです!」
そう言っているのに、彼は振り返りもしないで片手を振って行ってしまった。どうせ同じ保育園に迎えに行くんだから一緒に行けばいいのに――と思ったけど、並んで歩いたとしても会話がないよな。と思い返した。それにしても――お礼なんていいって言ってるのに強引な人だな。ため息交じりに、鈴木恭介と書かれている名刺を見つめた。肩書にはしっかりK出版社営業1課 課長と書かれていて、ほんとに大手出版社の課長なんだなとしみじみした。まだ30代前半ぐらいの鈴木さんが課長なんて、ちょっと驚きだ。それだけやり手なんだろうか。先ほどの自信たっぷりの鈴木さんの話し方を思い出し、きっとそうなんだろうなとぼんやりと考えていた。
智を迎えに行ってから、ホームで栄一君を待っていると、「うっす」と後ろから肩を叩かれた。
「えいいち! おかえりー」
「おう、ただいま。智」
いつもと同じやりとりを繰り返し、栄一君が私にも「お疲れ様」とはにかんだ。
「栄一君、昨日、ごめんね!」
栄一君の顔を見るなり、頭を下げた私に、栄一君の返事はなかった。やばい。やっぱり昨日のことについては怒ってるのかも。私を見た時にはにかんでたから、あんまり怒ってないかなーとほっとしてたのに。
「やー、許さないね」
「うそ!?」
「一週間のうち、平日は水曜日しかまともに会えねんだよ? なのに、俺より仕事優先するし。家帰ったら連絡くれるのかと思ったら、メッセージ一つないしさー」
むっとした口調でこちらを横目で見ながら言う栄一君に、項垂れる。
「俺より大事なものがあんの?」
むうっと口を尖らせる栄一君は、はっとして「智以外で」と付け加えた。
「ほんっとごめん。実はね、昨日智のお迎えに行ったらさ、まだお迎え来てない子がいてね――」
栄一君に、昨日の顛末を話すと「マジで!?」と彼が呟いた。そのマジで? はどこにかかってるのかわからなかったけど、とりあえず大きく頷いて、勝手に解釈する。
「いや、千冬ちゃんって言うんだけど、千冬ちゃん自体はかわいい子なんだけどね、お父さんがちょっとね……」
ため息交じりに呟く。おっと、智がいるからあんまり言わない方がいいかと口をつぐんだ。栄一君が首を傾げているので、智の方をチラ見すると、ああ、と呟いて頷いていた。さすがに、お友達のお父さんのことを子どもの前で悪く言うわけにはいかないからな。
「まあそう言うわけで、昨日は連絡できなかったんだよ……、ほんとごめんね」
「やー。許さないって言ったでしょ?」
ポケットに手を入れたままの栄一君が真顔で立っている。う、本気で怒ってる? もしかして……。伺うように顔を見上げると、そのまま仏頂面でこちらを見もしない。
「えっと――、あの……」
取りつく島もなさそうで項垂れていると、栄一君がくるりとこちらに体を向ける。
「あのねえ、何で一言言ってくれないかなー? 俺ってそんなに頼りないわけ? 話聞いたら、俺も一緒に智と智の友達の相手したよ。そしたら、瑞希さん一人で大変な思いしなくて済んだでしょ? なーんで、そういう時に都合よく使ったりしないかなー」
むうっと口を歪めたままそう言うと、いきなりデコピンされた。そして突然智のことをぎゅうっと抱きしめた。
「俺は昨日、智と遊びたかったぜー」
というと、智もくすくすと笑う。
「ぼくもー!」
と、うっとうしそうに栄一君の頬を押さえながらも、片手を挙げてはしゃいだ声を上げていた。
「ごめんね。千冬ちゃんのお父さんが迎えに来るから、一緒にいて変な噂話されたらいやだな――とか、考えちゃったりした」
連絡する暇もなかったのは本当にそうなんだけど、頭の片隅で実はそんなこと思ってた。お迎えに来た時に、若い男の子がいたりしたら相手の保護者の人が驚いたり、変な報告を保育園にされたりするのも嫌だなとか、打算的に考えてたのも否定できない。そういう意味で私、栄一君を避けてたんだ。
「……ごめんね」
きゅっと栄一君の白いシャツを掴む。そのしぐさに、栄一君が振り返る。
「――なにソレ。やべえ、超ヤベエ……」
いきなり栄一君が顔を押さえてしゃがみこんだ。
「それは、反則過ぎ……」
そう言うと真っ赤になってこちらを見上げていた。どうやらシャツの裾を掴むのは、彼のツボにハマったらしい。どこが萌えポイントなんだか、いまいちわかんないけど、そういうことらしい。
「連絡できなかったのは、まあ仕方ないとして。それ、俺以外にやんないでよ?」
ぎゅっとシャツを握っている私の手を指差して、にっと笑う栄一君にドキッとした。
「それ、マジ萌えるから」
そういうと、栄一君が立ち上がった。
「あー、もう俺そろそろ限界かも」
「え?」
「これぐらいは、あり?」
きゅっと手を繋がれる。ん、と小さく頷くと栄一君が笑顔になる。
「我慢するって言ったけど、理性が崩れてしまいそうな気がする、俺」
ガシガシと頭を掻いている。
栄一君はいつもストレートに言葉をくれる。すごく嬉しくてご期待に添いたいと思う自分もいるんだけど、それを止める自分もいた。やっぱり私は世間体というものをすごく気にしてしまうらしい。
というのも、智を産んだ状況が状況だったので、やっぱり後ろ指を指す親戚もいたし、子どもが子どもを産んでみたいなこともしょっちゅう言われた。今だって、両親の助けがなければ子どもを育てるなんて絶対無理だ。そんな状態なのに、恋愛に走っていいのか……って疑問もある。
それに、一番嫌なのは保育園の保護者にばれてしまう事だった。シングルマザー、しかも20代前半なんて若さで高校生連れて歩いていたら、やっぱりこれだから若いお母さんは……って思われるかもしれない。いくら疾しいことはないって言っても、いくらだって火のないところに煙が立つことを知っている。
そんなこと気にしていなければ、昨日の出来事だってすぐに電話して、事情を説明していただろう。
だけど、それが自分のわがままだってことも重々承知はしている。栄一君が我慢していることに甘えている自分も。だって、自分がこのくらいの時、恋愛のことが頭の中のほとんどを占めていた気がする。同級生の男の子たちはどうだっただろう。やっぱり、女の子のこと恋愛のことが、毎日の学校生活の大部分を占めていたと思う。それを思えば、栄一君がそうやって我慢しているのも辛いんだろうな。
「ごめんね」
答えられなくて。突き放したり、思わせぶりな態度をしているのも分かっている。悪いなと思うんだけど、他にどうすればいいのか、まだ私にはわからない。
「いいよ。その代り、土曜日にはどっか行こうよ」
栄一君に言われて、土曜日という言葉にドキッとした。土曜日、鈴木さん迎えに来るって言ってたけど、本気なのかな……。
「あの――もしかしたら、夜はダメかもしれないけど……いい?」
一応、予防を張っておこう。ほんとに来るはずないと思うんだけど、あの強引さを考えると、万が一ってこともありそうだ。
この時私は、本当に単純に鈴木さんのあのセリフはただの社交辞令だと思っていた。




