↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
改札口の向こう側  作者: maruisu
第二章
PR
24/42

千冬ちゃんとパパ

「じゃあ行こうか?」

 ご飯を食べ終わった智はすでに眠くなっているらしいし、千冬ちゃんも、心細そうにきょろきょろあたりを見回している。声をかけて立ち上がると、智と千冬ちゃんは手を繋いで先に出ていいかと聞いてきた。出口の近くにいることを約束させると、二人は嬉しそうに外へ出ていった。その様子を見て微笑みながらごみを片づけて外に出ると、千冬ちゃんは俯きがちで地面を見つめていた。

「パパから、でんわあった?」

 すがりつくような眼で私を見ながら確認する千冬ちゃんの姿に、少し胸が痛くなった。


「ううん。まだないの。お仕事忙しいんじゃないかな? 早く電話があるといいね」

 そう言うと、千冬ちゃんは小さく頷いてまた地面に視線を移した。

 それきり言葉を発しなくなってしまった千冬ちゃんは、眠そうにぐずぐずと絡んでくる智を時々見ながら、私と手を繋いで歩いた。改札から駅に入ると、千冬ちゃんは辺りを見回したていた。スーツ姿のサラリーマンがを端から目で追っていたから、お父さんの姿がないか探しているのかもしれない。

「千冬ちゃんのおうちはどこらへんかな?」

「うーんと、はいしゃさんのちかくなんだよ」

「そっか、歯医者さん近いんだ」

「うん。でも、おかえりのときでんしゃにのらないよ。さとるくんちは、とおいの?」

「うん。遠いよ。電車に乗って、駅が二つなの。そこから歩くんだよ。今日は、タクシーで帰っちゃうけどね」

 自転車に子ども二人は乗せられないし、歩ける距離じゃない。バスもあることはあるけど……智がもう限界そうだった。電車に揺られたら確実に寝ちゃうだろうし、そしたらバスに乗るのも危ない。バス停からも歩いて10分ほどあるから、結局遠い。本当はタクシーを使いたくないんだけど、こんな日は仕方ない……と言い聞かせた。

 千冬ちゃんが、「パパ、分かるかな」とまた不安げに呟いていた。そんな千冬ちゃんの頭を一つ、撫でてあげる。すると千冬ちゃんははっと大きく目を開いて、私を見つめると、所在無げに目を泳がせた。


 ホームに降りると電車は幸いすぐに来て、ほんの10分程度で駅までつくことができた。駅からはタクシーを拾って家に帰る。

 家について一番初めにしたのはもうすっかり寝てしまった智をベッドに寝かせることだった。智を下ろしてから、玄関に立ち尽くしている千冬ちゃんに中に入るように促して、ホットミルクを入れてあげた。千冬ちゃんはソファに座らずにラグの上に座ると、じいっとミルクを見つめている。飲んでいいか、飲まない方がいいのか、ためらっているようにも見えた。それはまるで、いつまでここにいればいいのか、不安に思っているかのようだった。ミルクを一口飲んだ千冬ちゃんは部屋をきょろきょろ見回していた。


「さとるくんちは、なにもないの?」

 千冬ちゃんに言われて、キョトンとする。

「なんにも? 何が?」

「うーんと、テーブルの上に何にもないし、お部屋の中にも、何にもない」

 千冬ちゃんはそう言ってから、「だって、ちふゆのおうちはおはしとか、ごはんとかおいてあるよ」と呟いた。子どもの話ってとりとめがないんだよね。と考えながら、一生懸命千冬ちゃんが言いたいことを読み取ろうとした。「ご飯の時とか?」と尋ねると、千冬ちゃんは一生懸命考えているようで眉間に少ししわが寄った。

「ご飯の時も使うけど、ずっとあるよ」

 そう言うと、首を傾げた。

「そうなんだ」

 なんとなく、だけど想像がつく。父子家庭で仕事に追われているお父さんなら、部屋が多少散らかっていても仕方ないだろう。うちは普段あまり家にいることがないから、物を散らかさないだけだ。それにたまに朝食の片づけをしている時間がなくて、そのままにして家を出てしまうこともある。千冬ちゃんが言っているのは、そう言うことなのかなと想像した。


 ぴぴぴと電子音が部屋に響いて、千冬ちゃんが驚いて肩をびくっと震わせた。それからきょろきょろと辺りを見回して、音がする方を探していた。

「千冬ちゃん、お風呂入ろうか」

 さっき智を運んだ後にお風呂の湯はりボタンを押してておいた。湯はりが終わって、お知らせ音が鳴ったのだ。お父さんが早くお迎えに来てくれるといいと思いながら、千冬ちゃんをおふろに入れてあげた方がいいと思えた。迎えに来てから入れては嫌味のように思われるだろうから、出来れば迎えに来る前にさっさと入れてしまって、今日は汗をかいたようなので――と取り繕った方がいいだろうと思っていた。私はさっと立ち上がると、洗面台からタオルを取り出す。そして、智のタンスから着替え一式を取り出した。

「智は寝ちゃってるから、千冬ちゃん、智のママと入ろうか」

 そう言うと、千冬ちゃんはどうしていいかわからずにまごまごとその場であたりを見回して、目を伏せた。智の母親とはいえ、いきなり知らないうちに来てお風呂に入るというのは、子ども心に緊張するだろう。千冬ちゃんが体を固くするのが分かったから、智に話しかけるよりも少し、口調を優しくして、ゆっくりしゃべった。

「汗流して、さっぱりしてお父さん待ってようか?」

「ちふゆ、パパとはいる」

 上目づかいで私を見てから、テーブルに視線を落としてしまった千冬ちゃんがか細く呟いた。そりゃそうだ。智だって、同じ状況になったら「ママを待ってる」って言うだろうと思うから。

「お父さん、お仕事遅くなっちゃったから、今日は智のママと入ろうね」

 そう言うと、千冬ちゃんは戸惑いながらも小さく頷いた。


 そしてわたしはTシャツと短パンを着たまま、千冬ちゃんをおふろに入れた。案の定、千冬ちゃんをおふろに入れると、湯船に結構な量の垢も浮いたし、体を擦ってあげると肌の色がワントーン明るくなった気がした。シャンプーとリンスをすると、くしゃくしゃに固まっていた髪の毛が嘘のようにつるんと指通りのいい髪になった。

 最後に湯船につからせていると、千冬ちゃんはそわそわしている。どうしたのか尋ねると、こうしている間にお父さんから連絡があるかもしれないと不安になっているらしかった。そこで、携帯電話はすぐ外に置いてあるから、連絡があればすぐわかるから大丈夫だと説明してあげると、満足したように湯船に浸かっていた。


 うちには下着も含め、男の子の服しかなかったので千冬ちゃんに申し訳なかったが、千冬ちゃんの服は洗濯してあげた方がよさそうだった。智と二人暮らしを始めるときに、実家の両親が洗濯を干す時間もなさそうだからと言ってプレゼントしてくれたのが、洗濯乾燥機だった。正直、ものすごく助かっている。それに千冬ちゃんの服も放り込んだ。大体2時間くらいかかるから、千冬ちゃんが帰るまでには間に合わないかもしれない。千冬ちゃんは智の服を見て、「おとこのこのだ、これー」と言いながらも、しぶしぶ着てくれていた。どうやらサイズはちょうどよかったらしい。


 それにしても……。もう10時だというのに、連絡がないとはどういうことなんだろう。

 いつも、お迎えこんなに遅いのかな? だったら、麻子先生が怒るのも頷けるところなんだけど。


 すると、10時を回るか回らないかといった時間に、携帯の着信音が鳴った。

「あ! パパだ!」

 千冬ちゃんが叫んだとおり、携帯の表示画面には知らない番号が映っている。

「はい」

 と出ると、低い男の人の声が聞こえた。

「鈴木千冬の父ですが、そちらにうちの娘がいると伺いましてお電話いたしました。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 丁寧なんだけど、あんまり心のこもってなさそうな声だった。そう、まるでうちに来る出版社の人の営業みたいな、言葉だけは丁寧なんだけど、相手は値踏みしているような口調。うちは小さい支店だから出版社の営業の人もあんまり熱が入ってない。そんな営業の人みたい。

「南里智の母です。千冬ちゃんとは、息子が仲良くさせていただいているみたいでありがとうございます。千冬ちゃん、うちで預かっています。申し訳ありません、連絡がないので、園の門前で待っているわけにもいかず、了承なしに私の家へ連れてきてしまいました。本来なら千冬ちゃんを鈴木さんのお宅まで送るべきなんでしょうが、今、息子が寝てしまっているので、置いて出るわけにはいきません。いかがいたしましょうか」

 コホンとひとつ咳払いをしてから、口調を改めてこちらも営業用のワントーン高い声で話した。

「ああ、迎えに行きますよ」

 と、千冬ちゃんのお父さんはあっさりとそう言った。

 その間にも、千冬ちゃんはお父さんがなんて言っているのか知りたくて、後ろで、そわそわとしている。身を乗り出すように、私の方を見ているので、親指と人差し指で丸を作ってオーケーの印を出すと、ぱっと顔が輝いた。

「お願いします」

 抑揚のない声でそう言うと、手短に住所と、駅からの簡単な目印を話し、近くなったらもう一度連絡をもらえるように話をした。相手は短く返答すると「八王子ですか、遠いですね」と一言付け加えた。それから「今まだ仕事中でして、これから帰宅しますので、時間がもう少しかかります」と悪びれずにさらに付け加えた。


「は? え? まだ来られないんですか?」

「……ええ。ですから、こちらはまだ仕事中なので」

 電話の向こうのそんな声に、あきれ返った。本来なら、保育園に預けていられる時間じゃない。それを連絡もしないでほったらかし、今まだ、仕事をしようとしているなんて。

「あ、あの……。千冬ちゃん、まだ保育園にいたならどうするおつもりだったんですか?」

 こちらの問いかけに、電話の向こうは一瞬言葉を失くした。

「そのために保育園はあるんじゃないんですか? 子どもを一旦預かったなら、責任を持つべきだ。こちらはお金を払っているのだから、当たり前でしょう?」

 ため息交じりにそんなことを呟く千冬ちゃんのお父さんの返事に、絶句した。その口調は、それが当然と言わんばかりに落ち着き払っていたからだ。

 そもそも保育園は7時半までだ。それをオーバーしてもなお、金を払ってるんだから責任もって預かるべきだとは、どういうことだろうか?


「とにかく、電話口で押し問答をしていても時間の無駄です。仕事が終わり次第駆けつけますので、それまでよろしくお願いします」

 まったく悪びれない口調に、心底驚いていた。……いや、ちょっと待って。普通の神経なら、そんなこと言わない。きっと、千冬ちゃんのお父さんは疲れてるんだ。疲れて、普段は口にしないようなことも、ついイラっとして言ってしまったんじゃないだろうか。千冬ちゃんのお父さんということで、きっと悪い人じゃないと、信じたかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。